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41_「人が存在するのは喜びを得るためである。」(2ニーファイ2:25 )

わたしたちの人生の目的は何でしょうか。リーハイは  息子のヤコブに人生の目的は「喜びを得ること」だと述べています。しかし、毎日の生活の中で「何故、わたしだけがこんな苦労をしなければならないんだろう?」「どうして毎日、こんな悲しいことや辛いことの連続なんだろう?」と考えたことはありませんか。確かに、わたしたちの人生は決して平坦なものではありません。多くの人々が、毎日何らかの苦難や悲しみ、困難な出来事に遭遇しています。多くの人々は、上記のような疑問を心の中に持っています。このような人生の中で本当にわたしたちは幸福を得ることができるのでしょうか。喜びに満ちた生活を送ることができるのでしょうか。
 
京都大学第16代総長、平澤 興先生は「…困難…を活用し得る人にとっては、将来の大きな幸福への『チャンス』であ(り)…成長するためには、苦難が喜びであると思うようになることである。」と述べておられます。「苦難や困難」に対する心の向きがとても大切であることがわかります。
 
 しかし、もうひとつ、クリスチャンとして忘れていけないのはイエス様の贖いの力です。このような言葉があります。

「(わたしたちは)贖罪が持つ人に能力を授ける力によって強められ、『キリストの喜びにのまれてしまう苦難のほか、彼らがどのような苦難も受けることがないように』(アルマ31:38参照)祝福されました。何と驚くべき祝福でしょう。」

(デビッド・A・ベドナー『リアホナ』2012年4月号, p.16)

もうひとつ、わたしの妻が困難なことや悲しいことに遭うたびにいつもいう言葉です。「この大変なことの中に神様はどんな『喜びの種』をまいていてくださっているんだろうね?」と。妻は平澤先生やベドナ−長老の精神をそれとなく理解しているのだと思います。この言葉に何度も救われました。確かに神様は辛い悲しい大変な出来事の中にたくさんの「喜び」の種をまいていてくださいます。
 


平澤先生の言われるように「困難や苦難」に対して、ポジティブな心の向きを持って、ベドナー長老の言われるイエス様の「贖いの力」を実感し、わたしたちの経験するすべての出来事の中に「喜びの種」を見つけたいと思います。😀

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