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19_「主が再び父に、家族だけを連れて荒れ野へ行くのは…よくない、…子供をもうけられるよう…よその娘たちを妻に迎えるように、と言われた…」(1ニーファイ7:1)

主は、リーハイを通して、ニーファイと兄たちに、もう一度、エルサレムへ戻ってイシマエルとその家族を連れてくるように命じられました。結婚して子どもをもうけ、子孫を残すためでした。それで、ニーファイと兄たちは、実際にエルサレムに戻り、イシマエルの家族に自分たちの一行に加わるよう説得しました。イシマエルの家族はその招きに同意し、途中、多少の擦った揉んだがありましたが最終的に荒れ野のリーハイの一行に加わり、ニーファイや兄たち、ゾーラムは、イシマエルの子どもたちと結婚して家族を持つことができました。 

この箇所を読むときにいつも思うのですが、真鍮の版をとりに戻る時にはあれほど不平をこぼしていたレーマンやレムエルが消極的な態度を示していないのは興味深いことです。自分にとってメリットがあると思えることには積極的に取り組むことができます。これは誰もができることかもしれません。やはり、わたしたちが試されるのは、やりたくないことをどのように積極的に意味付けして、勇気を持ってやろうとするかの態度だと思います。

これは、心理学の学習の時によく言われることですが・・・コップに水が半分入っていて「半分も残っている」と感じるか、「半分しかない」と感じるか、それによってそれぞれポジティブとネガティブの反応が出てきます。

コップに水が半分以上残っている、まだまだ水が飲めると安心したり、その反対に、水を無駄にしてしまったりすることもあります。コップに水が半分しか残っていない場合、「ああもう少しでなくなってしまう、どうしよう!」と悲観的になる人もいます。反対に、「残り少ないので大切に飲もう!」と慎重になる人もいます。物事をネガティブに捉えるか、ポジティブに捉えるか、その意味づけが大切になってきます。 

福音を知っているわたしたちは、イエス様の贖いの力や導きを信じていますので、困難や苦労に遭遇してもポジティブな捉え方、積極的な意味づけをすることができたらいいなぁといつも願っているわたしです。


*自分がどのような捉え方をしているか、どのような意味づけをしようとしているかちょっと振り返ってみませんか?


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