山姥切問題の解体に挑戦してみた2022初夏


 8年目になってようやく山姥切問題について真正面から取り組んだので忘備録。


 遅い。向き合うのが遅くなってごめんな二振りとも……


 大侵寇以降、『とある本丸』概念がアレになったのが腹立たしくて、「なら公式に向き合ったろかい」と今まで見ないフリで辻褄合わせしてた『ふたつの山姥切』周りのどうしようもなさを解きほぐすことへの挑戦をちょくちょくやってました。
 公式がなんぼのもんじゃいな同人誌も出したんですけど、それはそれとしてそもそもの問題点は把握しときたいなと。
 なので、取り敢えず現状自分が洗い出せたのはこのくらいかな、という点の覚え書きです。

 Twitterで何度かつらつらと山姥切問題について垂れ流すとちょろちょろと反応をいただく感じで、あー、モヤついてる人いっぱいいるんだな……と言うのは感じています。
 なので、この文は公開して、なんかちょっと、誰かの心の整理のお手伝い出来たら良いのかな……と思っています。

 そしてつらつら覚え書きを書いていったらアホほど長くなった。公開用の前書きの時点で長い。
 案件が多すぎるんだよ。しかもそれらが色々錯綜してて自分がまとめるの下手だからこのザマです。
 お暇つぶし程度にお読み下さい……

 * * *

【前提条件】

<書き手プロフ>
・サービス開始初日からの審神者、のんびりプレイなので半ゴリラくらい、全刀剣男士顕現済み
・メディアミックスは映画以外完走してない(特にステミュは観劇媒体そのものか得意でなくノータッチ、無双はやる気はあるが据え置きゲーをやる余裕が無い、エトセトラ)ため、その辺りの情報はTLや友人知人からの聞きかじり
・つまりゲームの『とある本丸』への思い入れが集中してるタイプ

<解きほぐしの方向性>
 私は自分の初期刀たる山姥切国広も自分の本丸の山姥切長義もどちらも大好きなので、二振りをいかにどちらもハッピー解釈できるか、という方向性で解きほぐしをやっていきます。
 なので双方に滅茶苦茶好意的で肯定的で同情的です。偏ってます。

<刀剣乱舞というゲームそのものへのツッコミは略していく>
 そもそも題材に対する設定からして危なっかしい(歴史修正主義者とか大侵寇とかの単語から何から)とか色々あるんですけど、そこ突っ込んでいくとラチがあかなくなるので……
 キャラ設定一つとっても、例えば刀剣男士の記憶って何だよ、みたいな。今剣とかからも明らかですけど。キャラによって設定違うみたいだし。
 その辺の話題が深くなりそうになったら適宜切り上げるなり何なりします。

 あと、割と「刀剣乱舞くんには一応良心がある(ただし演出諸々はド下手、お前が全部ド下手)」という希望的観測のもとで話しているところがあるので、「いや運営は何も考えてねえよ」「いや運営は正味邪悪だよ」という方にとっては甘ちゃんな感じになると思います……

<記事の流れ>
 ゲームから得られる情報のみで、
 今回の解体で洗い出せたかな、という分だけの問題点を、種々の仮定、仮説、もはや願望エトセトラで大まかな辻褄合わせをしました。
 つまり基本的に刀剣乱舞くんの各種描写・ツッコミ所を納得・肯定していきます。
 それを、「私はこう考えてみたんですけど!」と、誰かに説明する体で書いています。
 なので、読んでる途中や読んだ結果、「いやここ道理が通ってないが?」みたく感じる所もあると思います。
 なのでひとまず、こんな納得の仕方してるんだなこいつ、のつもりでお読み下さい。
 どの要素にどう引っかかりを感じているのか、みたいなのの整理に使っていただければと思います。


 国広→長義(二振りの前提)→二振りの関係順で解体(解きほぐし)をします。
 特に国広はアホかという程属性が盛られており、それが圧縮されてるせいで訳が分からなくなってるキャラクターです。
 そこを長義の概念と比較できるくらいまで解きほぐさないと二人の話になれないので。
 国広は言葉が足りないとよく言われますが、それは国広が抱えている要素が多すぎて、まとめられ端折られてるということだと思っています。
 いや本当マジでアホかというくらい圧縮されています。
 それをどうにか解体していきたい。


 あとソハヤや蜂須賀の概念がちょくちょく出ます。

 一つの概念ごとにツッコミ所が多すぎて一つずつ拾っていけないんだけども、
 取り合えず仮定や仮説を立ててそれを説明→それへのツッコミで補足、脱線して話が逸れながら膨らむ、みたいな感じになっている……と思う。
 話のまとめかたが下手です。それでも良ければよろしくおねがいします。

 * * *

<山姥切国広編>


 山姥切国広というキャラクターについて紛糾する理由。
 それはこちらが受け取る『印象』が様々な場面・条件でブレるからではないか。
 様々すぎて何処からメス入れりゃ良いのか分かんねえ


 なので強引に取っ掛かりを作ります。
 という訳でいろいろすっとばして仮定から入ります。

 山姥切国広には、
・刀剣における『写し』概念のプレゼンター
・コンプレックスを克服して成長する王道主人公属性

 の要素が付与されているなと感じます(どのくらい刀剣乱舞くんが意図的なのかは置いといて)。
 これを仮定とします。
 これを正として、それぞれから解体していきます。

 前者はつまり『刀剣に詳しくないプレイヤーに、刀剣の世界について説明する』という役割。
 これは蜂須賀虎徹も担っていて、彼の担当は『真作と贋作』。
 そして国広と蜂須賀によって『写しと贋作は違いますよ』的な説明ができることになるのではないか。
 で、こちらの仮定は、国広の一周年台詞「いい加減、写しとは何かということは広まっただろうか」からほぼ間違いないと思っています。

 ※蜂須賀と贋作云々についてはまた別に色々不遇なあれそれが見えるんですが(そもそも長曽祢ありきの選出されてる的な……)、今はこの紹介文に留めます

 そして後者は、初期刀としての役割。ここでは『看板キャラクターである三日月宗近に対して働きかけるキーキャラクター』として、とする。
 始まりの五振りはそれぞれの属性(性格)で三日月に働きかけますが、王道主人公属性的なソレの担当(ワザとか結果的にかは別として)になったのが国広なんだと思います。

 特→極の大変化の印象もそうだし、
 大侵寇、マジで国広だけ何かノリが違う気がしたし、
 何か……その辺りから持ってきた印象から仮定してみました。
 あくまで印象です。なのでこちらはマジで取っ掛かりの仮定です。



 まず後者『コンプレックスを克服して成長する主人公属性』についての説明――成立の仕方の推察、及びそこへのツッコミについて。

 少年漫画的王道展開をさせたい、みたくなった時、物語のセオリーとして、対象のキャラクターが何かの壁で挫折し、それを克服し成長する、みたいな流れが分かりやすいのかなと思うんですが。
 国広がそうだと仮定した場合、彼の挫折及び克服すべき壁として、『コンプレックス』という概念が使われていることになります。

 「オリジナルでないことがコンプレックス」(by公式ツイート)

 で、それを作るために使われているのが、彼に付与されてる『写し』概念であるはず。
 『本歌写し』を『オリジナルコピー(ソハヤとの回想参照)』に対応させて、『コピーはオリジナルでないことをコンプレックスに思う』みたいな、まあまあ納得しやすい概念(という言い方で察して欲しい)を『本歌と写し』にトレスしようとしていると。

 もうこの時点で「そこの要素一緒にしないでくれ」案件。解きほぐすゴール遠くて遠い目。
 一つずつ要素を抜き出していかせて下さい……

 まず、多分誤解されやすい大元の一つだと勝手に思っているんですが、
 回想の『写しの悲哀』、及び国広の種々の言動において、国広(とソハヤ)が〝何〟をオリジナルとして、それに対してコピーだ何だとネガティブな話題になっているか、となった時に、
 それは『本歌』そのものに対してでなく、『本歌が持つ名(物語)』的な概念に対してである、という点なんじゃないかと。

 〝『写し』であることそのもの〟
  に対してネガティブになってるんじゃない、と。

 この辺の前提、感覚的に分かっちゃいるけど印象として引っ張られてしまう、みたいなとこがあるんじゃないかな、と。


 そもそも、国広は刀の価値としての自分を全く疑ってはいません。
 国広の第一の傑作としての自負と誇りは滅茶苦茶しっかり持っています。
 けれど、自分に足りないものがあるからコンプレックスを持つ。
 それが『オリジナルの名(物語)』。
 「山姥を斬った伝説」のような、『刀の名前』そのものにまで昇華されるような評価、逸話、歴史、その他諸々の概念、といったもの。

 「化け物切りの刀そのものならともかく、写しに霊力を期待してどうするんだ?」

 国広は『山姥切』が自分のモノだとは欠片も思っていません。

 国広の言う『写しの悲哀』とは『写しであることそのもの』ではなく『写しであるが故に写しであること以外のオリジナルの名(物語)が無い』(この言い分もツッコミ所なんですが後述)ということだ、と考える。
 名(物語)によって成立・強化される刀剣男士にとって、滅茶苦茶重要な事案です。

 名(物語)が自分のオリジナルのものではない刀剣男士は彼だけ

 です。ガチで。信じられるか? ガチでだぞ。
 ソハヤですら『ウツスナリ』を名乗れてんだぞ。
 名(物語)じゃなくても刀匠概念だの刀種概念だの何かしら背負った名前なんだぞ。
 国広が自分のものだと思える概念って、『山姥切国広』という著名な〝名〟の中で『国広の傑作』ってところだけなんですよ。
 『堀川』は新選組概念背負った堀川が使ってるしよォ……
 国広の第一の傑作としての自負と誇りは滅茶苦茶しっかり持っている、逆に言うとそれに縋るしかない。
 いやもうこの時点でマジかお前……

「相手は名だたる名剣名刀。なのに俺は……」

 だからこうであった場合、ここに『コンプレックス』の元を設定することはおかしくはない。
 ていうかもう、当然の流れ……なのでは……

 ソハヤの持たされている『写しの悲哀』は国広のそれとは別で、彼は『本歌に届かない』みたいなコンプレックスの持たされ方をしています。
 彼には滅茶苦茶逸話があるんで『物語』そのものはやべえ強度で持ってるし、その点で国広に発破をかける役をしてるんですが……
 彼の曇り方については、刀剣乱舞くんが結果的にネガティブイメージを『写し』に付与してしまってる(ように見える)、て辺りも考えなきゃいけないんで、後述できたらいいんですが一旦置いといて下さい……


 で、ここで国広の『コンプレックスの元』を『写しであることそのもの』と読み違えると、前述の国広のもう一つの役割、『刀剣における『本歌と写し』概念のプレゼンター』案件と衝突する事態が起こります。

『写しは悪いことじゃないって言ってんのに写しであることにコンプレックスを持ってるって何よ』

 になる訳です。
 この辺りの流れ圧縮により国広について考える時にしょっちゅう出てきてしょっちゅう邪魔してくる流れなんで、その辺頭に入れておくとフラットになれるんじゃないかと思います。

 国広は、マジで『写しであることそのものへのネガティブな発言』は一言も言ってないんですよ……いやマジで……

 そしてここで殴り込んで来て登場するのが『偽物』というキーワードです。最重要ワードです。
 一つの話題に別の重要話題混ぜなきゃいけないの面倒くせえなあもう。

 『偽物』。ネガティブな言葉です。疑いようがなくネガティブ。
 対立する言葉は『本物』
 二つを並べたらそりゃ本物の方が良い。当然の感覚です。
 そして国広の名(迷)台詞「俺は偽物なんかじゃない」。

 ここでまた誤解が生じるポイントができる。

 ここで我々は、国広は〝国広自身が〟『本歌と写し』を『本物と偽物』に対応させている、というような印象を受けてしまうんです。

 そうするとどうなるか。
 ちょっと待てと。
 お前それを否定する為のキャラクターじゃないのかと。

 その通りです、それこそを否定したくて言ってるんです、彼は与えられた『写し』概念のプレゼンターの役割をこなしてるだけです。

 でも、〝誰〟が『本歌と写し』を『本物と偽物』に対応させているのか?
 それが上手く見えていない
 だから国広自身がそう思っているのだ、そしてそれをコンプレックスに思っているのだ、と見えてしまうんです

 下手か!!!!
 (この事態に対するツッコミ後述であります)


 これ、キャラクター同士の会話の形でやればもっと分かりやすく読み取れるんでしょうけど、何せ国広が会話してるのは我々審神者です。キャッチボールが出来ないので文脈が読み取りにくくなってるんですよ……

 では、『本歌と写し』を『本物と偽物』に対応させているのは〝誰〟か?
 それがすなわち、『刀剣に詳しくないプレイヤー』、つまり我々です。
 正確に言うと刀剣乱舞くんが『国広のプレゼンの相手として想定している』プレイヤー(審神者)です。

 正に、国広は、我々審神者と会話してるんです。

 国広は審神者に対して卑屈ですね。
 何故卑屈かと言うと、国広は審神者を『写し概念をプレゼンする必要がある相手』だと思っている、
 つまり、

 「あんたも『写し』概念をよく分かってなくてネガティブな偽物だと思ってるんだろう。だから俺もどうせ軽視するんだろう」

 って思ってるわけじゃないですか。
 執拗に『写し』という言葉を頻発するのも、プレゼンの一環です。
 『写しにネガティブな印象を持たれている』と思いこんでるからこんなに卑屈になる。
 国広自身は『写し』を卑下していないんです。だからこそそのネガティブな印象を持たれることを払拭したい。そういう立場です。

 でも、
 でもですよ、
 自分が写しである(が故に名(物語)が無い)ことに対するであろうネガティブな態度、これを()内をすっ飛ばした上に、「俺は偽物なんかじゃない」という台詞を一見(審神者との会話ではなく)彼の独り言のようにお出しされたらどうなるか。

 そりゃ『彼は、彼自身が写し=偽物だと感じている上で、それを否定したいのかな』みたいな印象になりますよ。

 もうね、もう本当にね……
 どうしてこうなった……

 国広にとって、目の前の審神者は、自分のことを「写しって何なのかよく分かんないけど本物じゃないなら貴方は偽物ってことね」と思ってる相手、なんです。

 審神者(我々プレイヤー)にしてみたら、特に慣れてきて『写し』概念を正確に理解してるなら、そんなわけあるかい、って感じじゃないですか。
 なんでそんなこっちを信用してくれないのよ。
 そこの補足説明が次の話題になります。

 私は先程国広の審神者に対する心情を説明する言葉として「お前も『写し』概念をよく分かってないんだろう」と書いたんですけど、
 お前『も』、というのがミソです。

 「どいつもこいつも」「誰も比較する奴なんていなくなる」

 これらの国広の卑屈さから垣間見えるもの、
 それはすなわち、『『写し』概念をよく分かってなくてネガティブな偽物だと思っている』輩が滅茶苦茶いっぱい存在している、らしい、ということです。
 そして、国広はそういった輩から滅茶苦茶本歌と比較されたり『偽物』と謗られていた、らしい。
 しかも「綺麗とか言うな」みたいな国広の台詞を鑑みるに、多分、
「確かに(本歌と比べて、本歌と同じように)綺麗だけど、どうせ偽物なんでしょ」
 みたいな馬鹿にされ方だったんじゃないかと。
(この馬鹿にした馬鹿共については後述します)

 この時の『偽物』というワード、これは『写しであることそのもの』に対する侮辱です。
 ここ重要です。後で長義の話題になった時の確認事項でもあります。
 『オリジナルの名(物語)を持っていない』ことにはかかっていません。
 国広のコンプレックスの原因にはかかっていません
(いやかかってはいるだろうが、本筋ではない、本筋に乗っかってくる程度の感じ)
 この時の『偽物』はある意味『贋作』概念とも混ざってるというか、十把一絡げに『本物を真似ただけのまがいもの(めっちゃネガティブな意味)』的な意図の言葉になります。
 『写し』概念プレゼンターの国広が許せるはずがありません。それこそを否定し、認識を改めさせ、正しい『写し』概念を示さなければならない。
 そりゃあ全力で反発するでしょう。

 でもずっとそんな輩に馬鹿にされ続けた、らしい。するとどうなるか。
 『写し』プレゼンターの役割を果たせていない、ということになるんです。
 ここが拗れの元の一つ、かつ分かりにくいところではないか。


 『写し=偽物という誤解から不当な評価で貶められることを払拭できない』。
 刀として傑作だという事実が、『写し』であることで伝わらない。『写し=偽物』だと思われているせいで。
 それは堀川国広の傑作であるという自負を持つ国広にとって滅茶苦茶悔しい事のはずです。

 傑作である己が偽物と謗られる事への憤り。
 『写し』概念を偽物と誤解されている事への憤り。
 『写し』概念を偽物と誤解されているがために傑作であるはずの己を偽物と謗られる憤り。
 それらを傑作であるはずの己の存在そのものでは払拭できない事への憤り。

 「俺は名(物語)を持つ本歌を元に素晴らしい刀匠堀川国広が打った最高傑作なのに、無知な輩に写し=偽物なんて間違った認識の元で偽物という屈辱的な評価をされ続けている」

 みたいな現実に打ちのめされた、らしい。
 これは挫折です。主人公属性くんが挫折を経験しました。
 只でさえ名(名前)が無くてコンプレックス持ってておかしくない所にこれです。
 『堀川国広の傑作』として頑張ったところで、(可愛らしく言うと)縋ったところでどうしようもなかった。
 卑屈度がぐーんとアップした! ひょっとしたら自信とかも地に落ちた!
 でも我の強い彼がそのまま黙っていられるわけもなく、傑作として『写し』プレゼンターとして国広が足掻けることがあるとしたら。


 それが
「やっぱり俺に名(物語)が無い(=〝本物〟の『山姥切』ではない)のがいけないんじゃないか?」
 みたいな思考
だったのではないか。


 このように色んな方向から成立し強化されたのが
 『オリジナル(の名(物語))でないことにコンプレックスを持つ』山姥切国広というキャラクターである。

 結果、王道主人公属性の成長の為の、挫折からのコンプレックスが成立した、とします。


 ……んで、審神者に『写し』プレゼンが上手くいったとしてですね、残るのはめっちゃ卑屈な態度の国広です。
 いやもうお前(写し)が偽物じゃないのは分かったから、となっても、延々卑屈です。
 しかも、審神者が『写し』を理解してるなら国広との会話も意味が無いんで、国広のプレゼンは完璧に『独り言』になり、それが延々続くせいで、国広の言う「あんたは写しをこう勘違いしてるんだろ」の『こう勘違い=写し(俺)が偽物である』彼自身の考えに見えてしまう。

 つまり『国広自身が写しを偽物と思っている』と見えてしまう。流石に言語化する時にそこまで行きつかないですが、印象の方向性が乗せられてしまう。

 それで、役割まとめられて、説明が端折られて、いらなくなったプレゼン内容の問題点そのものが彼自身の考えとして受け止められてしまった結果、

 『彼は『写し』であることそのものについて滅茶苦茶ネガティブに思っていてコンプレックスになっている』
 みたいな文脈、の印象、が生まれるんですけど。

 それは……誤読……になっちゃうんですよね……
 あの……本当に……どうしてこうなった……

 大体はここまで行くと他の情報と併せて違和感感じて「???」となるんじゃないかと思うんですけど……
 それで混乱が始まるんだと思うんですけど……

 で、仮にこの誤読をまんま受け取る(またはその印象を一度受けてしまって抜け出せない状態になる)と何が起こるかと言うと、『元ネタになった山姥切国広という刀剣が持つポジティブな概念』盛大に喧嘩するんです。

 新刀の祖刀匠堀川国広が打った最高傑作、本歌と並ぶほどの評価を得た写し(この辺の話題、色々後述があります)、一度焼失されたとされるも見つかり刀剣界隈は心底喜んだ、重要文化財指定され今に至るまで大切に保存されている、エトセトラ。
 ポジティブな歴史ばっかり持ってる筈の刀なのに、何でこいつこんなに暗いの? 歴史(元ネタ)に失礼じゃない?
 という感想が生まれてしまう。

 でも、略されてるものを解きほぐして「俺はすごい刀なのに無知な輩の勘違いで偽物と謗られそれを払拭できずにいるのが嫌だ」というのを前提にしてみれば、まあ、ポジティブな歴史に対して申し訳なさはありそうだよな……くらいの気持ちは出てくるんじゃないでしょうか。
 この辺は解釈ではありますが、少なくとも、国広が自身の歴史(元ネタ)そのものに対してネガティブになっている訳では無い、と言うのは読解できると思います。
 むしろそのポジティブな面を誤解している面々に分からせたい。でもできてない。だから落ち込む、卑屈になる。そういう流れです。

 ここでツッコミどころ案件として話が少々戻ります。

「確かに(本歌と比べて、本歌と同じように)綺麗だけど、どうせ偽物なんでしょ」
 みたいに国広を馬鹿にした奴〝誰〟だよ。

 あの我の強い国広の心を折るくらい、執拗に『写し』を誤解し続けたの誰だよ問題です。
 ここでまたいくつか摩擦が発生するんですけども。

 まず、刀剣乱舞くん自身が、所謂『刀剣の世界に疎い人々』からは『写しをよく分かってなくて、ネガティブな偽物だと誤解』されることがよくある、というのが厳然とした事実だ、と考えてるわけです。
 で、これは実際に観測できるんじゃないですかね。刀剣乱舞がヒットする前にメインターゲットの女性オタクに限らずその辺にアンケート取ったり出来たらいいですけど。
 それを払拭する為に、刀剣初心者が多いであろう審神者にその事実をプレゼンする為に、プレゼンターとして国広を配置した。
『写し』を偽物と勘違いするのって、刀を擬人化したとしたらこの位嫌な気持ちを持つと思うよ、って示そうとしてるのが国広というキャラクターです。
 だから国広には『『写し』をネガティブな意味の偽物と誤解して貶める誰か達』という仮想敵が存在する。
 それが誰だよ、という話です。

 これには大きく二通り仮説を作れます。
・歴史(元ネタ)の人々
・時の政府など、刀剣乱舞くんが創作した何者か

 歴史(元ネタ)と仮定する場合、所謂『刀剣の世界に疎い、写し概念をよく分かってない、誤解をしている人々』は確かに存在するため、国広にはその全体の概念を凝縮してドサッと乗っけられてることになります。役割なので。重いわ。
 でも前述の通り、国広は大切にされてきた刀です。現在は個人蔵ですし、どちらかというと箱入りに近い。実際にそんな誤解に晒されていた可能性は低い。
 ここでまた矛盾が生じる。
 ポジティブな歴史ばっかり持ってる筈の刀なのに、何でこいつこんなに暗いの? 歴史(元ネタ)に失礼じゃない?2回目

 だから、納得しやすいのは後者、つまり刀剣乱舞くんが仮想敵を創作した、という方です。
 そうすれば上記の矛盾が解決するんで。
 しかし、大問題として、その詳細は絶対開示されません。だって刀剣男士の設定の根幹に関わることだから。
 時の政府で一体何が行われているのか? 刀剣男士達の自我が生まれるのはいつか? とかそういうレベルから開示しないといけないし、それこそを我々に「その辺好きに創作していいよ!」の態度を向けてきてたわけですから、開示されるわけないんです。
 だから、仮想敵は我々が作らなきゃいけない。

 丸投げしすぎだろうが。創作に慣れてないタイプの人にとっては難易度が高すぎだろうが。

 例えば創作するなら、国広は政府に顕現された時に自我が発生したが、2205年時点で写し=偽物みたいな誤解が蔓延っていた(無理があるので、そう吹き込まれたくらいが良いんだろうか……)、みたいな感じとか……そうすれば、歴史(元ネタ)上も『写しをよく分かってない人々』がいたことを示せるし、国広は自分が大切にされてきたはずだという設定の元で顕現した分ショックもでかくなりますし……どうだろ……

 で、この仮想敵のせいで、我々はいつまでたっても特国広に信用されないわけです。
 こっちがいくら『写し』のことはもう分かったよって言っても、いつまでも信じて貰えないくらい、この刀剣男士を拗らせやがってよお。
 しかもその正体が見えないんですよ。
 そのせいで「国広が何かおかしい」って印象になるのあまりにも不毛だが?

【この辺り更に掘り下げたら長くなったんで隔離、読み飛ばして良いです】

 本丸発足初期から、場合により初期刀として、「どうせあんたも誤解してるんだろ」ってこっちを信じて貰えないまま延々卑屈な態度で言われ続けるんですよ。
 それで何が起こるか分かります?

・こんなに辛そうで可哀想、こんなに審神者を信じられなくなるくらいひどいことされたんだな
・いい加減何でこんなウジウジしてんだこいつ、ちゃんと理解してるこっちに失礼だろ

 という真逆の印象が生まれ、更に読解がうまくまとまってないと、訳が分からないまま自分がより感じた方の印象だけどんどん強化されていきますからね。

 しかもこの辺、
・キャラクターそのものから印象を得るか
・キャラクターの成立の仕方そのものから印象を得るか
 で印象の後ろ盾の種類からも違ってくる。
 後者はそもそも「元ネタに失礼だろ」から出てくるようなモノなんで、「いつまでウジウジしてんだ、こっちに失礼だろ」の強化が顕著、っていうか発端。目も当てられない。

 この時点で解釈()戦争起こるの不毛かよ。

 それで、それらの印象と、読解の程度との組み合わせで、また違ってくるんですよ。

・写しのこと偽物みたいに感じてて嫌なんだな
・写しなのに偽物と言われちゃうのが嫌なんだな
・写しを偽物だと誤解されてるのが嫌なんだな
・写しを偽物だと誤解されてる上にそれを払拭できないのが嫌なんだな
 といった、色んなレベルの読解があり、
 グラデーションで色んな印象が出てきて、
 それが先述の印象と合わさって、
 それぞれの組み合わせの如何でその後転がしてく印象がまた分かれていく。

『自分が偽物なことがコンプレックスでそれをなじられ続けてこんなに傷ついて可哀想、本当は写しは偽物じゃないしこんなにすごい刀なのに』
『写しが偽物なんていう戯言に振り回されてんなよ、お前は山姥切の名を背負ったポジティブな刀なんだからウジウジ卑屈になってんじゃねえ』
『折角傑作に作って貰ったのに間違った認識でどこまでも誤解されたっぽくて気の毒、こっちが理解したって信じてもらえるまで付き合っていくよ』

  多発事故か?

 で、印象がここまで分かれると何が起こるかと言うと、その印象を確信・強化するための原因を探す方向性まで分かれる。
 ここまでくるともう、分かれた道同士は断絶します。
 相容れません。
 不毛かよ。

 で、こんなに色んな流れがあるので、読解がうまくまとまっていないと、我々はこれらの中から複数の印象が惹起されます。それで違和感を覚える。混乱する。
 混乱した結果何が起こるかって、「意味の分からないこの国広というキャラクターが悪い」ってネガティブな印象を持ちかねないんですよ。

 こんな訳分からん状態で解釈()戦争起こるのマジで不毛かよ。

 これさあ、誰も悪くないですよ。
 何が悪いって、上手く演出できてない刀剣乱舞くんがド下手!!




 
……何が悲しいって、この様々な印象が、山姥切国広というキャラクターにある意味深みを出してるというか、深く考える人が増え、愛着が湧きやすく、人気が出るくらい魅力がある状態になる一因なんじゃないかってのが……属性盛られてる案件と合わせて……本当にどうして……


 ここで一息。次で別方向から突っ込み入れます。

 『国広の『写し』プレゼンターとしての適正』という言葉から解きほぐしていきたいと思います。

 散々言って来ましたが、私は国広は『写し』概念のプレゼンターだ、という仮定をしています。
 実際これは国広の一周年台詞「いい加減、写しとは何かということは広まっただろうか」から間違いないと思います。
 その仮定・設定に対するツッコミになります。

 ツッコミを一言で言うと、国広は、『写し』プレゼンターにするには最高の刃材だが、同時に最も不適格な存在である、です。

 山姥切国広という刀は、『写し』の中で最も高名な刀の一つです。本歌に張るほどの評価を受けている刀は山姥切国広以外いないと言っても良いとまで言われている。
 本歌が重要文化財等に指定されていても、写しはそこまでいってないことが多い中、山姥切という刀は、本歌も写しも重要文化財に指定されている。

 ソハヤもそういう感じなんですが、ソハヤの本歌は二、三振り候補があるみたいで、ネタにしきれないとかなのかなあ。あと『写し〝なのに〟本歌と張る程の評価』みたいな概念があんまり付与されてないっぽい。その辺りは検索してください。

 そんな刀ですから、『写し』概念をプレゼンするのにこれ以上ない刃材ではあるんです。ネームバリューがある。だから全然おかしくないんですけれども。


 でも、ここで複数の意味での『写しの悲哀』が関わって来るんですよね。
 前述した国広の『写しの悲哀』、つまり『写しであるが故に写しであること以外のオリジナルの名(物語)がない』、という話。
 これは写し概念全体に共通する話です。

 ですが、そもそも写しは決して悪い意味では作られません。だからこそ、『写し』は本歌の名を背負います

 だから、本来それだけで物語足り得る筈ではあります。誰かが望んで素晴らしい本歌から写したる自分が作られた、本歌への尊敬と作ってくれた誰かへの敬愛……みたいなとこでね。
 それで満足すれば良いだろ、ていうか写しであることを名乗らないとお前の存在意義定義自体認識されないだろ、という話ではあるんですよね。
 だから国広に「歴史(元ネタ)に失礼じゃない?(3回目)」という印象が向く。

 じゃあ、でも。
 『本歌が重要文化財等に指定されていても、写しはそこまでいかない』。
 他にも、ソハヤの注釈で述べました。写し〝なのに〟という概念。
 これ、何を表しますか。
 本歌と写しを並べたら、写しは。
 評価かもしれないし、価値かもしれない。
 写しは偽物ではない、けれど、本歌と『比較したら』。
 国広がずっと疎んできた『本歌と比較されること』。

 比較する人々がいる。
 〇〇写しを見て、「ふうん、写しっていうんだ。何かよく分からないけど、本物じゃないんでしょ。本物の方〝が〟見たかったな」。

 写しを見て、本歌を想い、それらの物語に想いを馳せ、写しを大切に愛でる……のではない人々。
 まあ、居ないとは断言できませんね。
 観測できるみたいですね。
 知ってる人々が歯がゆく思おうが、知らない人には関係ないです。名を覚えません。物語を作りません。
 そうして、多くの『写し』が無名のまま歴史の中に消えていってるのかなと。

 そんな『写し』概念をどうにかしたい、というのが『写し』プレゼンターの国広が持っている概念の一つじゃないかなあ。

 で、ここで仮説をぶち込ませてください。
 (これは、写しプレゼンターの概念を補強したいがために、私が捻り出した仮説です、よろしくお願いします)

 じゃあ、『写し』だとしてもそれだけでなく、本歌とは違う何か別の活躍をすれば?
 そうすれば、その『写し』だけの注釈がつきますし、物語になりますし、名にもなるかもしれない。
 それだけでなく、『写し』〝なのに〟そんなすごい物語を作った刀の本歌なら、もっとすごいだろうね、みたいに本歌にも箔がつけられる。
 みたいな流れは、別に悪いことじゃないと……思って……

 ソハヤが正にその例でしょう。滅茶苦茶すげえ逸話(物語)がある、から写しだけど存在感として独立している。だから彼は回想で国広に発破をかける役割ができる。「お前の物語を作りな」。(まあ彼は彼でまた別の曇り方してるんですけど)


 ここでまた留意事項を書きます。

 国広はオリジナルでない、オリジナルの名(物語)を持たないことがコンプレックスだ、としました。
 しかしそのコンプレックスは、『オリジナルの名(物語)を持ちたい』ということと単純なイコールにはなりません

 彼が欲するとするなら、それは『強さのある名(物語)』です。
  ただの名(物語)ではなく、『写し』概念を人々に認めさせられるだけの『強さ』が要ります。
 『写しとして正当に認知されるための強度のある名(物語)』
 だから言うならば、『オリジナルの名(物語)を持つ程に強くなりたい』
 その結果、オリジナルの名(物語)を持ちたい、持てないことがコンプレックスである、という流れ。
 (どうやってだよというのは一旦置いといて)
 これが国広の目的、ではないか。

 ここを把握していないと、また国広に混乱が起こるので頭に入れておくと良いかと。



 しかし、ここで湧くツッコミを二つほど上げます。


 一つ目は、じゃあ結局『無名の刀は存在の意味が無いのか問題』
 これは考え出すと刀剣乱舞くんの根幹に関わってきて「刀剣乱舞くんさあ……」案件になるんで見ないふりしたいんですけども……うん……
 名(物語)のある有名な刀剣、またはその位『強い』存在強度のある刀剣しか刀剣男士となれないなら、他のつくもがみ(この定義も一悶着ありますが割愛)達は何もできないんかい。遡行軍になるしかないんかい。
 的な。
 これ、まーた「彼らの自我がいつ生まれたか」みたいなそもそもの設定に立ち返る必要も出てくるんで、もうどうしようもなくない?
 でも、名(物語)の有無(及びその存在強度)に拘る国広の性質上、この問題はどうしても国広の肩に乗ってきます。

 他の刀は、もう名(物語)をそういうモンだと思ってる。所謂『大した活躍』をしてない刀でも、元主や周囲が大切にしてくれて歴史に残ったのは間違いないし、歴史と主を守る為に頑張ろう! というのが基本的なスタンスの場合が多い(藤四郎の一部とか分かりやすい)。だから刀剣乱舞くんの世界観の中で完結しやすいんですけど。

 で、二つ目のツッコミ。
 端的に言うと、国広は『真の意味での写しの代表』にはなれない、という点。
 先述の通り『写し』というのはつまり、無名のまま歴史の波に消えやすい存在である、と。
 でも国広は、『写し』そのままで滅茶苦茶歴史に名を残しているわけで。
 そんな彼が、『写し』代表として何か言おうとしても、「恵まれてる奴が何か言ってんだけど」になる。
 ポジティブな歴史ばっかり持ってる筈の刀なのに、何でこいつこんなに暗いの? (他の写しと違って最早ちゃんとした『物語』になってる)歴史(元ネタ)に失礼じゃない?4回目

 国広は、その知名度から『写し』プレゼンターとして最高の刃材ではありますが、それ故に『写し』が持つ『歴史に残れない』という意味での悲哀を代弁できる存在ではない。
 『写しであるが故に写しであること以外のオリジナルの名(物語)がない』という悲哀は共通なのに、です。

 だからこそ、プレゼンターになることで、『写し』が少しでも沢山の人に認められるように頑張る、という方向に行く。
 だから『オリジナルの名(物語)を持つ程に強くなることによって『写し』概念をプレゼンする』。

 するとやっぱり、名(物語)の有無(及びその存在強度)に拘る国広の性質上、一つ目の『無名の刀は存在の意味が無いのか問題』などの時にその性質に向くツッコミの矛先は避けようがない

 以上のように、国広は、刀剣乱舞くんについてツッコミ入れる時、大変矢面に立たされやすい立場ということになります。
 「失礼じゃない?」概念をあっちこっちから4回もぶつけられなきゃならないって何だよ……ちなみにこの後もまだ出てくるとかいう……
 写しプレゼンターやってるばかりに元主や本歌へのリスペクトが無いって言われんだぜ……(この辺後述あります)やってらんねえよな……



 ……それでですね……以上のような『写し』プレゼンターとしての役割が、刀剣男士としての国広の存在意義だとすると何が起こるかと言うとですね……とんでもねえツッコミをすることになるんですが……

 国広、ぶっちゃけ歴史を守る動機がなくない?



 ウッソだろお前。

 いや本当に、要は自分の評価(『写し』概念の評価!)を根本から変えたいんで……今んとこの歴史の状態変えたいんで……下手すると遡行軍行き……いやいやいや……いやもう、なんか、いや……ええ……

 そしてここでもう一つ重要なツッコミを。

 でも、〝誰〟が『本歌と写し』を『本物と偽物』に対応させているのか?
 それが上手く見えていない
 だから国広自身がそう思っているのだ、そしてそれをコンプレックスに思っているのだ、と見えてしまうんです

 下手か!!!!
 (この事態に対するツッコミ後述であります)

 ここ。
 あのですね、ここが何でこんな下手かって、そもそも審神者にそんなに『写し』プレゼンしたいのであれば、滅茶苦茶単純に

「写しは偽物なんかじゃない」

 って一言言えば済む話なんですよ。
 あまりにもバカじゃん。でもやってないの。
 国広がその一言をようやく言うのがなんとまあ、長義との回想です。
 しかも「写しは偽物とは違う」とかいうちゃんと分かりやすい言葉で。
 審神者にだって「写しは偽物とは違うからな、覚えろよ」ってストレートに言えば良いだろうがよ。
 バカなの???

 「偽物なんかじゃない」という台詞そのものは、国広のコンプレックスの成立を考えれば納得はできるんです。
 「に名(物語)が無いからいけないんじゃないか」
 『俺』に。
 他の同様に名(物語)が無い『写し』を含める『俺』ではなく。

 傑作たる偽物と謗られる事への憤り
 『写し』概念を偽物と誤解されている事への憤り
 『写し』概念を偽物と誤解されているがために傑作たる偽物と謗られる憤り
 それらを傑作たるの存在そのものでは払拭できない事への憤り
 からの「偽物なんかじゃない」。


 我が強ェんだわ。


 この男、ガチで刀剣男士としての〝己〟の活躍、『強さ』一本で『写し』プレゼンしようとしてんのかよ。
 審神者に自分(写し)の『強さ』を認めさせれば偽物じゃないと証明出来るとかそういう話なのかよ。

 「本当は自分を認めてほしいという一面も」(by公式の紹介ツイート)

 不言実行ってレベルじゃねえんだわここは流石に言葉も使え



 国広は、『写し』プレゼンターやってるがばかりに、『歴史を守る』という刀剣男士としての根本の概念の表出をしていません。できていません。
 それを刀剣乱舞というゲームにおいてとするかとするか。
 ……ひとまず、話を続けるためにとしてそれを納得するための解体をします。


 ……そうしたらですよ。
 国広が何で刀剣男士になったかっていうのをどうにか考えるとしたら、マジで、マジで『写し』プレゼンターとして、2205年及び2010~20年代に殴り込んできた、みたいな方向性でおかしくないかもしれない。
 お前らに正しく、そして新しい『写し』概念を刻みつけてやるからな、って。

 勿論この辺、物語設定レベルでの『誤解しまくってた奴ら誰だよ問題』とか、メタ的に刀剣乱舞くんが付与した故の結果なのかとか、考えることはまた出てきちゃうんですけど、
 国広のキャラクターの方向性としてガチでそもそも歴史守る云々が二の次でこうなのだとしたら……ええ……


 しかもそうだった場合は、今度は自分だけじゃなくて他の『写し』の概念も背負ってるんですよ。
 ちょっと待てお前『写し』の代表の自覚がマジであるってのかよ。
 が写しとしては最も有名である、そんなが、ですら写しへの誤解を払拭できない、その上で『俺』に名(物語)が無いから強くなって云々、

 一周年台詞「いい加減、写しとは何かということは広まっただろうか」



 (俺の強さで以て偽物なんかじゃないと広まれば。


 我が強ェんだわ。

※ここで『歴史(元ネタ)に申し訳なくて云々、責任感が強くて云々、コンプレックス悪化の卑屈化で自分に自信が無くなっちゃって云々』みたく可愛げがある方向に感じるかは人によると思うので、その辺はつっこみません。
 ていうかそのくらいの可愛げあってくれた方が助かるが……
(何で私が可愛げのない方向の印象持ってるかって、戦闘時の圧とかが可愛げないからですかね……)


 ……そりゃ極国広の圧あれだけ強くなるわ。


 ……いやあの、この流れがマジで刀剣男士になるよって政府に応えた動機(この辺は根幹設定に関わることなんで概念として察してください)だとするとさあ。

 刀剣男士として特殊すぎるだろうがよ。


 なんかもう本当にもしそうだったら、「歴史(元ネタ)に失礼じゃない?」とか個人的にはすっ飛ぶんですよね……いやまあそれならリスペクト表出してる余裕ねえな的な……優先することがあるんじゃ仕方ねえな的な……その挑戦自体は買うからやってみろよ的な……気分に……なる気も……するような……

 唯一の救いというか何と言うか、刀剣男士としては特殊という意味での同類が一応居て、それが蜂須賀です。
 彼も、『真作と贋作』を我々にプレゼンする役目。元主の所じゃなくて、自分という真作が打たれた概念を強化しようとして修行に行きましたし。
 強い言葉などで誤解を受けやすい点も共通しています。
 ただ、蜂須賀はそこで、別の結論・概念を付与されました。
 もう本当に……本当に……蜂須賀は……真面目で……良い子で……あんなに優しくて……どうして今こんな不遇な……初期刀なのに回想すらない……どうして……
 (脱線)

 国広が持ってるのはこういった数々のツッコミどころを抱えた概念たちです。
 圧縮されすぎだが?

 この辺りまでが、ひとまず最初に仮定してみた、
・刀剣における『本歌と写し』概念のプレゼンター
・コンプレックスを克服して成長する王道主人公属性
 の成立の推察、およびツッコミ所の解体になります(解決するとは言ってない)。
 長いわ。

 ここでこれらの国広の設定に対してイチ審神者の感想を一言。

 でけえ上にキツい仕事が多くねえか?

 (ソハヤは写しプレゼンターを手伝ってくれてるのかどうかイマイチ分かんねえし、実質一振りでやってるんだよなあ……)


* * *


<山姥切長義の『偽物くん』について>


 国広の解きほぐしがひと段落ついたとし、ちょっとずつ長義と絡めていきたいと思います。

 これ散々っぱら言われてることですけど、『偽物くん』発言周りのごたつき心底不毛。これについては多くの人が考えていて、解体そのものは結構されてるとは思います。
 なので、私も自分なりに解体していきたいと思います。

 では今回の仮定です。
 国広と長義について周囲(読み手)が感じる数々の摩擦、これは複数の独立して考えるべき要素の混線によるものではないか、という話。

 何が混線しているか。
 例というか、関わってそうなやつを上げます。
 『本歌↔写し』
 『真作↔贋作』
 『オリジナル↔コピー』
 『本物↔偽物』
 『名(物語)の有↔無』

 これらの組み合わせの混線かな、と。
 例えば、蜂須賀で考えようとするならシンプルです。『真作↔贋作』『本物↔偽物』、この二つだけ考えれば良いので。

 でも、国広は前述の通り、写しプレゼンターとして『本歌↔写し』『本物↔偽物』の他に、コンプレックス付与の為の『オリジナル↔コピー』がぶち込まれます。そしてそれは即ち『名(物語)の有↔無』です。
 渋滞してんなあ。

 ここで登場させます、山姥切長義。
 最重要発言「偽物くん」

 この時点で、我々審神者プレイヤーは、国広からしっかり写しプレゼンを受けています。
 だから、国広がずっと勘違いしてくれるなよと言っていた『偽物』の概念を刻み込まれているわけです。
 つまりこの時に審神者が想起する『偽物』十把一絡げに『本物を真似ただけのまがいもの(めっちゃネガティブな意味)』的な意図の言葉になります。

 そんな言葉を国広に使いやがった長義てめえ、に一瞬なるんですけど。
 すぐ違和感を覚えると思うんですが、山姥切長義にとっての『偽物』は審神者が最初に想起した『偽物』とは全く別の概念の『偽物』なわけです。


 長義は、『名(物語)の有↔無』『本物↔偽物』を組み合わせた軸で話してるんですね。
 「山姥切という名(物語)を持つ(有る)のは俺だ。お前に山姥切の名(物語)は無い」「俺が本物ならば、お前は偽物だ」という流れです。
 何も間違ってないです。

 しかし、我々は混乱します。何故か。
 写しプレゼンター軸『本歌↔写し』と『本物↔偽物』
 コンプレックス軸『オリジナル↔コピー』と『名(物語)の有↔無』
 ここが混線したからです。

 下手か!!!!!

 いや……下手っていうかここ……わざとなのかどうなのか……分かんないんですけど……いやほんと……後述の事態を考えるとマジでわざとでもおかしくないっていうか……いやいやいや……
 「もう審神者たちは写し概念や国広が嫌がる意味の偽物の言葉の概念分かってるよね! 次のターンに進むよ!」のつもり……とか……言えるのかも……知れない……が……

 写しプレゼンター軸の『偽物』というのは、何度も言うように十把一絡げに『本物を真似ただけのまがいもの(めっちゃネガティブな意味)』的な意図の言葉、『贋作』概念まで内包しかねない言葉です。蜂須賀担当の軸まで入って来るの止めてくれ。

 そんな言葉を使って来た長義。

 混線して混乱した審神者はまあ、あっちこっち転がります。
 どこを誤読してしまうか。どこまで噛み砕いて納得するか。どこから補足・補間を持ってくるか。どこをツッコミどころにするか。


 一番最悪な、誤読しちゃう例を考えるなら例えば、

 国広に対しては『彼は『写し』であることそのものについて滅茶苦茶ネガティブに思っていてコンプレックスになっている』と誤読して、
 長義に対しては『彼は自分の写しである国広の事を『(国広がずっと嫌がってきた意味での)偽物』だとなじっている』と誤読した場合。

 まあ……目も……当てられません……よね……

 この場合、長義はプレゼンター軸の『本歌↔写し』までなじってるし、『写し』概念に喧嘩売ってることになりますし、国広のコンプレックスを悪い方向に刺激して貶めるとかいうとんでもない攻撃をしていることになります。
 因みにさらに誤読を重ねるなら、国広を成長させるための前提条件としての挫折や克服すべき壁を、『コンプレックス』じゃなくて『辛い過去(偽物と謗られてきた)からのトラウマ』みたいなものだと考えてしまうと、地獄度がマシマシのマシになりますね。

 で、これらをマトモに受けた場合に長義に向ける評価は、『国広や写しのことをろくに分かってない愚か者』になるわけです。挙句に『高慢』と合わさったら大事故です。
 ひっでえ話だよ。

(まあこれらを『誤読』とする私が間違ってると言われたらどうにもならんのですが)

 ただでさえ長義は、初めて国広を『偽物』と呼んだ、しかもよりによって本歌が、という存在になったことで、我々に強烈な印象を植え付ける
 そこで印象の方向性が順当な方を向いてないと大事故が起こります。
 ここで慎重にフラットにならないと、山姥切問題は詰みます。


 閑話休題。

 ここまでの話をもし何らかの形で納得していただけていた場合は、分かっていただけるんじゃないかと思うんですけど、国広も長義も、彼ら自身はマジ、マジで、マジで何も悪くないと思うんです……
 特に国広が持つ概念のあまりの圧縮・説明端折り具合、これはどう考えても刀剣乱舞くんの演出力がガチでバカだということで……「国広は言葉が足りない」と単純に責めるのは、ちょっとあの、あんまりにもあんまりじゃないかと……思ってしまい……私は……国広が好きで……はい……
 彼ら自身は言ってることもやってることも何も悪くないのに、演出がアレすぎるせいで、誤解されまくって、いらないヘイト生んで、そこでまた不要な火種が弾けるのあまりにも不毛で……
 だから自分の中でだけでも、ちょっとでも二振りを良い方向に持ってけるようにしたくて……はい……
 ……良かったらもうちょっと……お付き合いください……

 閑話休題おわり。

 ここまでで、ひとまず「国広も長義も悪いこと・間違ってること言ってないよ」、ということにします。
 我々にちゃんと伝えられてるかは置いといて。
 伝えられてないのは刀剣乱舞くんがド下手なせい!!


 * * *

<ふたつの山姥切>


 山姥切二振りについて、何故こんなに紛糾するか。
 一言で言うと、
 『前述までの誤読誤解エトセトラの上に
  二振りとも、お互いに向ける感情が見えないから』だと思います。

 二人が互いにどんな感情を向けあっているのか。
 見えない。見つからない。探しても出てこない。
 好意か悪意か、ポジティブかネガティブか。
 そんな根本的なレベルから分からない。

 だから、自分の読解に自信が持てない。誤読誤解を修正できない。
 それで拗れる、のではないかと。

 なので、次の仮定は
 『彼らは互いをどう思っているのかの仮説』くらいでやっていこうかと。
 思うん。ですが。


 まず大前提中の大前提として。

 私は先程いくつかの『軸』を上げました。
 この中の『本歌↔写し』と『名(物語)の有↔無』について。
 またこれまでの組み合わせと違う。混線しやがる。勘弁してくれ。注意していただけると嬉しい……

 刀剣男士にとって〝物語〟がとても重要であることは確かです。ここは疑いようが無いと思います。
 で、『山姥切』という刀二振りについては、

 『本歌と写し』と『名(物語)の元になった伝説』
 
という二つの〝物語〟があります。

 どちらもとても大切なものです。


 しかし。
 簡単に言うとこの二振り。

『本歌↔写し』軸での会話・交流を一ッッッッッ切、していません。

 回想でやったのは長義が設定した『名(物語)の有↔無』+『本物↔偽物』軸、つまり『名(物語)の元になった伝説』のものだけです。しかも単純に見るとマジで現状確認しかしてねえ。

 二振りとも、『本歌と写し』としての態度を全然表出してないんです。
 『本歌として写しを・写しとして本歌をどう思っているか』というのは未だにブラックボックスです。
 片方初期刀やぞ。


 ていうか国広はずっと『写し』プレゼンやらせてたキャラやぞ。『本歌』のこと考えてないとかある?

 ……マジで見えないんだよなァ……

 あれだけ「歴史(元ネタ)に失礼じゃない?」印象を持たれるのも、正にこの辺りです。
 国広は『写し』プレゼンやってるばかりに、『山姥切』、つまり『名(物語)の有↔無』軸しか表出できてないんです。


 そんなことある???


 で、長義も本当に表出が無いんですよね。

 山姥切長義はそもそも、刀としては本名ではない、という論があります。
 「本作長義(以下58字略)」「山姥切本歌」こと「刀 銘 本作長義天正十八年庚刁五月三日ニ九州日向住国広銘打 天正十四年七月二十一日小田原参府之時従 屋形様被下置成 長尾新五郎平朝臣顕長所持」(by徳美さんのツイート)

 これはもうマジで『本歌と写し』概念そのまんまです。

 しかし、わざわざ『山姥切』の名(物語)の方に拘らせている。
 で、国広のように『写し』プレゼンターの役割(からの名(物語)の有無への執着)みたいなものを持ってるように見えないから、
 国広よりそれ周りの執着の仕方が『浅く』見える。
 だから二振りの問題になった時、国広より『小物』に感じてしまうことがあるんです。
 ここ不満ポイントですよね。
 修行を待つしかない。つらい。
 そのくせメディアミックスでよく分からん扱いされてるから振り回される。

 今の時点でどうにか他に軸見つけてみせようじゃねえか、軸。



 この双方に『本歌と写し』感情が見えない件、『見えない』というのが厄介で。
 見つけることができないけれど、逆に『本当に無いのかすらも分からない』んですね。
 刀剣乱舞くんが情報少ないコンテンツだということを差し引いても、この二振りについては本当にその辺が分からない、分かりにくい。
 何か有るように見える時も、何も無いように見える時もある。
 印象がブレる。だから混乱する。

 刀剣乱舞くんがこんなことにしてる理由。ここが分からない我々はこう思うしかありません。

 刀剣乱舞くん(妄想)「大体想像つくでしょ? そこ創作していいよ!(そのうち開示するかも知れないけど!)」
 おれたち(なう)「いくら何でもぶん投げすぎだが?

 現状様々なところで混線・誤読・誤解・混乱その他を起こして意味分からんことになっている関係性の二振りなのに、絶対的に重要極まりない要素をこの期に及んでブラックボックスのままにしてんじゃねえ!! という印象にしかならない。

(そのうち開示するかも知れないけど!)、はつまり極とかその辺のアレです。
『二人の関係性はそもそも拗らせるつもりだったよ! 後からの情報でどんでん返しするからそれまで好きに楽しんでね!』とかになる……のかもしれない……ですが……
 長谷部+日本号の回想とかそういう感じと言えばそうだったし……
 でも多分拗らせ方が刀剣乱舞くんの想定してたものより明らかに大分悪い方向に認知されてると思うんで……そうであったとしても回収しきれるのか……? みたいな……

 こんな状態であっても、我々は創作したい。妄想したい。
 だってこの二振りに魅力を感じたから。
 でも、シリアスに創作しようとしたが最後、マトモに組み合ったら詰みまくるというか。
 彼らを解きほぐせないまま、それでも彼らを見つけたいとなった場合、彼らの根本的な存在意義のレベルから、何かを誤魔化す・何かを見ない振りする・何かを付与する・何かを……ってやってかなきゃいけなくなる。
 それで、解きほぐせてないままなので、自分が何に躓いてそれを誤魔化すなり何なりしてるのかも分からなくなる。
 だからもう、良心でやってく。『本歌と写しって言うからには悪い関係じゃないだろう』『本歌は写しを可愛がり写しは本歌を慕うはずだ』みたいなやつ。
 それに、その他に見えるキャラクター性を合わせて、『とある本丸』の二振りの像を構築していく。
 しかしそれには後ろ盾がないままです。


 刀剣乱舞くんが、『刀剣における『写し』概念』については、国広を使ってキッチリ説明しようとしてるのは分かります。
 そしてそれは悪い方向ではないが、演出がド下手なせいであちこち印象が悪い。
 そこはほどほどに解きほぐし、キャラは悪くないよ、下手だけど悪く書こうとはしてないよ、までは言えました。



 しかし、刀剣乱舞くんが、『本歌と写し』を物語上どう使いたいか、っていうのは、まだどう受け止めていいか分からない。

 写しの刀剣男士、国広もソハヤも、どうやら本歌概念を何らかの指標として設定してるっぽい。
 で、その時に、写したちが本歌に対して向ける態度や感情はどんなものかって見た時、表面的にはコンプレックスっぽいもの、ネガティブ方向の概念しか見えない
 その後の創作の方向性が『本歌と写し』概念に対してポジティブなのかネガティブなのか、それだけでも分かれば、批判のしようがあるんですけど、分からなくて……描写がないから……
 だから描写がない、ということを批判するしかなくて……キャラの評価まで行かないんです。

 まさか悪い方向に使うわけはないだろ、って、それくらいは信じてますけども。
 刀剣乱舞くん、根本的に描写が足りなさ過ぎるコンテンツですが、それでも足りないなりに楽しめるように作れてるところもたくさんあります。
 でも山姥切問題って、それで引っ掛かっちゃう人って、
 『本歌と写し』の関係性をどういうつもりで受け取ればいいのか、
 が分からないとある意味どうしようもないじゃないですか。
 ここが分からないからモヤってる、刀剣乱舞くんの良心を信じられない訳じゃないですか。

 でも、そしたらいつまで経っても先に進めない。
 だから今回は、二振りが大好きな者として、刀剣乱舞くんの良心を取り敢えずあるものとし、どちらもハッピー解釈になるような方向で考えられるルートを探していきます。
 ご了承ください。

 なのでここからは特に解釈願望妄想の色が濃くなりそうな気がする……何かそんな感じでお読みください……
 極国広についてもこの辺から触れていきます。
 彼については持たれている印象も持たされている概念もガチでアホかというほど複雑なので、読解レイヤーと解釈レイヤーと願望妄想レイヤーが変に混ざっちゃうかも知れないんですが、自覚できたら注釈入れたいです。



 さて。
 ここまでの前提のもと、それぞれへの感情は直接は描写されていないとして。
 でもどっからか推し量れないだろうかと。
 推し量るための材料をピックアップ→組み立てられないかと。

 まず国広から試してみます。
 国広は長義をどう思っているだろうか。

 そりゃコンプレックス持ってるでしょ、という言が出るのは当然として。じゃあどんなコンプレックスなのか。
『立派な名(物語)を持っていてすごいなあ、なのに俺は』
 ですね。簡単に分かるのはそれだけ。ですがこれは、長義だけでなく他の刀にも向けてるコンプレックスです。
 前述の通り、オリジナルの名(物語)を持っていない刀剣男士は彼だけですからね。

 「相手は名だたる名剣名刀。なのに俺は」

 じゃあ長義のみに対して向けるものはあるのか?
 色々考えていってみます。

 ここで例えば、二振りの回想を見てみます。とりあえず特国広の方で。
 長義に「お前は俺の『偽物』だ」と言われた特国広。我々にとってはインパクトがでかいが、さて彼自身はどんな思いを持つだろうか?

 長義の言う『偽物』の意味については前述しました。
 つまり、名(物語)のオリジナルである長義から、長義の定義している意味で言われる『偽物』だけは、国広にとって、国広が写しプレゼンターとして否定しなければならないものではなく、純然たる事実です。
 国広からしたら、「そうです」以外の何ものでもない。
 だから、国広が常々嫌がっている『偽物』ワードに対するような反応は、長義には向けられません。
 何も間違ってないのでね。

 まあ、『偽物』という単語が国広にとって嫌なものなのはおかしくないなと思うんで、不快感くらいは出るでしょうけど。
 でも誤解とかはしてないはずです。長義に「お前の言う『偽物』って?」ってちゃんと確認してますし。長義それに丁寧に答えてますし。

 あと、「お前には名(物語)が無い」と言われたので、コンプレックスは刺激されたでしょう。

 あとはそうだなあ……国広は『山姥切の名(物語)』を自分のものだとは欠片も思っていない、というのは前述しました。で、それに対しての態度は、『山姥切の名(物語)によらない強さが欲しい』。
 長義こそが『山姥切』だとしっかり認識しているし、それを邪魔するつもりもないはずです。
 だから、意図せずして長義が『山姥切』という名(物語)を名乗るのを邪魔してしまっているという事実への不本意感。国広に可愛げがあれば、罪悪感くらいまではいくかと。
 特国広の「……そんなことは」はそういうことでしょうし。

 で、ここからが本来であれば創作の入り所なわけじゃないですか。
 特国広の感情としてなら例えば『尊敬している本歌に嫌な言葉を言われて悲しい』とか『憎たらしい本歌にまだ名(物語)を持てていないと指摘されて悔しい』みたいなのができると思う。
 でもこれマジでただの妄想です。そもそも元の情報が無いから。
 『本歌と写し』軸の情報が無いから、国広に惹起されるであろう感情を考えるためのベースが無い。
 国広が本歌のことを、慕ってるのか尊敬してるのか憧れてるのか憎んでいるのか恨んでいるのかその他なのか、上記の台詞の( )内に相当するものが、マジで根本的に、方向性すら何にも分からない
 だから、これはなんとか読み解けるな、と持ってきたコンプレックスや不本意感や罪悪感を、それ以上に修飾できない

 全部妄想しようぜ!

 ……ええ……




 で、ここで極国広出しちゃいますね。
 ここから少し長いです。

 いや~極国広の対応、ボロクソ言われてますよね。
 理由を説明すると

 『あんなに長義が大事にしている(前述の通りここが既にツッコミ所ではある)山姥切の名前は、お前にとってだって重要な名前は、極になったお前にはもうどうでもいいものなのか、そんなの長義のことを軽視してるじゃないか、本歌と写しの関係性はお前の中でどうなってるんだ!(こっちはめっちゃネガティブなもんだと受け取ったぞ!)(大訳)』

 みたいな印象を受ける、からなんですけど。

 この印象、全然根拠、無いんですよね。
 マジで、無い。


 あの、はい、今までの流れを正としたらですね。
 国広にとって、山姥切の名(物語)が『どうでもいい』のは、ある意味でそうとしか言えないと思います。元々国広が欲しかったの、名(物語)になり得るだけの『強さ』、『山姥切』以外の『強さ』のある名(物語)ですし。つまり特国広にとっても『どうでもいい』のは変わらないです。

 で、果たしてそれは悪いことなのか?


 刀剣男士の国広は『写し』をプレゼンしたい。貶められている『写し』概念を払拭し、自分の誇りを世界に示したい。
 それは、そもそもは国広のものではない『山姥切』の名(物語)を肯定するだけでは成しえない。
 国広が『山姥切』の名(物語)の下に収まっている限り、国広は『傑作の自分』も『写し』概念も『写しとして傑作となった自分』も、世界に誇りとして示せない。

 だから、『山姥切』の名(物語)ではない、『強さ』のある名(物語)を望む。

 この流れは、『山姥切』の名(物語)を軽視していることになるのかな。

 ……国広は『写し』プレゼンやってるばかりに、『山姥切』、つまり『名(物語)の有↔無』軸しか表出していない、できていないです。
 それが責められるべきことかどうかとは別に。

 写しでも、写しであること以外のオリジナルの名(物語)を持つ程の存在感を得て、逆説的に自身と本歌の名(物語)を強化する、みたいな方向に殴り込んでくのは悪いことなのか。
 前述の国広の刀剣男士としての目的がガチで正だとしたら、他の刀剣男士と役割も目的も確かに違いますし
 とんでもねえ逸話(物語)持ちのソハヤにも発破かけられてんですよ。「お前の物語を作りな」って。

 で、国広自身にとっては『どうでもいい』『山姥切』の名(物語)ですけど、そもそも「『山姥切』は長義のものだ」って思ってんですよ。どうでもいいかよくないか以前の話です。

 長義がどうでもいいどころか、そもそも『山姥切長義』を一番肯定してるの、国広なのでは?

 何か、メディアミックスにおいて、長義ってひたすら周りから長義呼びされてるって聞いてるんですけど、それが事実なら尚更です。


 国広は、確かに『写しは本歌の名前を背負ってこそだろお説教』を受けてしかるべき設定を持っています。
 しかし、少なくとも『長義が山姥切であることを軽視しているか』は絶対に否です。

 ですが同時に、確かに、『写しは本歌の名前を背負ってこそだろお説教』の際に、お説教する側が「お前はこういう感情を長義に向けるべきだろう」という類のものは見えません。
 長義がいなかったら国広は存在しえない。
 そんな根本的な事実から我々が自然に想起しうるポジティブな感情――感謝や敬意、憧憬や好意といったもの。
 確かに見えません。
 だから何様だって思う、軽視してると感じる。
 歴史(元ネタ)に対して失礼だろ案件。


 でも思い出してください。そもそも『本歌と写し』軸の情報が無いから、国広に惹起される感情を考えるためのベースはありません。
 『写しとしての国広が本歌としての長義に向ける感情』は、見えません。ただそれだけです。
 有るかどうか判断するための情報がない。
 無いと判断するための情報すら無い。
 無いと判断できないなら、現状お説教する道理がありません。
 「お前はこういう感情を長義に向けるべきだろう」という感情を国広が持っているのか、持っていなくて国広が『悪い』のか。それは分からないんです。ガチで。

 極国広をボロクソに評価してしまうような印象はどこからくるのか。
 ここは解体しておいた方が良い。『国広の情報が無くて国広が意味分からない情報を持ってない国広が悪い。だからネガティブな評価をする』んだと。

 でもさ……『あるべき描写(情報)が無いから、それはもう国広には無いのだ』と判断し、それで国広をネガティブに評価する、という流れは、圧縮されまくって誤解受けまくってる国広に対して、いい加減酷じゃね? と感じられても良いんじゃないかな……(写しプレゼンターでクソ程忙しいのは前述の通りですし……)
 描写(情報)が無い、ことに対して国広は何も悪くないです、上手く演出できてない刀剣乱舞くんがド下手。
 でも矛先は国広に向きます。おまえはいつもそうだな……

 常に「国広は悪くない、上手く演出できていない刀剣乱舞くんがド下手」を頭に入れ続けていかないと、国広にどんどん負の印象を持ってしまって、フラットな判断ができなくなる
 それで拗れるのアホくさいじゃないですか……



 ……ここで極国広についての解体を始めます。

 国広の修行で、彼に一体何が起こったのか、という点。
 「特ならまだ許せたのに、極の態度は何事だ!」みたいな印象の理由を解体したい。


 今まで、国広の目的は『オリジナルの名(物語)を得る程に強くなり、強さを持つオリジナルの名(物語)を得ること』という長ったらしい仮定の下で進めてきました。
 これは、国広の手紙から想起したものでもあります。
 国広が修行に行くのは、

 「強くなりたい」
 「誰よりも強くなれば、俺は山姥切の写しとしての評価じゃなく、俺としての評価で独り立ちできる」

 と思ったから。

 この時点で妙な感じに圧縮されてんだよなァ???

 あと、どうやってだよ、って話なんですけどね……
 三日月曰く、歴史を遡り、伝承を巡り、人々の思いを辿ることにより己を形作るものを確認する、ってのが修行らしいんですけど。
(ごめんなさい、今回この辺がちゃんと言語化出来てないです……ここが分かって以下の納得の仕方がぜんぶ崩れたらごめんなさいホント……)


 じゃあこの定義において『強くなる』って具体的に何よ?
 『誰よりも』の定義って何よ? 云々。

 えーと……強くなる、というのは、説明してみるとするなら、『活躍』のようなものかな、と思います。
 『山姥を切ったという伝説』のようなものですね。

 『山姥を斬ったという伝説』のような、『刀の名前』そのものにまで昇華されるような評価、逸話、歴史、その他諸々の概念、といったもの。

 それを得るくらいの活躍をする、その位『強く』なれば、名(物語)を持てる、持てる程に『強く』なった、と言えるのではないか。
 つまり、この辺りが『目的』かつ『目標』となります。


 そう、国広には『目的』だけではなく、『目標』があります。


 どうして散々『オリジナルの名(物語)を得る程に強くなり、強さを持つオリジナルの名(物語)を得ること』みたく長ったらしい解体の仕方をしているか。
 オリジナルの名(物語)を得るだけではいけないわけです。その名(物語)には写し概念を流布できるだけの『強さ』が要る。
 ここを把握しないといけないので。
 後述でもこの辺触れます。

 で、その『目標』って具体的に何よ? ってなった時。
 誰よりも強い、とは言うものの、最低限の目標はあるはずですね。
 まあ、『独り立ち』できるだけの強さは絶対に要りますよね。
 何からの独り立ちか?


 『山姥切』の名(物語)から
、ですね。


 ここでちゃんと、国広の『山姥切』への評価があると思えるんですね。

 ちゃんと重要だってのを感じられるんです。
 他にも名剣名刀はたくさんいる。その中で、
 自分が欲しいのは、『山姥切』の名(物語)から独り立ちできるくらい評価されるほどの『強さ』名(物語)なんだって。
 この時点で『どうでもいい』じゃないですよ。
 自分のアイデンティティに滅茶苦茶前向きに組み込んでますよ。


 ここで『強さ』の意味、『目標』があること、国広は長義を目標にしていることを正確に把握しておかないと、また国広に「失礼じゃない?」印象を持ってしまいます。

 国広について混乱している場合、国広の修行って「そんなに『山姥切』の名(物語)が嫌で、オリジナルの名(物語)さえ得られればいいのか」みたいな印象を受けてしまうんです。

 この辺が「極の態度は何事だ!」の印象の原因の一つではないか。
 こういう国広への印象は、国広に混乱している場合、最早反射で出てくるものです。引っ張られないようにしたい。
 まあ、ここでもやっぱり国広→長義への感情自体は分からないのでね……尊敬して目標にしているのか、憎いから絶対超えてやると思ってるのか、みたいなのが判断できない……だから混乱するんですが……

 で、国広がいざ修行に出たらですよ。


『目標』にしてた『山姥切の名(物語)とその強度』、何かすげえフワッフワなんだが?!


 ですよ。
 そりゃ動転するわ。
 どんだけそれを目指してやってきたと思ってんだ。

 でもこれ歴史(元ネタ)と別にかけ離れてないし、むしろ確かに無視する方がおかしいやつだし……
 ここを刀剣乱舞くんが使うこと自体は悪くないし……


 「案外、どちらも山姥を斬ったりなんかしていないのかもな」
 これは、滅茶苦茶、滅茶苦茶ヤバいことです。
 『山姥切』が長義のものでも国広のものでもないなら、長義は『本歌山姥切』にもならないし、『本作長義』の『本作』も概念強度が薄まる(だって『山姥切国広』あっての『本作』、正確には〝銘〟だから)し、国広は『長義写し』くらいの名になってしまう。


 『本歌と写しのどちらが名(物語)のオリジナルなのか判然としない』
とされる歴史(元ネタ)がある。
 確かにこれはふたつの山姥切の特性です。   
 この二振りは互いの名(物語)を互いに補強し合う関係である。   


 それを擬人化されたキャラなら、互いが互いを疎むのはおかしいよ、二振りは仲良くないとおかしいよ、みたいな印象・ツッコミは、他の『本歌と写し』以上に、本当に本当に本当に正当なものです。
 でも刀剣乱舞くんは単純にそっち方面に持ってくことをしなかった


 刀剣乱舞くんは、ずっと
 『長義の方が山姥切を斬った』
 『国広はそういうオリジナルの物語を持ってないのがコンプレックス』
 という前提で我々にお出ししてきた。
 それは歴史の一説として正しく、それを採用したんだな、と思わせてきた。
 私だって前述まではその前提で解きほぐしをしてきた。

 それをブチ壊して『で、この二振り(及び本歌と写し概念)のことどう思う?』ってやってきたんですよ。
 上等じゃねえかやってやんよ


 で、国広はそうやって修行の『目標』が予想外の方向から外された(ていうかもうガチで存在定義そのものから揺るがされた)訳ですが、じゃあ何を修行すれば良いのか。

 国広の修行、『目的』は〝物語〟を得ること。
 国広は、オリジナルの〝名〟となり得る〝物語(活躍などのエピソード)及びその強度〟、というものが、自身の名(物語、存在定義)の為に必ずしも必要なものではない、と気付きました。
  では、本当に必要なものとは何か? 絶対的に必要なものというのが、そもそもあるのか?

 それは、国広自身もまだちゃんと分かっていません。

 「名は、俺たちの物語のひとつでしかない」
 「俺たちが何によって形作られたのか。それを知ることで強くもなれる。けれど、もっと大切なことがあるのだと思う」
 「俺もまだ考えている。……こうして戦いながら」

 そう、分かってないんです。マジで。

 あのさあ、キャラ単品で考えたら、言葉が足りない云々レベルじゃなくてマジで極2あっておかしくないの正気か?
 極長義との回想で回収できるのかこれ。
 いやまあ、ここでようやく『本歌と写し』を持ってきたりするのかも……知れない……が……現状希望的観測にしか……

 もうさあ、他の刀剣男士と役割が違うかもしれないことをここでも感じさせてくるのやめてくれ。
 マジで刀剣乱舞くんの主人公にしてんじゃねえんだわ。

 ……けれど、そんな中でも国広が自信を持って確かに自分の〝物語〟だと確信できるものがあります。
 絶対的な歴史であり国広がずっと持ってきた自負『堀川国広の一番の傑作であること』と、
 絶対的な現在の事実である『今の主(審神者)の刀であること』。
 だから、この二つを今の自分の〝物語〟の軸にしよう、と結論した。
 「俺は堀川国広が打った傑作で、今はあんたに見出されてここにいる。本当に大事なことなんて、それくらいなんだな」

 こうして出来上がったのが極国広です。
 何もおかしく……ない……悪く……ない……と思うんですが……どうですかね……

 これねえ、こっちが何に戸惑うかって、
 国広のキャラクターの根幹だと思ってきた『コンプレックス』明後日の方向から解決しちゃった、っていうか無くなっちゃったんですね。
 それでいいの?! みたいな。
 本当の意味で〝成長した〟?! みたいな。
 挙句に『まだよく分かってない』だし……

 だから、『ちゃんと〝成長して〟ああいう変化(180°レベルのキャラ印象変化)したんだ』って思えないんじゃないか。
 そのせいで何偉そうにしてんだ、みたいな印象を受けるんじゃないかな。


 いやでも……マジで存在定義の根幹から揺るがされちゃったから……全然別の問題乗っけられちゃったからさあ……
 まさかキャラクターの方向性がそもそも変わるとは思わねえじゃんよ……
 成長概念の方向性すら変わると思わねえじゃんよ……

 国広というキャラクターにコンプレックスがある、と認識した時。
 私は、それは何かが未熟故に成長をせねばならない、みたいな認識を持ったんです。セオリーだから。
 でもコンプレックス自体が何かよく分からんことになった。
 そもそも国広は未熟じゃなかった
 セオリーから想起される類の成長(変化)をする必要が無かった。

 受ける印象の大前提から覆されるようなものです。

 どうしてこうなった???

 総じて言うと、国広のキャラクター性の方向として、
 「自分に自信がない、嫌いなので曇っている」(未熟)
 「実力を得る、または周囲からの正しい認識を得てそれを払拭する」(成長)
 みたいなセオリーを少しでも想定していると、何もかもが吹っ飛ぶんですよ。
 前者の誤解は国広の章で頑張って解体してますね……
 後者の方がはい……今……
 (例えば不動は本当にこれで良いんですけどね……?? 彼は分かりやすさという面でもめちゃくちゃいい子だな……)


 私が最初に『印象』から仮定した、
・コンプレックスを克服して成長する王道主人公属性
 というのは、コンプレックスの成立部分とかで全部間違ってはいないとは思うものの、
 『克服して成長する』の部分が大分違ェんだな?!
 という話になりました。
 極める前までならいい線行ってると思うんだけどな……

 更に、この時点で『写し』プレゼンターとしても一旦動けなくなります。
 今の国広には、『写し』が認められるためには、歴史に残る為には何が必要か、ということが分からなくなっているので。
 直近で動く必要もなくなりますしね。だって我々(審神者)はもうプレゼン受けて『写し』を分かってるんですから。

「俺は偽物なんかじゃない。あんたの為の傑作。そうだろう?」

 ……曇る必要が無くなって本来の我の強さを全面に押し出してきたらこの圧だよ……

 以上が私が行った『国広が極になった時に起こった事態』の解体結果です。
 何だこれは。



 で、ここで改めて考えてみたいんですけど。
 この時点で、国広、ずっと目的としてきた『山姥切』を含むオリジナルの名(物語)のこと、もう要らないとか、どうでもいいとか、思ってますかね。

 分かってないと思います。

 考えてる途中。自分でもどう表現していいか分からない、そういう状態なんじゃないかな。
 存在定義の根幹から揺るがされてるんですよ。
 そう簡単に答えは出ないでしょう。



 刀剣乱舞くんは『山姥切長義と山姥切国広』から『本歌と写し』をどう持っていきたいのか『名(物語)の有無』について何が言いたいのか。
 今のところガチで分からないと分かるのがこの辺です。

 刀剣乱舞くんは、現状ガチで『本歌と写し』と『名(物語)の有無』の関係性を解体してるんです。

 ガチの根幹に突っ込んできた刀剣乱舞くんは勇気あるよ……(蛮勇かも知れない)(正味わざと狙ってんのかも分からないしさあ……)

 ……この章の前提を振り返っていただきたいんですが、
 長義が今のところ、わざわざ『山姥切』の名(物語)に拘っているという設定をされている件。
 それをどういう方向に持って行きたいのか分からないから、我々は不安だし不満なんですけど……
 マジでわざと分からねえようにしてんのかこれ。
 本気で極長義で何とかしようとしてんのかこれ。

 どう持ってく気なんだ刀剣乱舞くん……いっそ何も考えてないと言ってくれた方が気が楽だ……

 また別方向から考えてみます。
 国広の手紙から。

 「写しの俺が、本科の存在感を食ってしまったようなものだ」

 ここから何を読み取るか。
 食って〝しまった〟というからには、意図したものではない。望んだものではない。
 長義が『山姥切長義』だと一番分かっていたのは国広です。
 長義から『山姥切』を奪いたい訳ではない。長義が『山姥切』を名乗ることを、邪魔したい訳ではない。
 少なくとも、長義が持つ名(物語)が、長義という刀・刀剣男士にとって重要なものだというのはずっと思ってきたはずです。

 でも前提が崩されちゃったんで。

 「名は、俺たちの物語のひとつでしかない」

 この台詞から、どういう印象を受け取るかどうか。
 国広自身が分かってない現状で、国広が辿り着いてない本心は何なのか。
 刀剣乱舞くんで『本歌と写し』はどうなっていくのか。


 この辺は最早読解解釈妄想云々とかじゃなくて、もう、それまで国広に抱いてきた印象、及び

 個々人の『本歌と写し』概念を始めとする刀の歴史への考え方による

 んじゃないかなと思います。

 ガチで問いかけられてるとかある??


 山姥切国広という刀剣男士に与えられている役割に「写しプレゼンター」「主人公属性」からの「マジモンの刀剣概念についてのプレゼンター(問題提起役)」までぶち込まれて来るのアホか?????
 多忙ってレベルじゃねえんだわ。
 そりゃ何やってんのか分かんなくなるし、何言いたいのか分かんなくなるし、こっちがどう受け取っていいか分かんなくなるわ。
 圧縮具合がおかしいわどうしてこうなった。

 そりゃあのくらい我が強くねえとやってらんねえわな……


 『ふたつの山姥切』
 という回想の名前、本気の本気でやばいのさあ……


 刀剣乱舞くん、この辺をマジで我々に考えて欲しいと思ってたりするのかなあ……「あなた方は刀が歴史に残る時大事なのは何だと思いますか? 作り手や持ち主の想い以外に。だってこんな例もありますけど」みたいな……これだけなら確かに……

 でもこれまでの演出がド下手にしか見えず、刀剣乱舞くんへの信頼なさすぎるんで妄想と言うことにさせてください……


 どうすっかな本当。




 で、この極国広の状態は確かに長義にとっては「何だそれ」案件です。

 という訳で、とんでもねえことになった国広を一旦置いといて、長義に挑戦してみたいと思います。
 長義は国広にどんな感情を抱いているか。

 長義は国広のことをろくに知らない、はずです。
 ……その程度がどのくらいかは分からない。この時点でそのレベルですら情報がない。
 回想から確かなのは、
 長義は長義の名を奪っていることについて国広がどう考えてるかは確認してないし、
 長義は国広のコンプレックスやそこからの目標についても把握しているか確認できないし、
 長義は極国広については修行で起こったことも分からない状態だろう、辺りです。
 で、回想で長義がしたのは現状の確認だけです。交流まで行ってねえ。
 その確認内容も、『本物↔偽物』+『名(物語)の有↔無』軸のものだけです。
 「写しのくせに生意気だ」的な、『本歌↔写し』軸を確認できる話は一切していない。前提の通りです。

 ではこんな情報の少ない回想で、長義→国広の感情その他はどう読み取っていけばいいのか?

 例えば、摩擦の多い極国広ではどうか。

★挑戦例(これ失敗するので面倒だったら飛ばしてください)(誤読の例みたいなものです)

 本来、『写し』は『本歌』の名を背負わなければ認知自体されません。出自を誇りに思え案件です。「失礼じゃない?」案件です。

 ここから例えば、長義は、極国広に対して『こいつは認知されなくなっても良いのか?』と訝しんでるのではないか。『山姥切』の〝名〟を標榜しないなら、刀剣男士として成立すらしなくなるんじゃないのかよ、みたいな。

 でもですよ、『出自を誇りに思え案件』、我々が国広について感じるツッコミ案件、これについては、長義が同様に感じているかどうか、我々には分かりません。

 長義の動揺について、確実なのは『長義は国広の言葉の意味が理解できず、混乱した』ということだけです。
 それに付随する感情は、回想には描写されていません。

 で、この時我々が、長義がそれらに対する反応をする時にベースとなるであろう、長義から国広への根本的であろう感情、『本歌として写しに向ける感情』がちゃんと分かっていない場合、
 長義が怒るのか悲しむのかすら分からないはずなんですよ。

 我々が「長義はきっとこう感じるだろう」と判断する時があったとして、それが刀剣乱舞くんの『公式設定』から想起した部分がどれだけあるのか。

 ベースとなる『本歌として写しに向ける感情』の『公式設定』がろくに見えない状態では、反射的に自分が感じている印象を、彼の感情として当て嵌めてしまいがちです。
 そしたらもう読解なんて出来るわけないんです。どっちに肩入れしてるかで決まります。または、意味が分からなくなって、より意味が分からない方に責任を見出します
 国広へのツッコミ感情が大きい人なんて顕著ですよ。
 長義の『偽物くん』のインパクトが大きい人なんて顕著ですよ。
 不毛かよ。

 こういう所が、我々がフラットになれずに躓く部分じゃないかな。

 結論。極国広との回想において、長義の感情は動揺していること以外分からない、ここから長義→国広のベースの感情についてもほぼ情報を得られない、とします。



 じゃあどこから長義の国広への心境を推し量れば良いんだよ、ってなったとき、二つほど例を上げたいと思います。

 一つ目はとても分かりやすいやつ。
 素直に『長義→国広』が見える所。唯一ブラックボックスに入っていない、長義の感情が見える言葉だ、と考えてもいいのではというもの。
 聚楽第です。

 「実力を示せ」
 「がっかりさせるな」


 『長義→国広』で一番分かりやすい台詞じゃないでしょうか。
 この時点で国広は長義を長義と分かっていませんし、『本歌と写し』としての会話はやっぱり成り立っていません。
 ですが、長義が国広に向けている感情の方向性がポジティブなものだというのは確認できます。

 長義は国広にがっかりしたくない。国広は実力ある刀だと確認したい。だから発破をかける。

 長義は、国広にポジティブな方向の感情を向けている。

 この方向性を正とすれば、その後の読解、解釈、考察、創作や妄想の方向性も定まります。
 例え『偽物くん』で特大ネガティブな印象を受けたとしても、長義が『山姥切』に病的な執着を向けているみたいな印象で混乱するとしても、
 ベースとなる方向性をこれだと確信していれば、「何でこんなこと言うんだろう?」というツッコミが前向きなものとして始められます

 ただまあ、前述してきた通り、『偽物くん』のインパクトはあまりにも大きいので、そっちに引き摺られちゃうのはもう……普通のことだと思うんで……そっちをベースの方向性にすると、全て真逆になっていきますね……
 聚楽第の長義が「この俺が蹴落とす男が弱いなんて嫌だね、俺の踏み台になるかどうか実力を見せてもらおうか」みたく解釈されてたらまあ私のプレゼンは詰みです。
 以後の流れも全部真逆になるんで、そういう方は「つまりこの逆が自分の解釈なのね」ってつもりで見ていただければ。

 二つ目を提案してみます。
 回想を使います。国広の方で。

 前述のように、国広にとって長義の言う『偽物』は純然たる事実です。
 で、『偽物』という単語自体はめっちゃ嫌(だろう)。
 で、国広にとって長義は『山姥切』。
 自分の名のオリジナルの名(物語)を持つ相手としてきちんと認識し、目標とする名(物語)の強度を持つ相手から、めっちゃ嫌な単語で呼ばれるのは、長義を好きだろうが嫌いだろうがキツいんじゃないかなあ(これは感情を推し量る妄想)。
 で、こういう状況で何が起こるかというと。
 特国広の『『山姥切』は自分のものではないし、自分の名(物語)を持つために頑張る』という信念・目的が、強化される

 だって本歌山姥切に偽物と言われるの嫌だったら偽物じゃなくなればいいじゃん。
 やっぱりそっち方向でやってけばいいじゃん。

 我々にとって特大ネガティブ大問題発言であるはずの『偽物くん』て、特国広にとっては長義のことを好きだろうが嫌いだろうが単純にものすごく良い発破なんですよね。
 何よりも効果覿面な発破です。めっちゃ前向き。

 まあ、この事実自体は、割と容易に行きつくものです。
 国広が長義を好きだろうと嫌いだろうと、長義に悪意があろうとなかろうと、成立はするので。


 で、これ、長義の意図もマジで前向きな『発破をかける』であって良い、という話をしたい。
(ファーストインプレッションの聚楽第の時点で、長義→国広の想いをポジティブ方向だと認識・確信したので、『偽物くん』でびっくりしたけど、それをポジティブ方向に受け取れるよう考えた、という流れで言うんだと思ってくださいね)

 「ここ(本丸)には俺が居なかったんだから」「俺が居る以上、『山姥切』と認識されるべきは俺だ」
 これらを解体していくと、
 「俺が本丸で『山姥切』になる」「お前は『山姥切』ではなくなる」
 になります。
 長義が『やりたいこと』は分かりました。その結果国広が『どういう状態になるか』も。
 じゃあ長義はそのあと国広はどうすると思っているのか。
 今後の二人の関係の方向性がどうなっていくつもりなのか。

 それについての描写はないです。言いっぱなし。

 ここで『言いっぱなし』で終わらせると、確かに長義が悪意を持っている、という方向の印象は強くなります。(真に悪い意味での)偽物と謗って宣戦布告だけして去って行く、目的果たした後はどうでもいい、って捉えられますし。

 ですが、長義が回想の後も国広と本丸で何らかの関わりを持つつもりでこう言ったならば、『何らかの国広の反応を待っている』はずです。『国広がどう動くか確認する』はずです。

 「俺はこうするぞ。なら、お前はどうする気だ?
 この一文を補足してみる。

 一体何を想定しているのか。反論や反撃か? 何せ一見煽っていますし。
 が、それも回想中からは分かりません。

 しかし、他の情報と合わせて良いのであれば、ひとつ導ける流れがあります。
 聚楽第で「実力を示せ」って言ったんですよ。
 なら、

 「お前が『山姥切』ではない実力を示せ」

 じゃないですかね。

 今までの流れを全て正だとしたら。
 長義はあの高慢な態度で特国広にこう言っているんです。

「お前はそもそも『山姥切』ではない、俺が来たからにはお前は『山姥切』を名乗れなくなる。ならばお前自身の実力を示して、『山姥切』以外の名(物語)を名乗ってみろ」


 よりにもよって『山姥切』から、オリジナルの名(物語)を、それを得られる強さを手に入れて見せろと言われたんですよ。
 目標にしてる相手が、自分の目的を全肯定したんですよ。
 特国広にとって最高の発破では?

 この時点で『出自考えるなら本歌の名をちゃんと背負えよ』が長義側からも順当な流れとして崩され始めるんですよね。
 長義も国広にオリジナルの名(物語)を作って見せろって言う。
 本丸で、刀剣男士として、俺の名(物語)に寄らない、お前自身の名(物語)ができるだけの活躍を示せってことじゃないのかな。
 独り立ちしろって言ってるんじゃないのかな。
 国広の修行目的思いっきり肯定してますよ。

 で、ここでまた国広の目的かつ目標『オリジナルの名(物語)を得る程に強くなり、強さを持つオリジナルの名(物語)を得ること』という長ったらしい解体結果を見てみるんですけど、
 これつまり、特国広と長義にとっては
 『目的』≒『目標』
 オリジナルの名(物語)を得る≒『強さ』を得る

 なんですよね。

 どちらかを満たせば自然にそうなる
のは確か。
 しかし、完全なイコールではない

 で、極国広にとっては全然イコールじゃない、どころか諸々ぶっ壊れた
 自分という刀及び刀剣男士の名(存在)のために名(物語)が必須ではないらしいと気付いて考え中の状態です。

 ここで互いの認識が盛大にズレる。

 『自分こそが山姥切を斬ったという物語を持っている刀だ』と思っている(だろう)長義にとって、『山姥切の名(物語)』はとてもとても重要なもの、存在定義の根幹の一つのはずです。
 名(物語)のオリジナルであるはずの長義にとって、国広以上に重要なことです。
 特国広だってそこは重々承知してきた。
 なのに極国広の「名は物語のひとつでしかない」でそれをひっくり返されたから、長義は意味がわからず、あんなに動揺・混乱する。
 本当に、これ崩れたら滅茶苦茶やばい事になるはずなんですね。この動揺ぶりは正当なものです。
 『浅い』だの『小物』だのとんでもない。本気でやばい事態なんですよこれ……


 で、現状長義は、国広が直面した、マジモンの存在定義そのものを揺るがすとんでもない歴史というショックを受けてない。
 だからまあ、それを受け入れて一歩先に進んでいる国広の方が、上手に見えるのは確かじゃないかな。


 まあ、この件についてコミュニケーションが下手なのは、……まあ……うん……
 国広は、本歌と写し概念、引いては物語の有無軸その他について分からなくなっている。だからその軸の会話のしようがない。だから半分独り言というか……
 ただこれは対審神者じゃなくて、キャラ対キャラの会話だから……これについては国広がある程度下手打ってはいるのは……まあそもそも不言実行が行き過ぎてる男だしな……どうだろ……

 発破をかける。励ます。激励する。鼓舞する。喝を入れる。
 それが流れとして確かに確認できたし、強化できた。
 ならこう思って良いのでは。

 愛じゃん。


 これなら、刀剣乱舞くんがブラックボックスに入れっぱなしでろくに開示されない上に各種混線・誤読・誤解・混乱で訳分からんことになってる中で、どーにか長義の(国広との関係性における)『公式設定(方向性だけと言われればそうだが)』の一端を引っ張り出せたんじゃないかな??
 と、思いたいな~~~~????

 この方向性をもって、ようやく安心できる
 国広に持っている感情や、『本歌と写し』軸に対する考えや感情。
 それらについて解釈妄想創作その他した時、それがどんな感じに『公式設定』との距離感があるのか、把握できるようになるんじゃないかな。
 これすらないと本当にどうしようもないレベルなのどうかと思うが。

 おら長義の軸見つけてみせたからな勝ったぞ。


(長義が国広に発破をかける、っていうの、他のメディアミックスでも確認できないのかな……無双がそれっぽいのは把握してるんですが……この印象や解釈を持ってる人って結構多いんじゃないかと思ってるんですが……だって一番分かりやすいやつだし……)

 しかし、仮にこの流れが『公式設定』で正解だったとしても、それがどーにも流布していないなら、長義の国広への感情の真偽は錯綜しています。マジで長義がベースとして国広に悪意を持っている、またはろくに理解していない愚か者である、という考えは普通にあり続ける。
「この俺が蹴落とす男が弱いなんて嫌だね、俺の踏み台になるかどうか実力を見せてもらおうか」案件ですね。
 不毛かよ。

 さて、長義の方は今回の解体に置ける結論の目処がつきました。

 国広の方に戻ります。
 改めて、国広→長義を考えてみます。
 国広は、長義をどう思っているのか。

 …………わっかんねえ~~~~!!!!


 国広は、マジで、マジで、マジで長義への『公式設定』としての感情がブラックボックスです。
 ごめん本当に分からん。今回の解体で私には分からなかった……
 ただでさえ圧縮されてあらゆる本音が分かりにくいというのに、
 そこから何とか引っ張り出した国広自身の感情及び『本歌と写し』軸に使えそうな案件において、国広自身がガチで『答えが分かってない、定まってない、考え中』なんですよ……
 マジでどうすれば良いんだよ
 初期刀やぞお前。

 お前の本歌やぞ。
 普通に考えてさァ、ポジティブな感情持つはずだと思うだろうがよ。
 でもその方向性レベルですら肯定できる直接的な描写が無いから、混乱するしかない。
 混乱すると国広に負の印象を持ってしまう。それを払拭したくてこねくり回すと長義にとばっちりが行く。エンドレス。不毛かよ。


 ……ですが。
 感情、までは分かりませんが。
 国広の長義に対する態度として絶対的なものであれば三つあげられます。

 一つ目。
 極める前の特国広が持つ、『山姥切長義が『山姥切』である』という確実で正当な認識。
 そして、その事実に対し、ネガティブな感情は見えない。どう見ても見えない。これはもう『無い』と判断して良いくらいに見えない。(いやうーんここは私の願望かもですごめんなさい)
 それそのものには特別なコンプレックスすらないし。

 二つ目。
 特国広にとって長義は『目標』である。
 国広の修行についての解体で述べました。


 三つ目。

 極国広は、長義ともっと話したいのだということ。


 ……ぶっちゃけこれが全てじゃねえかなあ、と思うんですけどね。

 素直に受け取るには、邪魔するものが多すぎるんですよね。
 二振りに対して生じうる数々の誤解の上で考えるに、まず「長義がひどいこと言って国広が反論して言い負かした」みたいな印象受けかねないんでしょ……この時点で既に色々間違ってんのに、長義の本心に思い当たったら今度は国広がひどいって事になるんでしょ……長義の反応が気の毒に見えるから余計に何様だって印象受けたんでしょ……誤解のミルフィーユかよ……

 あまりにも不毛。

 何がアレって、これを刀剣乱舞くんが狙ってやってんのか、ガチで演出がゴミなのか分からないってことだよ……分からないってのがガチで悪いんだよ……刀剣乱舞くんさあ……


 国広→長義がポジティブなのかネガティブなのかはたまたどうでもいい無関心なのか、確かに直接的にはろくに見えません。
 しかし、

・特国広は長義=山姥切長義であると確信し、目標としていること
・極国広は、上記の前提が崩れても、長義ともっと話したい、という前向きな態度であること

 これらから、私は国広は特でも極でも、長義に対しネガティブでも無関心でもなく、ポジティブな方向性の感情を向けている、と考えます。

 発破を受けて奮起できるなら、無関心ではないと思うんです。
 嫌いな相手と、わざわざ真っ直ぐな態度で話そうとしないと思うんです。

 だから、こうじゃないかなあ。
 と、私は思いました……


 ということで、この辺で『彼らは互いをどう思っているのかの仮説』を終わります。


* * *

 まとめ的なもの


 以上より、私は現状のゲームの設定のみから導き出す結論として、
 国広も長義も筋が通ってます!!
 山姥切二振りは相思相愛
(乱暴)です!!
 と認識します!!

 国広は自分の存在に誇りを持って、自らの存在意義を問い続ける真っ直ぐな青年ですし、
 長義はしっかりとした自信と気骨をもって、己と己の名を共有する刀を鼓舞している気高い青年ですよ。
 それでちゃんとお互いを認めてますよ。

 結論までが長いわ。
 ゲームのあの少なすぎる情報からどんだけ解きほぐさないといけないんだ……
 ていうかマジで国広の圧縮され具合がおかしい。
 国広の言葉が足りない云々とかいうレベルの話じゃねえぞ。

 あと結果的に刀剣乱舞くんから「刀の歴史と刀が歴史に残るにはどうしたらいいかみたいなこと考えてみろや」って挑戦受けたのでやってやろうじゃねえかよ。
 今回、マジで『本歌と写し』軸が見つけられずに頭を抱えたので、その辺どうなっていくのか本気で恐ろしいですね……

 いやでももう、ほんとに、マジで、ここまで持ってくるのに7年以上かかってごめん。
 本当にごめん二振りとも。
 あなたたちはおれ審神者の最高の刀剣男士たちだよ……


 で、ここから後はようやく私の性癖をガンガン詰め込んで行くわけです。個刃の性格とか、他キャラとの関係性とか、ゲームプレイのエピソードとか、そういうものをこねこねして、色んな『とある本丸』を創造していくことにします。

 おれんとこの『山姥切』は最高なんだよ!!!!!



 楽し~~~~い!


 * * *

 終わりに


 今回、何とか自分なりに問題点を洗い出そうとしてみました。
 ナントカ洗い出せた分だけでいろいろ仮説エトセトラを立てて自分なりに辻褄を合わせた状態です。
 多分まだまだ見えてないツッコミどころがあるだろうし、
 二振り贔屓の偏った方向性のせいで見ない振りをしているツッコミ所もあるだろうし、
 そもそもツッコミしたところで解決しないものもたくさんあるし、
 今この瞬間にも手のひら返す可能性があります。
 でも一旦、2022年5月に挑戦した、山姥切問題の解体をまとめさせていただきました。
 ここ(2022/06/01)から加筆修正しまくったらごめんなさい。

 ツッコミ所を把握する際、色んな方の意見を参考にさせていただきました。
 TLで見かけた方々、私のツイートに反応して自分の意見を出してくれた方々、この場を借りて御礼申し上げます。

 ていうかもう本当に刀剣乱舞くんさあ
 あまりにも下手。ド下手。本当にド下手。
 信用完全にゼロ。
 マジでしっかりしてくれ。

 長義極やステ国広も控えてるし、不安要素しかないんですけども。
 だからこそツッコミ所は把握しておいて、振り回されすぎないようにしていきたいなと思っています。
 あと刀剣乱舞くん及び各種メディアミックスにツッコミお手紙とか送る時に、的外れにならないようにする為にも。

 二振りのメディアミックスでの扱い、マジでどうなってんだか分からん。
 それぞれどんな解釈でこの二振り書いてんの?
 漏れ聞こえてくる情報に恐怖しかないが?
 まさかの準公式レベルの作品で誤読誤解のキャラ解釈やってたら大事故やぞ。
 マジでしっかりしてくれ刀剣乱舞くん。マジで。



 山姥切問題において、〝山姥切〟という単語への態度は、国広と長義で違います。そして多分、我々とも全部違います。

 国広は目指すべき(目指していた)目標の強度の名称
 長義は己の存在定義の概念の名称
 我々は思い入れあるキャラの名称

 それぞれがどういう方向で大切にしているのかを把握しておかないと、文脈で混線を起こして大事故を起こしかねません。

 その辺を常に、頭に入れておきたいです。


 それにしても何でこんなに長くなったんだよ。
 まとめるの下手すぎかよ。
 もしここまで読んでくれた方が居られましたら、本当にありがとうございます。
 少しでも二振りの関係の整理のきっかけになれば幸いです。

2022/06/01 ぼー(Boh)


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