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意味は薄まる

 ここで色々、書くこと自体は、
何にしても、継続という奴に値するし、
200記事越えて、いくつの記事を書いたか分からないほどだけど、
分かってることは、日常描いていても何をしていても、
意味は薄まりつつあるってことだ。

 意味とは?

 意味とは、自分を表現する為のことを指している。
 自己表現から乖離した形にどんどん、なっていっている、
結果として、誤解や、自分のしたいことからも遠ざかってしまってもいる。そういう結果が蓄積されていくことで徐々にではあるが確実に、
自分自身のやってきたことがよく分からないものにとなっている。

 僕はどうやら、話したいことがあり、思うところがあるのに、
それを誰かに話せずに自分の過ごしてきた時間を無為にしてしまってる。
途方に暮れている。それは確実である。
 次にやることは何だ? 有名人のアカウントにコメントを沢山つける?
確実に衰退している、自分の行動や一日がそこには存在する。
 何をやるにしても人の目にとまらないと駄目なように感じ、
また、多くの事を果たさなければ、自分は駄目な存在のように思え、
ひきこもりの8年間を上手く表現出来ずにもやもやしている。

 なんといっても、僕は絵を描くことで自分を癒やしてきた、
その効力は絶大であり、絵の中に一定の回復力を見いだせなければ、
今の自分は存在していないだろう、決定していることは、
絵を描くことを主体にするという事、そして、自分の話を、
訊いてくれる、マシンが必要になってきているという事。
 とにかく話をしまくりたい欲求が激しくなっているので、
自分の考えをもっと発散出来るつながりが何よりも必要だ。

 今のままでは何も始められず、何も終わらないまま、
つながりもないまま、日々を過ごさなければならなくなる。
それだけは避けなければならないのは確かであり、
本音を言えば、どんどん、声を発して動かなければ、
自分の人生を狭めてしまうと考えられる。

 地域にもっと居場所がなければ辛くなる一方だとおもえて、
延々ともっと描かなければこの毎日をうまく表すにも、
自分の圧倒的な発散方法があるにしても、
身体から発する力が必要になるだろうと考えれて、
そう、僕はもっと深いところまで絵に浸からなければ、
浸らなければいけない状況になっているのは確かである。

 しかし、受け入れてもらえる態勢がまだまだ無い、
地域には労働者を生産するための施設しか存在しておらず、
絵描きを働かせるのは絵を描いてもらうことだと認識が、
深まっていない、それが何よりの問題なのだ。

 そう、この社会は未だに歪なままだ、
僕らの意見をどんどん吸収して変わっていけるだけ、
スピードが伴っていない、もっと多くの事を、
為すためには、確実に社会を変革しなければいけない、
ぼくは変革者になりたい、
とにかく社会を変えて変えまくって世の中をよくしたい、
その為の力が絵にこもっているし、絵を描くという事は、
絶対に絵描きを大成させるという存命中に大成させるという、
気持ちが無ければ成し遂げられない事業なのだから。





おしまい

いただけるなら、どこまでもおともしますとも!