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無意識に関して

集合的無意識とかいうのが研究されていたことがあるらしく、
現在進行形で研究者もいるらしいというのを話しで聞いて、
一体、どんなものなんだろうかと気になっていたら、
僕が精神疾患だと思ってたものも、集合的無意識の範疇らしく、
そう訊くと確かにそうだなと、納得してしまう昨日の話だった。

 どんな風になるのかと言えば、
頭の中に次々と言葉がタイピングされてるように浮かんで来て、
身体と口はその言葉を発声したい欲求に突然駆られて、
まるで誰かに操られてるかのように激昂状態に陥って、
タイピングされる言葉に対して演じるように歌うように、
まましたがって、延々と言葉を述べてしまう状況に陥るのだ。
 その状態だと、本当に多くの言葉が飛び交って、
自分のうかがい知らない、大量の文字列を連結して、
まるで自分の全知識を総動員して、巨大なストーリーを作話する。
 見てきたアニメ、知ってる監督の名前、今まで起きてきた全部、
生活の原因、あらゆる因果、出会ってきた縁という縁全部、
何もかもが、合体した混合状態で出力されるため、
気付いた時には、二時間近く言葉を吐き続けてダウンする。
 前の追い医者さんだと軽い統合失調症と診断されて、薬の増量と、
とうよするものの変化などが起きたが、あまり好転しなかった。
結果として、その時の状況はいまだあまり起きていないので、
僕としては、安心しているのだが、あれには参った。
 ただ、不思議と、あのような状況になることに安堵感があり、
心のどこかで求めていた結果のようにも思えるのだ。
 それだけ感情の起伏を上手く表すことが出来て、いつも、
演じている冷静な自分から解き放たれたかのような感覚があった。
 僕としてはそうなんども家族の前で瀕発してもらうのは困るが、
あれも、自然のうちなんだと、集合的無意識とやらが示してくれるなら、
どことなく、救われた気持ちにもなるな、と思う。

さて、お昼の宣伝ですが、リザードマンの社会生活、
読んでくれたかな?

僕らは、知らず知らず、原始の生活から離れていて、
その時に持っていた、能力を風化させ、または埋没させてるのかもだ。
 リザードマンは原始の生活をすることで伝統を語り継いでも居るが、
同時に神々に罰として地を這うものの立ち位置を与えられたことが、
災いしていることもあるのかもしれない、要は、僕らは原始生活の中、
あったはずの機関を能力を封印して窮屈に生きているのやもしれない。

 あらゆる欲求や衝動に正直であることが出来ない、
整えられた生活環境の中で、皆、一定のリズムに乗って、
日々を送ることに終始している。 けれどそんな日常から外れたい、
皆が、どこかで毎日の生活を送る中で欲するものがある、
そうと決まれば、僕も毎日の中で欲求を封印せず正直に生きたい。
 色鉛筆で紡ぐ世界にはもっと充実感をもって接したいのだ。

僕は。









おしまい

いただけるなら、どこまでもおともしますとも!