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卒業

 今の就労継続支援b型では絵に関してのフォローやサポートは出来ない、
何より絵を描ける利用者を集めることが出来ないからという理由で、
ポストカードすら置ける余裕は無いという答えが出た。
 となると、絵描きが地域にいれる場所はまたひとつ存在しないという、
答えが出たわけである。 悲しいかな。

 また、世界は君を中心にも回っているわけじゃないという至言も、
頂いたので、それによって僕はひきこもりに厳しくあたるのが、
世の中なんだなとよく分かった次第である。
 まあひきこもりと見てくれてもいないのだろうけれど、
とはいえ、皆が世界の中心にいられる世界や社会というものが、
成立しないと言われれば俄然、違うと答えたくなるのが人間というもの。


 分かることには、人を分断する力が確実に働いているということである、
許容の限界が会社には存在しており、
就労継続支援b型もまた企業であり会社である、民間の、
そういった会社であるから、はじめに作った理念や責任を元にして、
自分たちの出来る支援の形をここまでという限界を定めて存在する。

 ミシン工房なのだからミシンにまつわることしかやれない、
それ以上のことを望むのであれば別の施設や企業に行けばよい、
となる、分かりやすい話ではあるが、相手はビジネスで付き合ってくれる。
 ビジネスにならない、外れたものはもう社会の歯車として、
成立しないのであって、違う場所に行くことしか残されていないのは確か、

 わがままを言って申し訳ないと謝るべきなのだろう。

 ただ、納得はいかない、ぐるぐると考えはまた回る、
巡っていく、社会資源が残されておらず、自分の居場所を確保する事、
それすら出来ないのが社会人の世界なのだとしたら、
この先もこの先の先も、恐らく答えは同じくだろう、
お前には居場所が無い、居場所が無いものには余命も無い、
命は確実にお終いに向かって歩み始める。

 優遇してくれたほうではあったのだ、
少しでも絵を描く機会を与えてくれたのだし、
それがミシン工房から外れたことにしても、
障害者を社会に戻すということを府から委託されて、
それに基づく収入を基本として障害者を労働させる。
 そこまでは成功したのだ、問題は、
解決出来なかったところは、絵を描かせることで勘違いさせたことである。

 一枚、いくらかで値段をつけて売ったらいいのに、
そう社員さんに言われたことがある記憶、これが間違いのもとである。

 実際はミシン工房には絵を売る余裕は無いのだ。
絵描きに居場所を与える余裕は無いのだ、それが答えである、
そしてミシン工房は絵描きを縛ったりはしない、
どこへとなり絵を描く場所を求めていけばいいと進路を、
好きにしなさいと自由を与えてくれるという。

 険しい、恐らく自死の可能性もある自由の荒野への旅立ちである。

 求めたものは得れただろうか?
少なくとも僕は就労継続の機会を与えてもらったので、
悪くは無かったと思っているが、
この先、ミシン工房が絵描きを雇う可能性が潰れたことによって、
自分の存在は害悪であったと、答えが出たわけであるから、
割に、絵描き全般に対しては申し訳ないことをしたと思う。

 僕、個人の力があれば、こうはならなかっただろう、
僕が大成しているならこうはならなかっただろう、
悪いのは努力の足りない貴方だとはっきり言ってもらえたので、
それはとりあえず努力をしてきた身の上からすれば、
死ぬ気の努力というものをまたやってみるのも悪くないかなと、
前向きになれた次第である。

 どちらにしてもこの地域に絵描きの自由は、
少ないという答えが出た、

 あとは、あなたが絵描きの居場所を求めるなら、
政治家なり区役所なりに個人の力で駆け寄って、
自分で事業を起こしたらいいと言われもしたか、
 そこまでの力があったなら、良かったのだが、
実際のところ、まわりの人に助けを求めることしかできない、
弱者であるから、答えはもう出ている。

 僕は誰も助けられない。





おしまい

いただけるなら、どこまでもおともしますとも!