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やりたいことが出来るマン

やりたいことをやってみるというのは大事で楽しいことなのだ、やりたいことっていうのは割と夢とか希望とかいうかもしれないけど、そうじゃなくて自然に出来て何となく気持ちがいいことって具合になる。 歌とか大体それで、別にうまいとか下手じゃなくて自分なりの味を楽しめたら何でもいいと思っている。 やりたいことが出来ると満足感があるけど、分かるのはパソコン持ってるからといって録音できる環境かは分からないという具合で、ノイズだらけの音声を目の前にして、ああ、ノイズキャンセルの機能ついてたはずなのになんでこうなった? って戸惑ったりしてる。

 さっきまではノイズがキャンセルされやがってたんですよ、でもそれがそうじゃなくなってたんですよ、パソコンでヘッドフォンで聞いてる音がね、自分の声をパソコン内蔵のマイクで録音したんですけど、ひどいノイズでした。 最初はうまくノイズが無くなってたのに不思議ですよね、結構いい値段したパソコン何ですけど、そういう初歩的な部分で出来ないことが案外あるって思い知らされます。

 ほんとはやりたいことは色々あるけど、どれもうまくいかないってなんとなく分かってるのですよね、絶対、失敗してから気づくものなんですけど、その前に上手くいかないだろうなって思っちゃってる。

 気づくのが遅いのに先回りして心の予防線を張ってる具合になりますね、でも本当はどんなに派手に失敗してもいいからぎゃあぎゃあ言っていたいんですよね、それが許された環境で思いつく限りの面倒なこと全部しまくって吐き出しまくることがしたいのですけど、それやれるだけの時代がまだ来てないのは分かるのですよ、人間の一生の完全な活字化はやがて人類に広く浸透するでしょうが全ての人が墓の代わりに莫大な生活のログを残して去っていく時代、それってなんでしょうね?

 遺留品でその人の生きざまを鑑定するって具合になると、なんとなくしたくなるのは未来の人の手に余るものを大量に残したいってことですけど、たぶんできないだろうなとは思うんですよ、だって幼女型の精巧なラブドールを手に入れてそれとずっと過ごしてきた時間とか残されても、一般の人からは破棄すべき危険な以上性癖でしょうから、でもそういうのを残したいと思うわけですなぜでしょうね?

 人間が割と犯したいとおもうのは、それに相応の価値があったからというのが分かるところで、罪を犯すというのは人にとっておそらく根源の部分に至る道だったのだと思えますが罪を犯すことのデメリットは常に興奮して激高状態に近くなるということ、そう罪を犯すのは臨戦態勢への一歩なので悪いことを口走っている時間というのは常に牙をむき目をむき強力な脳内分泌物をバーバーだしています。

 さて長々と書きましたが、やっぱり人間は暴れたい生き物だということを改めて理解しました。 僕ももっと暴れたい。

いただけるなら、どこまでもおともしますとも!