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過保護な千人隊長?【聖書研究】


《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》使徒言行録23:23〜35

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

キリスト教の宣教者パウロは、ある時ユダヤ人たちに捕まって「神殿に入れてはならない異邦人を連れ込んだ」と訴えられました。実際には、そこにいたユダヤ人たちの勘違いでしたが、もともと熱心なユダヤ教徒であったパウロが、復活したキリストと出会って回心した経緯を語ったことで、ますます彼らを怒らせてしまい、暴動が起きてしまいます。
 
そこで、ローマの千人隊長が割って入り、パウロを殺そうとするユダヤ人たちから保護しますが、最高法院での取り調べを経て、ますます論争は激しくなり、とうとう、パウロの暗殺計画まで持ち上がってしまいます。その計画に加わった者は、なんと40人以上……しかも、パウロを殺すまで飲み食いしないと誓いを立てた、強烈なユダヤ人たちです。
 
このことを知ったパウロの甥は、急いで、彼が保護されている兵営の中へ入っていき、命の危機を知らせます。すると、パウロは百人隊長の一人を呼んで、自分の甥を千人隊長のもとまで案内するよう頼みました。パウロの甥は、千人隊長と一対一で会うことを許され、保護されている自分の叔父が、暗殺されそうになっていることを知らせます。
 
「ユダヤ人たちは、パウロのことをもっと詳しく調べるという口実で、明日パウロを最高法院へ連れてくるようにと、あなたに願い出ることに決めています。どうか、彼らの言いなりにならないでください。彼らのうち四十人以上が、パウロを殺すまでは飲み食いしないと誓い、陰謀をたくらんでいるのです」
 
このまま、ユダヤ人たちの願いを承諾して、パウロを最高法院まで連れていけば、暗殺の手筈を整えたユダヤ人たちが、彼を殺してしまうだろう……計画を知った千人隊長は、「このことをわたしに知らせたとはだれにも言うな」と命じて、パウロの甥を返します。こちらが暗殺計画を知ったとバレたら、ますます保護が困難になるからです。
 
さて、ここからが面白いところです。千人隊長は、翌日、パウロが護送中に殺されることを防ぐため、その日のうちに、つまり夜中のうちに、総督フェリクスのもとまで護送するよう命じます。暗殺を企むユダヤ人たちにバレないよう、急いで彼を送り届けることにしたんです。
 
ところが、その警護に当てた人数が尋常じゃありません。百人隊長が2人も呼ばれ、歩兵200名、騎兵70名、補助兵200名を準備させ、事情を記した手紙を持たせて出発させるんです。計470名の兵隊ですから、よく考えると、百人隊長があと3人必要な軍隊です。夜中に移動させたとしても、明らかに目立ちます。
 
暗殺者にバレないよう、こっそり移送させるには向かない数……しかも、千人隊長が管理している、全兵隊の半数をカイサリアまで派遣したわけですから、その間の守りも手薄になります。どう見ても過剰な防衛です。こんな過保護な警護をしたら、かえって、夜中に大勢の兵隊たちが行進する様子を見て、騒ぎになってしまうでしょう。
 
あまり、現実的とは思えないですよね? 実は、夜のうちにエルサレム北西60キロの地点にあるアンティパトリスへ移動するのも、ちょっと無理のある想定です。出発が午後9時以後だとすれば、夜明けまで歩いても間に合いません。また、アンティパトリスからカイサリアまでも40キロはありますから、そう簡単に移動できたと思えません。
 
どうも、暗殺計画に対処する軍隊の編成も、エルサレムからカイサリアまでの移動行程も、現実とは思えないような描かれ方がされています。単純に、著者がパレスチナの地理を知らなかっただけかもしれませんが、人々が危機に対応できず、無茶苦茶な行動を取る中で、現実には守れなかったはずのパウロを、神様が守られた話にも聞こえてきます。
 
何せ、パウロを守ろうとした人たちは、みんな自分のことで一杯一杯です。千人隊長はパウロがローマの市民権を持っていると知らなかったため、彼の四肢を縛って鞭で打とうとしていたことが、処罰の対象になるのではないかと恐れていました。パウロの甥と一対一で話をしたのも、もしかしたら、自分自身の保身のためだったのかもしれません。
 
パウロから、ローマの市民権を持つ者が、裁判もなしに、縛って捕えられたことについて、黙っている代わりに何か交渉を持ちかけられるんじゃないか? そう身構えていたら実際にはもっと切羽詰まった暗殺計画を知らされて、大慌てで決断を下さなければならなくなった……そんな千人隊長の心労が垣間見えます。
 
可哀想な兵隊たちは、動揺した千人隊長による無謀な指示を受け、暗殺者にバレバレな警護と移送を行い、絶対に間に合わない目的地まで向かいます。確実に失敗するミッションです。ところが、海の前に追い詰められ、確実に逃げられなかったはずのイスラエル人がエジプト人から逃げおおせたように、パウロの護衛たちも目的地まで辿り着きます。
 
このエピソードは、パウロがローマの市民権を利用して、自分の無実を明らかにさせ、見事に生き抜いた話として、語られやすいところですが、実際のところ、みんな無茶苦茶でした。冷静に対処しているようで、無茶な判断や指示が飛び交い、上手く利用しているようで、ハラハラする展開が待っている、上がったり下がったりの場面でした。
 
それは、ここにいる私たちも同じです。神様を信じて選択すれば、祈って突き進んでいけば、必ず道は開かれると言いながら、実際にはどう考えても無謀な選択をしていたり、誤った判断をしていたり、それに気づかないまま無防備に突き進んでいます。けれども、そんな私たちに神様は日々働きかけ、目的地まで何とか導いてくださいます。
 
上手くいったから、何とかなったから、あの時の選択は正しかったんだ、この時の判断は間違っていなかったんだ……と単純に考えてしまう私たちですが、本当は、愚かな振る舞いをする私たちに、神様が辛抱強く、忍耐強く、働きかけてくださるから、何とかなってきたことを忘れてはいけません。
 
同時に、助かったパウロがいる一方で、助からなかった人たちも、聖書にはたくさん出てきます。上手くいかなかったから、何とかならなかったから、あの人たちは間違っていたんだ、信仰が弱かったんだ……と捉えるのも、決して正しくありません。聖書が語るのは、成功や失敗の単純な因果関係ではないんです。
 
むしろ、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んだイエス様が、死を超えて寄り添い続けておられるのは、私たちが安易に「信仰を捨てた」「正しくなかった」と隅に追いやってしまう人たちです。キリストの受けられた苦しみと十字架の死を思い起こす、受難節のこの期間、もう一度、その出来事を噛み締めたいと思います。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。