僕と親のこと

こんにちは礼司(@iosononelcielo)です。

親との関係は、僕の場合やっぱりもうダメですね。
どうしても用事があって帰ってきて、多少の修復は試みましたがなかなか上手くは行かなかったです。

ツイッターもやろうとしてたんですけど、あまりに闇が深くて投稿できなかったので、ツイート用に残してたメモと一緒に事の経緯をお伝えします。

*   *   *

僕が実家でしてしまったこと。
それは、親と死ぬほどもめた挙句、自分で家の中をぐちゃぐちゃにしてしまい、結局捨てるように家を出てきてしまったということ。

どうしても親にお願いがあって、そして自分が壊してしまった家族を少しでも修復するため、今回実家に一度帰るということを選択した。

のだけれど、

やばかった。。。
実家にいる間中変な動悸止まんないし、中学の話が一言出ただけで涙止まんなくなってしまい、まだ傷は生のまま乾いていないことを思い知らされたりした。

理解はされない。
僕もできない。

修復まではいかないけれど、割れたままだった器を何とかボンドで貼っつけて元の場所に戻すくらいはできたんじゃないだろうか。

結果的に言うとまあまあまあしんどかった。

親を許せない理由

きっかけは仕事を辞めることだったけど、僕が親を許せなかったのには、もっと根本的な原因がある。

中学校3年間に渡って受けてきたいじめだ。
それは僕の人生における最大の挫折だった。

僕という人間を最大限奪ったのがあの中学での3年間で、そこから逃がしてくれなかったことで、親を恨んでしまった。

フリースクールだろうが転校だろうがなんだって良かった。
人間扱いされないその場所から、助け出してほしかったのだ。


僕は、勉強がしたかった。あの場所から逃げたかった。
生きていていいんだと思いながら若い時代を生きたかった。
だけど親は、義務教育だから行けというばかりで、逃がしてはくれなかった。

国道上の歩道橋で欄干に足を掛けたときの気持ちは今でも忘れない。

壊れながら生きていた

中学を卒業してからも学生生活は続く。

人が怖い。コミュニケーションが怖い。
学校という場所が怖い。
四方八方を人に囲まれている状態が怖い。

トラウマをえぐり続けながら過ごした10年間で、僕はすっかり壊れ切ってしまった。

壊れながらも大学までは卒業した。
それができたのは、きちんと大学を出て社会人になれという、親からの呪いのようなプレッシャーのせいだったと思う。


そして実家に戻り、看護師として働きだした。
正直言って精神状態はめちゃくちゃだった。

コミュニケーション不全と人間不信のせいで周り中全部敵だと思いながら生きていた。
過酷なシフトと業務量が僕をさらに追い詰めた。

高校の時にはじまった自傷行為も、どうしようもないくらいエスカレートした。

*   *   *

そんな中で、ブログを書きはじめ、千葉のまるもという希望を見つけたのだ。

それは、終わりのない苦しみの中ではじめて見いだせた突破口であり、死にたかった毎日にはじめて差した光のような希望だった。
自分で自分の命を断つ以外の唯一の選択肢だった。

だからこそ、仕事を辞めて千葉に行くということを親に反対されたとき、その希望を奪おうとする親を許すことなんて到底できなかった。


多分ひどい言葉も投げたし、親から何か言われれば全部拒否。
家庭内暴力まではいかないけれど、それにほぼ近いことまでやらかしている。

なぜなら、僕は決死だったのだ。
死んでしまいそうな自分をなんとか守ってやりたかった。
だから、手負いの獣みたいなやり方で反発し続けた。

僕たちは違う人間なんだから

うちが多分相当ヤバい家だったというのは、距離を置いたから分かったこと。

・話を聞いているようで聞いていない。
・自分の納得する結論以外は受け入れない。
・幸せの定義を勝手に決めつけて押し付ける(会社に入れ・結婚しろ云々)
・会社に入って生きていく以外の生き方をバカにする

庇護や優しさという名前の行為で僕は壊されていた。

この家にずっといたらやっぱ自殺するしかなかったなあというのは改めて感じた。
僕がしてしまったことというのは確かに悪だ。
だけど、このうちだって多分「普通」ではなかったのだ。

価値観の押し付けが平常的に行われる場所の中で、正気で立っていることなんてとてもじゃないけれどできなかった。

この家から出ることができなかったら死んでいたかもしれない。

距離を置いたから俯瞰できて、納得できないことでも流すということができるようになった。
田舎だということも多分にあると思う。
ここにあるのは停滞と閉鎖。
この家族だけに依存していたとき、出口も逃げ場もどこにもなかった。

親は、変わらない。
それはもうどうしようもなく。

だから解決は流すことであり、100%の理解なんて得られないことを僕が諦めることだったのだ。

100%の理解なんて、どんな関係性であれ得られるはずがない。
だって僕たちは、違う人間なんだから。

世界はどん詰まりなんかじゃない

他人であればそうやって諦められることを、あのころの僕は、親だから、家族だから、手放すことができなかった。

でも今なら、欲しい言葉をくれない場所で生きる必要はないと思える。
「親だから」「家族だから」という呪いに縛られなくてもいいと思える。
100%の理解なんてもらえなくても、「こうあるべき」を投げつけられても、受け流せる。

その理由というのも、僕にはもう居場所が沢山できたから。

あの日、一人きりになる覚悟でこの家を出た。
だけど、一人になんかならなかった。なれるはずもなかった。
僕はたくさんの、本当にかけがえのない仲間を得た。

何もかも捨てたその先で得たものや人間関係の方が、ずっと豊かなものだった。


だから、僕は確信している。

人は孤独には成り得ない。
そして、世界はどん詰まりなんかじゃないということを。

切り捨てることで得られるものは、決してマイナスだけではないのだ。

おわりに

今回捨てたはずの家や親に頼らざるを得なかったのは僕の弱さ。
割れた器は割れたままだけど、元の場所にきちんと戻した。

多分、僕たちの関係はこれで良かったのだろう。
だから、僕は僕の人生を自分の力でつかみ取ろうと思う。

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礼司

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