僕の人生は誰かのものであってはならない

人当たりよく誰にも嫌われてはいけない。
安定した会社に勤めるべき。
いずれは結婚すべき。
男は女を、女は男を愛するべき。

世の中には腐るほど沢山の「べき」や「ねば」が溢れかえっている。


僕はそうしたありとあらゆるしがらみから逃れてきた。
それは簡単なことじゃなかったし、自分を削り疲弊していくような時間が何年も続いた。

でも、いざ逃れてみたらどうだろう。
「生きることはこんなにも簡単だっただろうか」
と思えるようになった。


だから、余計に強く思うのだ。

僕の人生は誰かのものであってはならないと。

自分の頭で考える

自分の頭で考えることをしないと、人生はいつも簡単に奪われてしまう。

多くの人が漫然と受け入れているそれは、本当に「正しい」のか、一度自分の頭で良く考えてみるという態度は重要だ。


「正しい」の基準はただひとつ。

自分にとって良いものであるかどうか。

価値軸はいつも自分だけだ。


僕にとって自分らしさや美学やセルフイメージは命よりも大事なものだ。
それが脅かされたら、仕事をやめるまで死にそーになっていたように、今度こそ僕は簡単に死んでしまうと思う。


だから、自分に対して向けられる沢山の当たり前や常識が上手く判断できるように、僕だけの価値観、観念を自分の中に構築してきた。

どうすれば生きやすくなるのか。
どうすれば本当に欲しいものをつかみ取れるのか。

自分自身の居場所や人生をつかみ取るために、死に物狂いになって戦ってきた。


自分らしさ、美学、セルフイメージが自分に納得できるものとなるそのためだけに、セクシュアリティも言葉も行動も変えてきたつもりだ。

決してお金のためでも、将来のためでも、安定のためでもない。
決して過去のためでも、未来のためでもない。
まして親や社会や世間体のためなんかじゃない。


「目の前にあるたった今が幸福であるために」だ。
僕が生きる理由はそれ以上でもそれ以下でもあり得ない。

いつか必ず死んでいく人生を足掻く

敵対する人が僕に何をしてくれるというのだろう。
見えもしない未来が「たった今ここ」の僕に何をもたらしてくれるというのだろう。


僕たちが生きているのは、いつか必ず死んでいく命。
その時は明日かもしれないし、数十年後かもしれない。

でもその時が選べないのなら、僕は明日にもやってくるかもしれない終わりに備えて生きたい。
いつどの瞬間に途切れても後悔しない自分自身を生きたい。
たった今この瞬間だけを生きていたい。

何のために生きるのか

たった今ここに生きている自分自身のためだけに生きると、視界はずいぶんとクリアになる。
生きることは、こんなにも簡単だっただろうかと思う。

その具体的な出来事というのは、

・男になれなくても女のままでいなくてもいいことを自分に許したこと
・ポリアモリーの考え方に出会って僕なりのやり方で誰かを愛していいということを自分に許せたこと

・親を拒否することを自分に許したこと
・リスキーだ、という一般常識を振り切って、安定した仕事も将来も捨てて、好きなことだけをやるという道を選んだこと

だった。


正しい。
と思う。
圧倒的に。


世間一般や常識なんかにとってではなく、
たった今ここに生きている自分自身にとって。


僕の人生は誰かのものであってはならない。
僕が命を懸けて守るべき僕の価値観のために生きられるのなら、どこで野たれ死のうとも本望だ。

自分自身が何者であるのかだけは、絶対に誰にも明け渡すわけにはいかない。

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礼司

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