【詩】

私にアイを返してよって。



見つけてくれた
これがアイだよねって
手を握ってくれる
これがアイだよねって
笑ってくれる
これがアイだよねって
涙を拭ってくれる
これがアイだよねって
一緒に悲しんでくれる
これがアイだよねって

あなたがとっても輝いて見える



顔を見ると頬が緩んじゃう
これがアイだよねって
繋いだ手を離したくない
これがアイだよねって
過ごす時間はあっという間で、
待ってる時間がとても長くて、
いつもあなたのことを考えてる
これがきっとアイだよねって

あなたのためなら何だってするわ

そばにいて欲しい
これがアイだよねって
私のそばにいて欲しい
これがアイだよねって

あなたのことなら何でも許すわ

だから、

私のそばにいてよって
大切だよって言ってよって
泣いて迷惑かけたら
また嫌そうな顔するんだわ

たった1人って証明してよ
泣いて喚いてもそばにいてよ
泣いて迷惑かけたら
また嫌われてしまうんだわ




誰か、私を見つけてよって。




***


後書き


後書きというか、こちらが主題です。
ヤンデレさんの詩を書きました、別に僕のことではありません。強いて言うならげーむの中のお知り合いさんのお話です。

ヤンデレ、という概念(レッテル、と読みかえても良い)があります。その方は確かに、いわゆるヤンデレさんです。

ツンデレだとか、クーデレ(クールデレ)だとか、他の〇〇デレと何だかいつも違って見えて、ヤンデレ、という言葉に引っかかってしまいます。

つんつんしてるけど本当は好き(たまにデレる)、
いつもクールだけど本当はあいしている(たまにデレる)

……じゃあ、ヤンデレは?

病んでいるけど本当はあいしている……じゃないですよね。

どちらかと言うと、あいしかたが病んでいる(ゆがんでいる、バランスが取れていない)んですよね。

大切な人を守りたくて、大切な人の全てを守っていたくて、だけど“あなた”のためと思うものが、自分の感情や意志と相容れないこともある。“あなた”の何気ない言葉に傷ついて、“あなた”の表情を伺って、“あなた”のためが苦しくなる。

これだけ頑張ったよって。私を見てよって。
だけどそんな自分に、
“あなた”が失望するだろうってわかっている。


ヤンデレのキャラクターが好みだとか、どろどろ系のドラマが好きだとか、それは人の自由だというのに気になってしまうのは、それが僕にとって優しく見えないからなんだろう。

ヤンデレキャラが好きなあの人は、どこか自分に自信がないんだろう。
どろどろ系のドラマが好きで、ヤンデレさんが何だか可愛く見えるというあの人は、本当は小さな暗がりを抱えているのかもしれない。

そんな馬鹿なことを考える。それだけじゃないだろうに。色々なコンテンツがこの世にはあって、色んな推しキャラがいて、色んな推し要素があって、色んな楽しみ方があって、僕がこの先も決して触れないであろうジャンルもたくさんあって。


普段から関わりのあるリアルの知り合いだったら、どこまで踏み込めるんだろう?どこまで踏み込むんだろう?何処で、この無慈悲な僕は、手を離してしまうんだろう?諦めてしまうんだろう?

踏み込んでも、道連れにされてしまってはいけないのだから。

なのに、やっぱり思ってしまう。
世界はどうしようもなく理不尽だけど、
あなたが明日も
少しでも笑っていたらいいのに。


あなたはきっとやんでれなんてレッテルではなくて、ただ、大事なみんなのために、大切な他人のために、自分を蔑ろにしてしまうんだよね。それはきっと、やんでいるということではなくて、あなたの肯定感のお話だと思ったんだよ。


優しい世界で息をしてね。


最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。