2024/1/26 自己満足について


珍しく忙しい日々を送っています……とは言いつつ寝る暇もないほどではなく、昨日も普段通り寝たのですが。


忙しいと、テスト前症候群とかいうそれっぽい名前のついた症状がちゃっかり現れます。

そうつまり、文章を書きたくなるわけですね(研究をまとめろや)。論文の方は完成度八割五分といったところで、先生に提出する第1原稿の締切が今日というわけなんですが、いやね、細かいところは後で自分で直すから大筋と考察だけ見てもらえばまあいいかなって(多分そんなことはない、、いえ、全ては研究室によるでしょうから皆さまは皆さまの大丈夫な範囲で手を抜きましょう)。

ということで、書きたくなった文章を書いてやろうかという算段です。




あらゆるところに、自己満足という指標が存在します。

きゅうりを食べたら健康になるとか(ほんとにそうだったらすみません適当に言ってます)。
コンビニ弁当は体に悪いから避けるとか。

別に食べ物じゃなくても、(誰が言いはじめたのか知りませんが)ペットボトルより缶飲料の方が環境にやさしいから缶を選ぶとか(少し批判的に書いてますが、別にこの主張の正誤はわかりません、調べれば主張の仕組みはわかると思いますが)。

ともかく、そういう自己満足です。


何故それが自己満足であるか、という点を僕はきっと大切にしています。

それらが全て自己満足であるのは、それを守ることが自分自身や周り、あるいは将来のために必要であると信じているからです。一方で、信じていない人には全く関係のないことで、相反する“自己満足”が存在している可能性も十分存在するからです。


これを僕は、正義と呼んでいます。

身体にいいだとか、環境に優しいだとか信じて行う全てのことは、自分自身の自己満足にすぎない。
それでも、世の中が正しいとする主張というのは存在していて、その世の中の主張と自分の自己満足が一致している場合(あるいは世の中が正しいとするものを自分の自己満足とした場合)、自己満足はあたかも皆にとって正しい“正義”であるかのように見える。けれど、本当はそれでも、僕らの自己満足は自己満足のままである。
あなたの正義(自己満足)は、きっと誰かの“反”正義である。


自己満足で溢れる世界でどうにか答えを出さなければいけない機関は、仕方がないので裏付けがあり、客観的と思われるデータから何かを導く(のが望ましい)のでしょうが、僕らがひとつひとつそれを追っていこうとしては手が足りません。

だから、自分が信じるあらゆる正義が、自己満足であるという前提を理解していること。
それがきっと大事なんだろうなと思うのです。



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よし!移動中に書き終えた!

最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。