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ケ・セラ・セラ

私は心配性で意気地無しで自信もなく、上手くやらなければと他者の評価を気にしすぎるきらいがある。
その一方で、僕はかなり身勝手な人間だ。
身勝手に生きていいと自身に言い聞かせる私の一部を、私は結構大切にしている。

人の言葉を引き出すのは楽しい。人の考えに触れるのは楽しい。面白い人だ、もっと話してみたいと(誰かに)思わせるような、非日常な存在でいるのが楽しい。

そう思ってもらえたなら嬉しい限りだね。これは本心だよ。というか、思ってもないことは言ったりしないようにしている。


僕は結構身勝手なんだよね。気がつくことと、気がついたことを態度で示すかはまた別の問題で、僕は結構、気がつかないふりをする。

それは、僕がお人好しとして良いように使われたり誰かの悪意や嘲笑に巻き込まれたりしないための通常運転で、簡単に言ってしまえば、僕はそうやって面倒くささを回避しているのだ。ごめんね。

もし、面倒くさいはずなのに関わりに行くことがあれば、それはそこに何らかのメリット(僕にとって煩わしさに勝るもの)があったという意味だが、必ずしもそれは恋愛ではない。


僕の言葉が届く(かもしれない)人がそこにいる。だから声を掛ける。それは、単なる僕の身勝手で自己満足だ。当然だよね、僕は他人のためには生きていないんだ。

僕にだって、恋愛と呼べるような、好きな人がいた事はあったよ。返信が来ない数日にメンタルがズタボロになって、返信が来た瞬間に飛び上がって喜んだ。想像出来ないでしょ、随分前のことだよ。


この前の記事で、4月はさよならの季節じゃないと言ったでしょ。

その辺で野たれ死ぬくらいなら、その前に誰かに言えよ。誰も思いつかないなら僕に連絡してみな、(場合によるだろうけど思うことがあれば、)僕はちゃんと返信する。


でも僕に依存はしないで。自分の人生は自分だけのものだなんて、そういう在り来りな言葉で語ってもどうせ届きはしないだろうけど、僕は実際そう思っているんだ。
世の中のために生きるのも、誰かひとりのために生きるのも、僕は是としていない。でも、そんな考えを否定したい訳でもないから思うように生きたらいいんだ。疲れちゃったら愚痴くらい聞くさ。欲しい言葉を掛けるとは限らないけど、羨むくらいまっすぐに生きててやるよ。


本当にネガティブ思考だよね。僕とは異なる悲観主義だという気がするよ。世界はもう少し、綺麗なものだと僕は思うけれどね。

勇気がないというより、自信がないんでしょう。そうやって、自分への評価が低すぎると生きるの大変だから、何でもいい、有意義だと思えることをして(僕は歌ったり文章書いたり出かけたりする)、決断と評価を積み重ねていくのも良いと思うけれどね。




また、どっかで。

記事書いて、こうやって通知来るようにしてくれたら多分見に行くよ(返信はあてにしないで欲しいけど)。
僕はほかの媒体よりここが好きだからね。

じゃあ。



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Mrs. GREEN APPLE『ケセラセラ』

最近、こちらのライブバージョン?にハマっています。

最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。