2023/1/1時点

この文章は2023年4月以降のどこかの時点で無料にします。今急いで読む必要性は全くありません。お金は全く求めていません。それでも読みたいというもの好きの方いらっしゃればお読みください。また、こちらを購入されていない方と内容を共有することや、note等で引用すること等はお控えください。僕と相互フォローの方が、この文章の具体的な内容が伝わらないように記事を書くのは問題ありません。この記事の詳細についてはひとつ後の記事をお読みください。



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働くこと。


”はたらくこと”ってどういうことだろう?

例えば、別にフリーターでも僕は楽しくやる気がする。スーパーやホームセンター等の小売業も実は性に合っていると思う。依頼を受けて何かをデザインする仕事も楽しそうだ(技術や資格はないけれど)。あるいは、よく周りから真面目だと言われるしルールに反するずるいことをするのは苦手だから、行政とかできちきち仕事をこなすのも向いているかもしれない、でも変革して改善していける自由な社風は最低限ほしい。…なんて考えながら、働くことって何ですか、なんていう、就活(の自己分析等)でときどき目にする問いについて考えてみる。

医者になって人を救いたい、みたいに、仕事を通じて達成したい人生の目標がある?いいや。語学を活かして活躍できる人になりたい、みたいな将来像がある?いいや。年収何百万稼いで豪邸に住みたい、みたいな夢がある?いいや。将来は○○歳でケッコンして…まあ可能性はゼロではないけれどそれを人生の主軸に据えていないのは確か。じゃあ実は歌手になりたいとか?うーん、小説とかは書き続けていたいし、それをどこかに応募するのもありかなとは思っているけれど…。

はたらくこと。なんていう"未来のイメージ"が湧きづらいので、バイトに置き換えてみる。

なぜ、バイトをしているの?
お金が欲しいから?うん。でもそれだけじゃないと思う。お金が欲しいだけなら、もっと自給のいいバイトに変えた方がいいし、飲食(や小売)系よりもっと楽に稼げるバイトは世の中にたくさん存在する。

じゃあ、どうして今のバイトを続けているの?
…それがさ、実は1年くらい前からやめようかなとか時々思っちゃうことあるのよ。同期のベテラン学生さんが何人か抜けて、1年以上続けている学生が2,3人になっちゃって。仕方がないけど、僕の(単位時間当たりの)仕事量が増えて割に合わないなって思うことが増えて。そう、でもまだ続けているのよね。じゃあそれはどうして?

それはさ、僕が掬える人がいるからだと思うんだ。だから、はたらくこと、についての答えは、他人を掬うこと。または、他人に影響を与えるということかもしれないって、そんなことを思う。

今のバイト先(職種)を選んだのは、お菓子作りが好きだから販売や製造がしてみたいと思ったから。あと接客の仕事がしてみたかったから。でも、バイトを続けている理由は、そこ(バイト先)で知り合った人たちがいるから。知り合った人たちが急用で出られないならシフトを代わるし、新しく入ってくれた子が初めてのバイトで不安にならなくて済むようにサポートしようと思う。入ったばかりで、何をしたらいいのかがわからなくてひとり突っ立っているしかない時間って悲しいから、見つけたら話しかけたり、やり方を教えて仕事を頼んだりするようにしている。悲しいじゃん。気づいてほしいじゃん、そんなの。

僕は誰とでもすぐ友達になれる社交性はないけれど(バイト先にはそういうフレンドリーな人もいる、すごいけど嫉妬というより羨望。どんなに頑張っても僕には無理があるレベル)。でも、そんな僕でも「明日のシフトはススキさんとだから大丈夫だ」って思ってもらいたいし、仕事がそんなに速くなくても頑張っている真面目な子は応援しているつもりなんだ。

バイト先で、僕が「推しです!」って公言してる子がいて。というか普通に話しやすいし気が合うから(接客業なのにいわゆる陰キャ仲間として)、ご飯に行ったりもしたし、これからもしたいと思っているのだけれど。
その子はね、うちを選んだ理由聞いたら雰囲気がよさそうだったからって言うのよ。飲食系って結構仕事量あるから大変で、学生って割とやめてっちゃうことも多いんだけどさ。でもその子は続けてくれてるんだ。僕が一番話しやすいって言ってくれるんだ、素直に嬉しい。でもさ、そういう人って世の中にたくさんいると思うのよね。で、あいつ仕事できないからって冷たくされてやめてっちゃったりするんでしょう。
ね、それってすごく勿体ないよ。その子は、安心できる場所があれば働き続けられるはずなんだ。だけど、外側(結果や行動)だけで判断する人ばかりだったらいつまでたっても自信ももてないし悲しいままじゃないか。
僕は、その子がやめるまではこの店の雰囲気(それをpHと呼ぶこともある)を保つ存在でありたいと思っている。それを、簡単に「推しです!」と言っているんだ。でも推しと言うか、普通に友達だと思ってる気がする。



結局、高校の時もそうだったけど、雰囲気を保ったり発言したり、そういうことで僕たちと言うのは図らずも周りの人に影響を与えている。他人の人生に関与している。(中高の)学校と仕事っていうのは、週5で同じメンツと顔を合わせるという点では少し似ていると思う。そう考えてもやっぱり、僕は(教室のpHを調整する存在として)他人に影響を与えるために学校に行っていたし、他人に影響を与える機会の少ない大学の講義より、サークルやバイトの方が楽しかった。
もちろん、頼られるのが嬉しい、という気持ちもある。作業の効率化を図って締めの退勤時間のタイムアタックをするのも楽しい。あと、ショーケースの商品を見て製造した人を当てるゲームも楽しい(作業の癖を見つけるっていう暇つぶし)。

でもそういうのって今のバイト先でなくてもやっていただろうし、多分楽しんでいたと思う。




逆に、他人に関わらないバイトを想像してみる。大学の知り合いはジムの受付をしていると言ってたけど受付は基本ひとりシフトだし、お客さんとめちゃくちゃしゃべるようにも思えない。模試の採点バイトをしているって人もいたけど、自宅勤務(1人作業)だから僕もやってみたいとは思わなかった。家庭教師とかはやってみたいけれど、塾に通ったこともなく学力主義に違和感を覚える僕に向いている業界ではない、という気がする(一回くらいしてみてもよかったかもしれないけど)。

結局、接客と販売を行う小売や飲食系が僕には向いていたと思う。お客さんとのやり取りも多少あるし、バイト仲間同士も交流があって。その上で作業の癖を見つける暇つぶしなんかをしているし、作業の効率化とタイムスケジュール感の構想を練りながら作業するのが好き、な気がする。



はたらくことで何を成したい?どういう人になりたい?以前友人に話を聞いてもらったときもそう訊かれて“他人を救いたい”と言ったけれど。

他人に影響を与えるということ。それがきっと僕の思う“働くということ”で、例えば小説家になったとしたら(なりたいとかそういうのではなく仮に)、他人に影響を与えるために書くことが“働くこと”になるのだろうし、何かを製造するような職ならそれを納品したあとを想像するのがやりがいになるだろうし、職場の仲間と交流するのを大事にするかもしれない。

そうか、だから研究職にもあまり惹かれなかったのかもしれないな。研究をしている就労時間の大半の時間、僕はひとり仕事になってしまうから。研究の成果は社会に還元されて間接的に他人に影響を与えるけれど、日々の中に他人に影響を与える部分("与えている"という感覚)が少なすぎたのだと思う。

働くとは、他人に影響を与えること。あわよくば掬うこと。他人の記憶に残る変わった人(“魔女”あるいは僧侶もいいかも)でありたいと思っているし、様々な経路で、分野で、方法で、より多くの人に影響を与える人になりたいなと思っている。



と考えると前回のお話より少し進んだ気がしますね。



筆記テスト勉強と、ESと、企業研究と面接対策と…あわわわ。頑張れー。

でも、結果も大事だけど出来るだけ楽しめたらいいよね。
そう思います。


読んでくださった方、ありがとうございます。いただいたお金を使い道は特に考えていませんが、(そのうち)僕の好きな作家さんのweb連載を読もうかなと思っています。

これ本当に何の役にも立たない個人的な雑談?ですので、かえって申し訳ないくらいです。
ありがとうございます。




最後になりますが、再度注意事項です。
この記事を購入していない方に内容を教えたり内容がわかるような記事を書くこと等ご遠慮ください。ただし僕と相互フォローの方が、僕の名を出さずかつこの記事の具体的な内容がわからないように関連記事を書くことは問題ありません。

最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。