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2024/4/18 補足。

言葉と戯れていたい気分だったから、日記を書くことにした。




本当は言葉の補足についての文章が書きたくて、何となく考えていたりしたのだけれど、えっなんで補足の話?ってなるかなって思ったりもして。


言葉に対して丁寧な登場人物のことを、ふと思い出したのです。だけど言葉に対して丁寧、というのは本当は少し違っていて。

言葉に対して臆病だから、伝えたいことを正しく伝えるためにたくさんの補足を加えるのです。

その子は1週間一度、主人公に長い手紙を書きます。その手紙には、その週の会話の中でその子が(その場では)答えられなかった質問の答えなんかが、いくつもの補足とともに書き綴られている。

主人公は、その補足に込められた臆病さと優しさをちゃんと理解しているから、その長い手紙にお返事を書くのです。


それはとても心地よいけれど、最終的にその子は、補足のない会話もするようになったと記憶しています。


気が済むまで補足を添えてやりとりしても良いということ。

たくさんの補足を省略して飛び越えて、補足のないやりとりを、その言葉を、信頼できるということ。



それはどちらも、魅力的なことであろうと思ったのです。



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先日見つけた曲が気分に合っていたようで、よく聴いています。

呪術廻戦のオープニング曲『青のすみか』も歌われているキタニタツヤさん。


コメント欄に、カンザキイヲリさんの『命に嫌われている』に少し似ていると書いてある方がいたと記憶していますが、個人的にはアンサーソングのようで感慨深い気もします(そこまで聞き込めていないけれど)。

『命に嫌われている』の詳細欄のトップには、『明日死んでしまうかもしないけど』とあって。それは歌詞の一部でもあるわけなのですが、『私が明日死ぬなら』と似ているようにも思います。

エゴ、という歌詞がどちらの曲にも登場していますが、この曲たちは、詩を書き、歌うおふたりから聞き手に贈られた、優しいエゴのようでなんだか好きです。

キタニさんの『私が明日死ぬなら』のMVのなかで一瞬映る文章をコメント欄に書いてくださっている方がいるので、良ければご確認ください。

めちゃくちゃ共感というか、僕も言いそうな言葉だなあって思います。

この曲の主人公は、決してしにたい訳ではないのではないかと思うのです。しにたい人の歌にしては前向きで、曲の中の“あなた”に言っている言葉を自分に向ければもうしぬ意味なんてないのだから。



あともうひとつ、好きなところがあって。

繰り返される、“私が明日死ぬなら”の後に続く言葉。

後半、一部だけ、その言葉が“あなた”に向いているところがあるように思います。私がこうしよう、でもなく、世の中はこうだろう、でもなく、あなたはこうしていてね、という言葉のように思えて好きな歌詞です(歌詞は動画の詳細欄に載せてくださっています)。


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うわぁ、久しぶりに文章書いてるからか、何か拙いな……

でもうん!久しぶりにいい感じの文章書いた気がする!






この辺で終わりにしますね。
朝晩寒いので、皆さま体調お気をつけてください。


最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。