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【ゲッターズ飯田公認エッセイ】ゲッターズ飯田が、占いをするのを面倒くさがっているのを見たことがない


私は、ゲッターズ飯田さん曰く、飯田さんが上京後、一番付き合いの長い構成作家らしい。

私にとって飯田さんは大恩人!感謝しかない‼

というのも、私は、働き方改革関連法案が成立する以前、30代半ばだった2013年頃から、妻と助け合いながら家庭の事もこなせるワークスタイルに切り替えたいと試行錯誤していました。が、自分の力不足やしょうもないプライドから、在宅ワーク中心の暮らしを確立できていませんでした。

そもそも在宅ワークに変えたかったのは、それまでの仕事環境が徹夜仕事ばかりで、家に帰る事もままならず、平成特有の過剰ノルマに御多分に漏れず溺れたこと、そして、共働きの妻がワンオペになっており、上の子が5歳になるまで子育てに参加できていなかったことが理由です。

心に余裕がなく、世界で一番、素でいられる相手にもかかわらず、思いやりのない発言をしてしまうこともありました。小さい頃から性根が曲がっているのは自分で気づいており、それを抑えて生きる事をずっと課してきたので、メンタルの疲弊によって自分の感情を上手くコントロールできない日々というのは、物凄く苦しいことでした。

そして2016年、飯田さんに「仕事を手伝わせて欲しい」と懇願。

まだ上の子の発達障害にまつわることに対して知識不足だったこともあり、「育児中心の在宅ワークを軸にした働き方に変えたい」という旨は、ホモソーシャルな現場で働くことが多かったことや、当時の世間の発達障害にまつわる認知度から、上手く伝える自信がなく隠していました。

が、それまでにも飯田さんとは色々な仕事をしていたこともあり、私の弱っていた心を読み取って下さったのか、本格的に一緒にお仕事をさせてもらえるようになるのでした。

働き方改革関連法案の成立やリモートワークが当たり前になった頃には、飯田さんの生き方も傍で学べるので、気づけば周りは心根の優しい仕事仲間が増え、妻とは歩幅を合わせ、大変なことも支え合いながら、身の丈以上の幸せな家庭生活を送れるようになっていました。だから飯田さんには足を向けて寝られません。

そんな運だけは抜群にいい私がnoteを通して、いま日本で一番本が売れている作家でもある占い師・ゲッターズ飯田(※ここから敬称略)のこれまでを掘り下げ、ゲッターズ飯田が「どのようにして運を味方につけていったのか?」「占いを活用するとは具体的にどういうことなのか?」について綴っていきます。

ゲッターズ飯田といえば、占いをはじめてすぐから無償で占いをしていることも発信しており、その数、約7万人。

時間があれば、お金をとらずに占い、時には自腹で購入した自著をプレゼントすることもあります。このエピソードに、「なかなか人として出来るもんじゃない」という見方をする人もいれば、「お金に余裕があるからでしょ?」「好感度上げたいだけでしょ?」という見方をする人も。後者の意見は、ゲッターズ飯田に限らず、成功された有名人が、同じ飲食店にいた後輩に奢るエピソードなどを発信されたときにも散見します。でも、このような人達は、何者でもない時から利他の精神で相手が喜んでもらえることを自然と出来ていた人が多いのではないでしょうか?

ゲッターズ飯田は、その日暮らし(2005年は全財産が68円の時も)の頃から、献身的な人でした。構成作家をしている私は、ゲッターズ飯田がお笑い芸人のかたわら占いを余興として披露していた頃からの付き合いなのですが、ラジオ番組のゲストに呼べば、パーソナリティだけでなく、ゲッターズ飯田の目に入る人全員を占っていたし、飲みの席で占いをしてお金を受け取った場面も一度も見たことがありません(有名になってからは全員分の飲食代も払っている)。

芸人を辞めて、作家活動を始めるようになってからは、親しい人との忘年会や新年会で、そこに集まった人達のためだけに「年間の運気」がわかる自作の冊子を渡していたこともありました。ちなみに、その冊子こそ書籍『ゲッターズ飯田の五星三心占い』を作るきっかけとなっています。

とはいえ、「無償で占っている」と言われても自分事化しづらいですよね…。では、『無償で占っている』を『無償で悩み相談に応えている』と変換するとどうでしょう? 

悩みは、仕事、恋愛、家族、健康など十人十色。しかも20年以上続けています。例えば、番組に呼ばれた際は、演者、スタッフはもちろん、その番組に関係のないスタッフの相談まで受けています。ちなみに番組に関係のないスタッフほど相談は重いことが多い。他の占い師やカウンセラー、コンサルタント業をされている人などをゲストにお呼びすることもあるが、裏方をどんどん占ったり、色々な人の相談に乗ってくれた人に出逢ったことがないです。本番が終われば、みなさんすぐ現場を後にします。って、これが当たり前。なにも悪くありません。

当時、お金のなかったゲッターズ飯田。
都内のどんな場所も交通手段は自転車。どの現場でも、その場にいる人全員の相談にのります。中には、占いをしてもらうことを条件に誘っておきながら、割り勘を要求してくる知人もいたらしいが、文句ひとつ言わず支払っていたそうです。そう、当時のゲッターズ飯田はまだ20代。今とは違い、無下に扱う人がたくさんいました。気乗りしない日だってあったでしょう。自身で調べた運気が乱気の日もあったでしょう。それでも面倒くさがらず足を運び親身になって相談にのっていたのです。

できることを面倒くさがらないゲッターズ飯田は、自分にできる範囲の雑用も厭いません。例えば、いまは、トークライブをする際、出版社の方達が物販を担当していますが、2017年頃までは、全て自分でやっていました。イベント会場の近くの本屋さんへ行き、海外旅行に行くときに使うような大きめのトランクがいっぱいになるぐらい自著を購入。楽屋でサインを書き、自分で本を並べて販売していました。また、購入してくださった人にお釣りを渡さないといけないので銀行でお札を小銭に両替もしにいっていたそうです。

ただ、これお気づきでしょうか?書店で買った本を売っているので儲けはゼロ。なんなら税抜きで売っていたので、売れば売るほど赤字だったのです。

ゲッターズ飯田が雑用も厭わずできるのは子供時代の経験もあると、私は思っています。家族で内職をしていた時代もあり、嫌がらず手伝っていたそうです。小さい頃から、誰かの役に立てる気持ちを育める家庭で育った人というのは、身も心もどこかタフに感じます。

私自身、ゲッターズ飯田の「できることは面倒くさがらない」という考え方に強く影響を受けています。昨年まで、自宅から自転車で5分ほどの所にある実家に、要介護度が年々進む父が、母とふたりで住んでいました。昭和的思考の父は昔から家事労働を一切せず、要介護1と認定されるぐらいから、ほぼ寝たきりの生活。父を5年近く母がひとりで介護をしていたのですが、心身共に疲弊する母の手伝い(粗大ごみのゴミ出しや書類関係、ベッドから落ちた父を再びベッドに乗せる等々)だけは、この価値観のおかげで進んでおこなえました。

2023年春、父は要介護3になっていて、母も精神的に限界が来ていました。そこで、ケアマネージャーさんに相談し、年金で賄える特別養護老人ホームへ入室することになります。が、父は、スタッフさんへの暴言の数々から強制退去に(そういう男性多いようです)。

強制退去の連絡があった日は途方にくれましたが、翌朝、ケアマネージャーさんに事情を伝え、迅速な対応をしていただけたおかげで、年金だけで賄うことは難しくなりましたが、評判のいい痴呆症対応型のグループホームへと移ることになりました。

母が顔を出すと「帰りたい」と叫び散らすので、私ひとり、もしくは子供を連れて面談に行きコミュニケーションを取っていました。施設の優秀なスタッフさん達のおかげもあって、気性が荒くならない日も徐々に増えていき、年末に他界しました。

ちなみに父の悪口だけ書くのも心苦しいので痴呆が始まる前までは、家事などは一切やらなかったものの、私にはお酒が入らない限り、優しかったですし、英語を要する仕事をしていたこともあり、書斎では英会話や経済にまつわる本を読んでおり勤勉な人でもありました。

また、子供2人が発達障害と診断され、私は、数年前から心療内科や教育支援センターなどに足を運び、サポートしていくための資格をとるなど勉強を続けています。能動的に動くことで、親の事であれば、ケアマネージャーや訪問リハビリの方などに、子供のことであれば、専門医の方や相談員の方など頼れる第三者に甘えられることも学べ、人生がまたひとつ豊かになりました。(こう書くと大変そうに見えますが、取り組み方がわかり、人に言われてやるのではなく、自分から進んで行うと楽しいものです。何も勉強せず、心配、不安の時間が一番しんどいと思っています)


自分にできることを面倒くさがらない。それだけで目の前の景色が明るくなるのだから、面倒くさいと感じたことこそ、ゲッターズ飯田のようにどんどん動いてみるべきなのだと強く思います。

と、このような感じで、「土の時代(物質的豊かさ)」から「風の時代(精神的豊かさ)」になっても揺るがないゲッターズ飯田の日日是好日な生き方を書き記していきますので、ゲッターズ飯田の占いが好きなみなさま、どうぞよろしくお願いいたします。


 

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