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どうも女の子の自分には激甘なところがある気がする話

武德です。
ちょっと最近感じたことがあるので、書き残しています。

私は、女の子の方の自分には激甘なのではないか?

男性ホルモンの影響で、よくヒゲには悩まされているのですが、「女の見た目なのにヒゲが生えてしまっていることにショックを受けている」のは、女の子の方の私より、私の方なんじゃないか?と思います。

女の子にヒゲ、これはかわいそう!みたいな思考が瞬時に沸いてくるんですよね。それで脱毛をするんですが、20万程度であれば割とポンと出せてしまいます。なんだろ……重要度がものすごい高いように思えてしまうのです。

自分の父親が、自分より他人に対して喜ぶことをしてくれるタイプの人

女の子の自分に激甘なんじゃないか?どうしてそう思ったかというと、自分の父親がわりとそういう性格だからです。

父は、自分のことにはほとんどお金をかけない一方で、家族のためには惜しみなくお金を使ってくれるところがあります。スーパーでいい食材を選んで家族に振る舞うなど、そういうところがある人です。自分が喜ぶより、他人が喜んでくれることに喜びを感じるみたいな感じだと思います。

自分もまんまそれで、「自分が満足すること」をあんまり考えたことがありません。欲を満たしたいみたいなのはあるのですが、仕事できるようになって稼ぎたいとか、お金を使うことじゃなくて、自分を鍛える系の欲ばっかりで、グラップラー刃牙的なやつですね。

私には欲しいものがないのか

自分の欲しいものいろいろあるんですけども、プラモ買っても作ってる時間がなかなか確保できないし、作れないから買わないしの負のループに陥りがち。欲しいっちゃ欲しいけど、まあいいかな……で終わらせてしまうことが多いです。
Instagramの模型動画見てるだけでもだいぶ満足だし、だからすごい不満っていうワケでもありません。

自分がしっくり来る自分の姿ってなんだろうか

去年、京都で男の方の自分として成人式の写真を撮ったんです。
でも、思った通り過ぎて感動がなかったなぁと感じています。
15年の時を経て、成人式の写真を撮れたのは達成感があったし良かったとは思います。でも自分の写真がすごい好き!みたいにはならなかったです。
これなら女の子の私に着物を着せて写真撮ってあげればよかったな、は何度も思いました。

恥ずかしいのでほぼ表にだしてません(笑)

一つ、気付いたことがありました。
成人式の写真のような男装をしている自分より、女の子の私のまりあの体を借りているときの自分のほうがしっくりくるんです。
「長髪で女顔の男」で慣れてしまっていて、無理に男装をするとかえって違和感が沸いてきます。

よく、性別が2つあるという話をすると、男性の服と女性の服両方持ってるんですか?と聞かれますが、いや、2種類もあったらクローゼットに収まりきれません(笑)お金も2倍かかるし効率が悪いです。

うちには、男の私の服はありません。
ちょっと前までに自分用の男もののパジャマがあったのですが、廃止されて女物に統一されました。

やっぱり私は、自分の見た目には興味がないんです。
攻殻機動隊に出てくるような、肉体を持たない魂だけの存在のようなそんな感じです。自分の肉体が存在しないから、自分の肉体を自由に定義できるし、変化させられる。そのあたりはメリットのように思えます。

まとめますと、自分の体が存在しない分、女の子のほうを綺麗に着飾せてあげようとかそういう方にしか興味がいきません。

自由に使えるお金のほとんどは、女の子の方の私のための予算です。
でも、女の子の方が強かった時期はけっこう散財してしまう傾向があったので、今は最初に予算を決めて、私も一緒に選ぶようにしています。

うーん、もう少しお金の問題で頭を悩ませずに済むよう、これからもっと稼いでいきたいなぁ。

28歳の時「ゴメン、本当の性別女じゃなくて男だった」を食らった性別不合の当事者です。日常的に男女の性別使い分けを強いられそのまま根付いてしまった奇妙な人生。サポートや紹介していただけるメディアさんも募集しています。