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引きこもりというネコを脱ぎ捨てたら、いろいろと制御が効かなくなった件。⑤

前回の続き、私と犬の体験談なので、何となく予想がつくと思いますが、愛犬を亡くした方は要注意。



動物と暮らしていたことがありますか?

私はあります。
小学校から大学どころか社会人になっても一緒に生きてくれた柴犬がいました。わがままで、他の家の人どころか、犬にも一切慣れず、でも、家族には全力で甘えてくる、かわいい愛犬でした。

でも、亡くなるまでの数年は、大病の影響で、起きているのか、寝ているのか分からない状況に陥り、家族さえ寄せつけなくなってしまいました。
いつ倒れるかが心配で、室内に部屋を移すことも考えましたが、入院先の病室を思い出すのか、力のない声で鳴き続けるので外に戻す、その繰り返し。

このころから、死期が近づくと消えてしまう猫のような、儚さを感じていました。フラッと消えて、心配だと名前を呼んでも、しばらく小屋からでてこないことが増えてきたような気がします。それでも、家族が帰ってくると、気まぐれに、ふらふらになりながら出迎えてくれる健気さがかわいくて、かわいそうで、頭を撫でるのが精一杯でした。

どうして、こんなことになったんだろう。
数年前までは年相応どころか、年齢よりずっと元気で、お医者さんを呆れさせたのに。老犬だからと定期的に通っていた病院で発見された病は、手遅れで、手の出しようがなかったのです。外科的手術をするには危険な領域らしく、投薬で病魔が広がらないことを願うことしかできませんでした。

家族で悔やみました。
もっと早く診てもらえば、それ以前に、SOSを見逃していなかったのか、今も痛いのを我慢しているのではないか・・・・・・。
いろいろ考えて、話し合って、思う存分、甘やかそうと決めたのに。
受け入れてもらえませんでした。

以前であれば、私たちの体力の限界まで「あそんで!」とシッポを振っていたのに、数分もしないうちに小屋に戻ってしまいます。食事で美味しそうなものをだしても、ひとくち、ふたくちしか口にしません。他の病気をしたときは、薬だけ丁寧に食器の端に除けて、お腹いっぱい食べていたのに、興味さえしめそうとしないのです。

できたことが、できなくなる。
手助けすることが、すべてではない。
ありのままを受けとめることが、大事。

それが年を取るということだと、死に近づいているんだと、数年もかけて受け入れたつもりでも・・・・・・。
誰もいないときに亡くなってしまうのは、辛いんだよ?

いつもの出迎えがなかったから、声をかけてみたまでは、いつもどおりで、耳が遠くなっただけとしか思っていませんでした。小屋に近づくと、小さく丸まっていて、やっぱり寝ていただけかと、ホッとしたのですが・・・・・・。

違和感がありました。

やせ細った身体が、動いていない。
よわよわしい呼吸でも膨らんでいた胸が大きくならない。
こわごわと触れた身体はヒンヤリしていて、思わず、悲鳴をあげそうになりました。

動揺を隠せないまま家族に連絡して
「落ち着いて、なるべく早く帰るから」
その言葉を頼りに、ひとりと一匹、どれだけ待ったのか記憶にありません。

気がついたら、家族全員、取り囲むように身体に触れていました。
そのとき、滅多に泣き言を言わない兄が、号泣していたことだけは覚えています。

そういえば、犬を飼おうと言い出したのは兄で、犬の名前も兄の名前からとっていました。それでも散歩を手伝うぐらいで、でろでろに甘やかしているという印象はなかったのに、人目を憚らずに後悔を口にする兄の姿に、大切にしていたのだと十分すぎるほど伝わってきて、改めて亡くしてしまったのだと実感させられました。

その後、供養してから、犬が好きだった庭の片隅にあるアジサイの下に埋葬するまではあっという間で。こういうことを儚いというのだと、ぼんやりとした頭の中で考えていたのでした。

ハラスのいた日々

前話で紹介した「ハラスのいた日々」は、それから十数年後、社会人になってから出会った本です。あの日も図書館を散策して、何気なく手に取り、漫画なんて珍しいと興味をもち、その場で読まずに借りてきた一冊に過ぎませんでした。でも、読み進めるうちに涙腺が壊れ、最後には号泣・・・・・・。

映画の宣伝で泣ける話ですと聞かされても納得できない、ひねくれ者なので、「泣けるので、ぜひ一読を」とは言いません。ただ、同じような経験をしたことのある方であれば、追体験ができると思います。
・・・・・・それが辛い、まだ理性的にお別れできない方はご遠慮ください。

淡々と書いてあるだけに、妙に染みる「ハラスのいた日々」。
一冊だけの紹介となりましたが、今回はここまで。

次回は骨折日記に戻ります。つづく。

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