憧れは、自分自身。
憧れの人は誰ですか?
「あなたにとって、憧れの人は誰ですか。」
これまで何度この問いを投げかけられたことだろう。
就職活動の時期は、特に聞かれることが多かった。
考えるたびに、疑問は消えなかった。
憧れの人なんて、思いつかない。
憧れの人って、居なきゃいけないの?
憧れの人は、居なかった。
次第に私は、それっぽい人を適当に当てはめることを覚えた。
母親。
学校でお世話になった先生。
アルバイト先の先輩。
大好きなサックスプレイヤー。
そのどれもが、確かに「憧れ」ではある。
「憧れ」という属性を持つ。
でも、違う。
私にとって、彼らはいわゆる「憧れの人」ではなかった。
彼らに成れると言われたら?
私は間違いなく、「私のままで結構です」と答える。
彼らの要素を欲しい部分だけあげると言われたら?
それでも私は、「私のままで結構です」と答える。
自分とまるまる取り替えて「あなたになりたい」なんていう人は居なかった。
私には、憧れの人は居なかった。
「自分」という存在
私は他人から見た「美人」な自分を解放して、自分にとっての「美人」を追求するようになってから、気づいた。
私の憧れの人は、とても近くに居たことに。
そう、それは自分自身。
私が憧れてやまないのは、いつかの私だ。
いつかの私は、きっと今よりもっと素敵な言葉を綴るだろう。
いつかの私は、きっと今よりもっと自分と向き合っているだろう。
いつかの私は、きっと今見えていない世界を見ているだろう。
私が見たいのは、「いつかの私」が見ている景色だ。
他の誰でもない、私自身が見ている世界だ。
私は、「いつかの私」に嫉妬しているし、早くそこにたどり着きたくて、仕方がない。
待ってろ、私。
憧れの人、私。
そして私は、「いつかの私」を、いとも簡単に超えていく。
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