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そうだ、まわりみちをしよう。

時間という軸に囚われて

幼稚園生だった頃。
まだ読めなかった時計の読み方を、一生懸命覚えた。

いつしか私は、「時間割」の生活に組み込まれた。

その生活が終わると、今度は「定時」の生活に組み込まれた。

私は一体いつまで時計に縛られて生きていくのでしょうか。
死ぬまで時計と一緒に生きていくのでしょうか。
時間よりも大切なものはないのでしょうか。

時計と一緒に生きることに疲れた私は、ある日、時計を捨てた。

捨てても捨てても、時計は私に付き纏ってくる。

時計を追いかけていた私。

でも、違った。
本当は、時計は私に付き纏ってなんていない。

付き纏っていたのは、私の方だった。

時間を追いかけて、時間にすがりついて、必死だった。
だから私は苦しかったし、しんどかったし、生きるのが辛かった。

いいんだ。
私は、時計に追いつけなくてもいい。

時間は自由だ。
あとは私がどう使うか次第。

どうしてそんなに急いでいるの?

時間を自由に使えるようになった私は、ふと気づいた。

「私だけじゃない。みんな時間を追いかけている。」

そんなに追いかけて、何が待っているの?
躓いて転んで、怪我をして、疲れ切った果てに、何があるの?
あなたが急ぐ意味は、そこにあるの?

時間は自由だ。
自由なはずなのに。
みんなどうして、そんなに急いでいるの?

意味なんて、何もない。

時間なんて、人間が生きるために後付けしたもの。
時間に意味なんて、何もない。

私たちが生きるのに、都合が良い時だけ使えばいい。

時間は自由だ。

自由だからこそ、私たちは時間を使える。
自由だからこそ、時に私たちは時間に使われる。

時間は無意味だ。
だからこそ、時間は自由だ。

ただゆっくりと、着実に。

時間という軸の中に戻ってきた私は今、こう思っている。

「ただ、着実に進めばいい。」

時間に囚われずに、自分に囚われたい。
時間を追いかけずに、自分を追いかけたい。

そのために必要な道なら、どれだけ時間がかかっても歩く。

どんなに紆余曲折が待ち受けているまわりみちでも、私は歩く。

着実に生きたいからこそ、まわるんだ。

私たちには、まわりみちが必要なんだ。

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「まわりみち」

こんなことを考えていて、ふと「まわりみち」というサービスを作った。
彼氏と二人で、日々「素敵なまわりみち」の方法を話しながら、二人で作っている。

私はここに居ます。
ぜひ会いに来てください。


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