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無給なわたし。

最近は生き急いでいるので、複数のボランティアに参加している。

無給で動きたいとなるからには、それなりに突き動かされるものがあってのことだ。

そこで得られる所属感、達成感。
つまりは「理想の居場所があたかもそこにある感じ」、が自分が思うNPOや非営利活動のお給料だと思う。

思春期を教室で無視されて育った私は、人の「見てみぬふり」が強迫的に怖い。そこから尾を引く、「なかったことにできない」有形無形の疎外感と闘いながらこの日常をなんとかこなしているので、そうしたご褒美の感情が得られない時には有給の仕事でこき使われる以上に「何にもない」を痛感してしまう。

仕事では
環境や仕事、思うように動いてくれぬまわりも悪いわ。と
底意地悪いあいつに歯向かうことで緩和された分まで
みんなが善意を持ち寄ることで成り立っているボランティアでは
『ハマれない自分』を呪うことになってしまうのだ。

家族や恋人、クラスメイト、同僚上司のあまりにもダメなところを見る時。めんどくささの中にも趣がある。
それは誰にも見せない表情で泣きじゃくりながら自分のダメさをまざまざと見せつけられている時間とて、例外ではない。

力になりたいはずが思うようになれなかった時に、ない背もたれに寄り掛かろうとして無様な醜態を自分自身に見せない為にも、無給でやってる行為の「なにもなさ」を忘れて精神の均衡を崩さない切り替えは大事だと思った。


良くも悪くも
イマココには何もないのだ。

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