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あの夏の夕暮れをもう一度

以前のnoteにおいて、私は「2019年にまた大学に入りたい」と書いた。

就いていた仕事を辞めて、無職になって、保証も保障も補償もないのに大学合格を目指して勉強する。

ハタから見れば理解不能な行動であるし、「なんと無謀で無策な」と思われること請け合いだろう。

それでもまた大学に合格したいのには理由がある。

まず第一にして至上の目的は勉強したいからだ。正確には、学問を修めたいからだ。誰も見たことのない知見の荒野に分け入り、そこに初めに到達したいからだ。

そして二番目にやってくる理由がタイトルにある通りである。

1度目の大学時代、キャンパスはそれはもう辺鄙なところにあった。飲屋街なんてものはなく、山を越えないとミスドもマクドもカラオケ屋も無かったようなところである。
また、単位の修得は場合によっては熾烈を極めた。「外国語学部生は明日の講義を気にしながら酒を飲む」などという格言もあった。

そんな我々の安息の時期が、全ての試験が終わって休暇に入るまでの僅かの期間であった。
試験は終わった、単位が出るかどうかはわからない、だから束の間の休息を楽しもう。
そういう論理で酒を飲みに街に繰り出す…ことができれば良かったが残念ながら周りは山と田畑のみである。必然的に取れる方法は宅飲みとなる。

前期の最後の方の講義が終わり、夕暮れになると近場のスーパーに酒や菓子や肉類を買い出しに行き、下宿している友人のアパートで料理をしたりゲームをしたり話をしたりする。一学年の人数が割と少なめだったため、飲むメンツは基本代わり映えはしないが、気心知れた仲であるため、肩の力は抜き放題だ。

夏の日の夕暮れ、少し涼しくなった頃に皆でスーパーの袋を下げて田圃の畦道を歩く。受けた試験の話、就活の話、休暇中の予定、単位を取りやすい講義の話、誰かの彼氏彼女の話、それから将来のこと……話す内容は他愛もないものばかりであったが、その夕日の中の情景だけは今も覚えている。

きっと私は、そんな日々をまた送りたくてやまない人間の1人なのだろう。どちらかといえば少数派に分類されるのかも知れないが、また夕暮れの中で、自分より遥かに年下の友人たちと一緒に話しながら買い出しに繰り出したい。


果たして自分は、再びあの夏の夕日を見ることができるのだろうか、再び学問の道に進むことができるのであろうか。

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現在無職。文章を書いたり、何か面白そうなアイデアを出したりして、誰かの人生が豊かになれば良いなと思っている。