2018/10/07
ひさびさの番頭。柴崎友香の『ビリジアン』を読んだ。
読みながら、ずっと、書きたかった。
おととい、h君が亡くなったと、成人式の時ですら動かなかった6年1組ラインが動いた。癌になったことは母から聞いていた。長くないことも聞いていた。ほんと、つい1週間と少し前、帰省時に近所のコンビニに煙草を買いに行った帰り道h君の家があって、家から笑い声が聞こえて、「もう長くない」息子がいるのに、笑ってる。なんて思いながら、引っ越して今は違う家族が住んでる可能性もあるな、と表札を見たけど、h君の苗字だった。スピってる。
声もかわいい斜視も青い服も、白く縁取られたサッカーのユニフォームも、思い出せるのに、言動とか思い出せない。金子って呼ばれてた。意味を持てない声音が再生される。
私の初恋のs君と仲よかったよね。
給食当番の帽子がクラス1似合っていた。
h君の家に遊びに行ったとき、女友達と2人でh君のベッドの上に座ったこと、それからふざけてベッドに横になったりして、恥ずかしい匂いというか、その光景だけ覚えてる。喜びながらやめろ!と怒られた。なつかしいな。
あとはほんと、なにも思い出せない。
こうして、君のイメージをなぞっていると、卒業式で泣いている君や、サッカーをしてる君や、揚げパンを食べてる君を知っている気がする、けど、実際にサッカーを見たことがあるかはわからない。
どっちでもいいな、っておもえる。
死はきっかけになるって言ったら失礼かな。
千本通り、ローソンの前、大学生の集団がドレミの歌を歌ってる。笑っている。黄色いスカートの女の子がいる。h君はコールとかされたことあるのかな。だいぶ歩いたけど、まだ笑い声聞こえる。同じ集団かはわからない。
もうすぐいえ。一人暮らしとか、したことないんだろうな。わたしは病院暮らしをしたことがないけれど。
柴崎友香の『ビリジアン』に書かれているスナップ写真のようにばらまかれた光景があまりに幼いわたしたちの記憶のふりをするので、泣いてしまった。
「 鉄の味に似てると思ってから、鉄なんかいつ食べたんだろうと思った」p.111
解説で三浦雅士が認識することは新しい情報を古い記憶に基づいて整理すること的なことを言っていた。
あしたはh君のお通夜で、久しぶりに同級生に会えることが楽しみなじぶんがいる。ごめんなさい。
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