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世界のミフネのベストパートナー〜黒澤映画最多出演女優、千石規子

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 Wikipediaによると、“黒澤明作品に最も多く出演している女優”は、千石規子(せんごくのりこ、1922-2012)だという。
 黒澤映画に出演した全女優のフィルモグラフィーをさらってこの情報を検証する手間は省かせていただくが、千石規子が以下の7作の黒澤映画に出演していることはたしかだ。

『醉いどれ天使』(1948年)
『野良犬』(1949年)
『静かなる決闘』(1949年)
『醜聞(スキャンダル)』(1950年)
『白痴』(1951年)
『七人の侍』(1954年)
『生きものの記録』(1955年)

 中でも、黒澤組での初仕事となった『酔いどれ天使』から4本目『醜聞』まで、千石規子はほとんど同一人物といっていい役柄を演じている。
 はすっぱでヘソ曲がりで、誰彼かまわず憎まれ口を叩くズベ公ーー戦後東京の場末の盛り場にたむろしていたであろう女性の典型ともいえる役柄だ。黒澤明はよっぽどこの女性像が気に入っていたのだろう。
 そしてその役柄(安酒場の女給、ダンサー上がりの見習い看護婦、ヌードモデル)において千石規子は、共演者である三船敏郎のそばで変わらぬ愛を注いだ人物でもある。

 千石規子が三船敏郎演じる主人公に向ける感情はその役柄における性格どおり素直じゃない。
『酔いどれ天使』に、志村喬演じる医者に「ねえちゃん、お前さんもアイツに惚れているのかい?」と訊かれ、「誰がぁ?」「どこがいいんだろ、あんなやせっぽっちが」と返すシーンがあるが、どの黒澤映画でも千石規子の三船への態度は判を押したように万事この調子なのである。
 しかし、憎まれ口は叩けど、もっとも三船のそばで彼の身を案じているのも彼女だ。

『酔いどれ天使』では、結核が進行しているなか、出所してきた兄貴分に自分の縄張りと女を取られ、かつて街を肩で風を切って歩いていた面影がないほど落ちぶれてしまった三船(=松永)に、千石規子は次のように諭す。
「あンたみたいな人が落ち目になると、とってもかわいそうで見ちゃいられないわ。私、いつもそう思ってたんだけど、あンたこんな世界には向かないよ。これを潮に足を洗った方がいいんだがねぇ」
「私も国へ帰ろうと思ってンのさ。こんなとこつくづく嫌になったんだよ。ねえ、私と一緒においでよ。ちっぽけな街だけど、道の真ん中をキレイな水が流れているんだよ

 また、『醜聞』では写真週刊誌に女優との密会という記事を捏造され、裁判を決意した三船(=青江)に、
「あンたはイイ人だわ。ね、憶えててちょうだい。私はいつでもあンたの味方よ。アムールを告訴するって話だけど、そん時は私を証人に呼んでね」
と励まし、実際、裁判で三船が不利になるや、
「裁判長、あんまりです! 私、証人になります。青江さんはそんな人じゃない!」
と傍聴席から声を張り上げた。

 そして、三船敏郎と千石規子が3度目に共演した黒澤明監督作『静かなる決闘』で、二人が演じてみせた場面は、筆者の中で黒澤映画でもっとも美しい愛のやりとりだった。

(医師の藤崎=三船は戦時中に勤務していた野戦病院で患者の治療中に梅毒に感染してしまった過去があった。復員後、藤崎は婚約者・美佐緒に自身の体について打ち明けることなく、一度も身体に触れぬまま苦悩の日々を送る。そして、ついに美佐緒が違う男の元へ嫁いでゆく日がやってくる。美砂緒が去ったあと、藤崎は見習い看護婦の峯岸=千石規子に初めて自らの苦悩を打ち明ける)

峯岸「注射しましょうか」
藤崎「うん」
峯岸「これでお嬢さんともお別れなのね」
藤崎「いい人だった」
峯岸「今井さんが言ってましたわ。なぜ他の男のようになさらないんだって。たとえ、あの方と結婚なさらないにしても、一生我慢できるはずがないじゃないか」
藤崎「今井は現実派だからね」
峯岸「ね、先生。男の人の肉体的な欲求ってそんなに簡単に抑制できるものなんですか?」
藤崎「なぜそんなこと聞くんだい」
峯岸「先生があんまり落ち着いてらっしゃるから」
藤崎「患者にだって2種類あるだろ。苦しいってわめくものもあれば、脂汗を流しながら黙っているものもある」
峯岸「じゃ先生はその脂汗を流すほうなんですね」
藤崎「負けず嫌いだからね。それにぼくは医者だからね」
峯岸「でも医者だって人間でしょ」
藤崎「うん…。あの人が他の男のものになると決まった今日、おそらく何もかも諦めることができると思ってたが、……駄目だ!僕は今、自分の欲望と必死になって闘っているんだよ。考えてみれば、僕の欲望なんてやつはかわいそうなやつさ。戦争が始まる前は若い潔癖な感情でただぎゅうぎゅう抑えつけてきた。帰れさえすれば平和な結婚が待っている。美佐緒さんが待っていてくれると抑えつけてきたんだ。ところがある日、僕らの体はハレンチな男の汚れた血液のために何の享楽もなく汚されてしまった。こんなことなら、こんなことになるぐらいだったら、って僕だって時々考えるよ。良心的に考えてたらいつになったら僕の欲望を満足させられるか分かりゃしない。第一、僕はなぜこんなに苦しまなければならないんだ! 僕は梅毒さ! しかし、それは僕の罪でもなければ僕の欲望のしたことじゃないんだ。僕の欲望は何も知らないんだ。未だに神聖なんだ。それが時々わめくんだよ。ところが、その欲望を徹底的に、徹底的に叩きのめしてしまおうする道徳的な良心のやつがのさばっているんだ。つまらない良心のやつがのさばり返っている!そいつをはね飛ばしてこの欲望のなかに溺れかえっちゃなぜいけないんだ!そのほうが人間として正直なんじゃないか?こんなやせ我慢している僕は、ただ滑稽なだけだ。ただセンチメンタルになっているだけさ。美佐緒さんだって、結局当たり前の女だ。当たり前の肉体を持っているんだ。その肉体を6年間も思い続けてきた僕が、なんでそれが他の男になるのを黙って見てなければならないんだ?まだ遅くはない。今なら美佐緒さんと火遊びができる。そうだろ、峯岸君? そうだろ、そう思わないか、峯岸君」

藤崎「僕は恥ずかしいことを言ってしまったようだな。僕は医者なんだ。医者の良心を持って、人間の良心を持って生きていかなくちゃならないんだ。それがどんなに苦しくても」
峯岸「でもねえ先生。誰かが先生のそういう風な欲求のはけがそういう立場に身を置いたとしたら、先生どうなさいます? 病気のことなんか平気な女が
藤崎「それはどういう意味なんだ?」
峯岸「私、もう一生夫は持たないつもりなんです。自分がその立場に身を置いていいと思っているんです
藤崎「犠牲的な気持ちからそんなこと言うのかね?つまらんこと言っちゃいけない」
峯岸「私、先生を愛しているのもしれないわ。病院って妙なところですねぇ。こんなに事務的になんでも言えるのが不思議でしょうがないんですよ」


 梅毒という病を抱えているがゆえに愛することに自制をかけてしまった男と、これまであまりに無軌道に愛を求めてきたがために疲労してしまった女。事情は異なるが、同じものを失った似た者同士の二人なのだろう。

 千石規子は「私、先生を愛しているのもしれないわ」と言っているが、断定することすらこれ以上深まに入り込むようでできない。

 その姿はまるで『カリオストロの城』で、クラリスに「今はこれが精一杯」と手の中から一輪の花を出してあげた中年ルパンのようだ。


 映画のタイトル『静かなる決闘』とは、己の欲望との闘いという意味が込められているのだろう。
 苦悩と愛を打ち明けあった二人だが、最後に結ばれるわけではない。
 しかし、エンドマークが打たれた後も、三船の傍らには伴走者のように、セコンドのように付き添う千石規子の姿があるはずだ。
「注射しましょうか」
「うん」

この短い会話とともに。

(余談)
監督・黒澤明もこのシーンの撮影は印象的だったらしく、後年、以下のように振り返っている。

「静かなる決闘」で、忘れられない思い出は、そのクライマックスの撮影の事である。
 それは、主人公がじっと心の底へ押し隠していた苦悩を、堪えかねてぶちまける場面だが、当時としては異例に長い、五分以上かかるカットであった。
(中略) 
 翌日、いよいよ本番という段になると、セットの中には、異様に張りつめた空気が漲った。
 私は、二台のライトの間に、両足を踏んばって、その本番を見守った。
 三船と千石君の芝居は、まさに真剣勝負の趣があった。
 二人の演技は、秒をきざむごとに、白熱して火花を散らし、思わず手に汗を握る思いだったが、やがて三船の眼から吹き出すように涙がこぼれ落ち出した時、私の傍の二台のライトがガタガタ鳴り出した。
 私の身体が慄えて、踏んばった足の下の二重を通して、ライトを震わせているのだ。
 しまった、椅子に掛けていればよかった、と思ったがもう遅い。
 私は、両腕で身体を締めつけるようにして、慄えるのを堪え、ちらっとキャメラの方を見て、思わず息をのんだ。
 キャメラマンも、ファインダーを覗いてキャメラを操作しているのに、ポロポロ泣いているのだ。
 そして、その涙でファインダーが見えなくなるらしく、時々あわてて片手で眼を拭いている。
(黒澤明著『蝦蟇の油ー自伝のようなもの』より抜粋)

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