苦しいと思ったときに支えたい話

人は何かのために何かをする。
人はその何かを得られないとき、苦しむ。

これが苦しみのシンプルな原理だ。

あなたは苦しんでいる。
もし苦しんでいるなら、何かが得られていないからだ。
実にシンプルだ。

カネや恋人など具体的な対象を持つ場合はわかりやすい。
しかし、それが名誉や自信などとなると、自分が何でこのように毎日苦しんでいるのかさえ、わからなくなってしまう。

あなたは苦しんでいるだろう。
よく考えてみて欲しい。
その何かが何であるかを。

漠然と苦しんでいる人も多い。
むしろ漠然と苦しんでいる人が大半だと思う。

もちろん私も漠然と苦しんでいる。
自分を例にとって考えるのがフェアだと思うので、ここで自己分析してみる。

根本には、死がある。
死とは生命を失うことだ。

生命とは何か。
自分が自分であると認識できていることか。

死ねば自分はなくなる。

仏教では、無我、非我などといい、自我の存在を否定する。
自分は確かにここに存在するのに、その自分があるというのは幻想だというのである。
ここは非常に難しい。
自我が存在しないことを悟れば、それは当然、涅槃に到達できる。

この話は後日に譲ろう。
永遠に来るはずもない後日に。

話を少し戻す。
何かが欲しくてそれが得られないとき、人は苦しむと言った。
何か欲しいものが得られたとき、それを所有と呼ぶ。
まさに「私はこれを持っている」という自覚。つまり所有感だ。

もちろんみんな知っている。
所有することの満足感は持続しないことを。
人はすぐに飽きてしまう。持っているものの輝きはすぐに消えてしまう。
私もこれまでにたくさんのものを貪欲に所有してきた。
そして半世紀がたち、もっているすべてのものはみなくすんでしまった。
ネガティブに聞こえるだろうか。
永遠に継続するものは存在しないという真実がネガティブに聞こえるだろうか。

こう考えたらどうだろう。
物質や概念が永遠に継続する世界があると。
永遠に飽きない時計、永遠に飽きない音楽、永遠に飽きない恋人・・・。

あなたはその世界に移り住みたいか。

私は住みたくない。
たとえば、大好きな恋人が永遠に自分を大好きな世界。
その世界でその恋人をあなたは永遠に愛せるのか。

人は気持ちが変化する。
移ろいやすい恋人の気持ちをこっちにむけたくてあなたは努力するのではないか。
そしてこっちを振り向いてもらえたとき、あなたは幸せをかみしめる。

すべては変化するのだ。

永遠に続く自尊心、永遠に続く自信、永遠に続く名誉・・・。

話を最初に戻そう。
何かを得られないとき苦しみが生まれる。
その何かをよく吟味した方がいい。

たいていは刹那のものだ。
高価なバッグから懲りない功名心に至るまで、墓場どころか5年後まで持って行けない時代だ。

だから、何かを欲しがるな、とお坊さんは言うかもしれない。
それも正しいが、私たちは坊さんでも聖職者でもない。

だからせめて。
何かを求めていて苦しんでいるなら、
その対象について、静かになって見つめて欲しい。
じいっと見つめていると、ばかばかしくなることだってある。
もししばらく吟味してそれがどうしてもほしかったら、
それは無常であること、変化してしまうこと、
その対象も自分もすぐに変化してしまうことを自覚していて欲しい。
それだけでも少し苦しみが軽減されると思う。

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