参加したいという病

参加する。
とてもいい言葉だ。ポジティブな響き。
つながっていく、人と人。人と社会。生きている実感。

それを茶化すつもりはない。
ヨガサークルで汗を流す、ボランティアに精を出す。
デモに加わってみる。

悪いことではない。
むしろ推奨されることかもしれない。

ここで病と呼ぶのは、そういう次元の話ではない。
無意識の世界である。

よくキリスト教は嫌いだ。アメリカは悪だと、
知的めいたコメントを口にする若者がいる。

しかし、そんな人たちも、
マクドナルドやコカコーラを胃袋に流し込みながら、
骨の髄まで、キリスト文明化、アメリカナイズされているのは自明だ。
骨の髄から西洋ゲームに参加している、無意識の底の底から。

確か、ロックバンド「ZAZEN BOYS」の歌詞だったであろうか、
「ゆるやかにだまされているこの感じ、ゆるやかにだまされているこん感じ」みたいなセリフがあった。
まさにほとんどの人は、キリスト文明、高度資本主義社会に根っこの部分からどっふりとつかっている。

考えてみて欲しい。
学校教育は誰が作ったのか、憲法はだれのアイデアで作られたのか。
まあ、それはいいとして。。

「がんばる」というキラーワードがある。
「がんばれニッポン」というスローガンもあった。

がんばる?

がんばるって、何を?

こんなことを言うと、ニヒリズムだなどと批判されそうだ。
実際、よく人に言われる。

でも、がんばるって、概念、誰に教わった?

お父さん? お母さん? 学校の先生?

がんばる子はえらい。
がんばらない子はクズ。

そうやって、意味不明なアジテーションをしていた人は誰?

がんばるって、一等賞をとること?
がんばるって、一流企業にはいること?
がんばるって、他人に勝利すること?

がんばって、生産すると、誰が喜ぶの?
がんばって、消費すると、誰にほめてもらえるの?

がんばって、ハッピーになるならすればいい。

でも、心が悲鳴を上げているようなら、そこからすぐにでも投降しよう。

ガンバリズムはもうあなたの心身と一体化している。
あなたはすでにガンバリズムそのものだ。

ごくろうさま。
そろそろいいんじゃない?

私はガンバリズムから脱落してはや20年。
なんの不足もなくなった。
カネも名誉もないけど、ガンバリズムも存在しない。

もちろん、一生、西洋文明の焼き印は消せない。
気を失うと思わずがんばっているときもある(笑)

で、私は何が言いたいのか。

結論はこうだ。

キリスト文明、西洋社会、高度資本主義社会と遊んでみよう。
抵抗しも意味がない、肯定したら命取りだ。

時間と金を使って、虚構の海を泳いでいこう。

戯れるというと軽薄すぎる。
サバイブするというと息切れする。
超越するというと誇大妄想だ。

私たちの人生は短い。
目の覚めるような革命など起きないし、起こせないし、起こす気概もない。

あと数十年、できることをやろう。
できるぶんだけ、大いに楽しみたい。
それがたとえ、宇宙から見れば、チリのようなよろこびに過ぎないとしても。
チリが自分だ。チリが自分の全存在なのだ。
チリのような人生にようこそ。
チリのような自分の人生にぜひ参加してください。

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