心の中で言葉を醸成させることの意味

言葉をまき散らす。
言葉を垂れ流す。

発信している側はそれに酔いしれているから心地いいかもしれない。
ただし一瞬だけ。
しばらくするとまた何か言いたくなって、言葉をさらにまき散らす。

スカスカの言葉が、ネットの中をかけめぐっている。

言葉を寝かすこと。
それは思わぬ効用も自分にもたらしてくれる。

気持ちもアイデアも一緒だ。
ひとつの言葉、着想をいったん寝かせてみる。
具体的には、一度、睡眠をはさんでみる。

するとその言葉、着想は多層的に根を広げ、さまさざまな関連事象とリンクしていく。
脳の機能は計り知れない。ほおっておいても、心持ちさえポジティブであれば、良い方向へと考えを再統合してくれる。不思議だ。

さらにもっとよいのは、その言葉を飲み込むことで、とても内省的で落ち着いた感情を持てるようになる。

躁的状態は興奮を伴う。
アドレナリンも放出するかもしれない。
ノッてる感、ドライブ感を味わえるかもしれない。
しかし、一瞬で終わる興奮は、二次的被害を誘発する。
心の渇きである。これを仏教では「渇愛」(かつあい)という。

興奮と感動をありがとう、とはよく聞くフレーズだが、
少なくとも私には不要だ。
つねにスーパークールな状態を保持したいという欲望。
スーパークールとは、超かっこいいという意味ではない。
ひとことで言えば、「静謐」(せいひつ)である。

こんなこと言えるのも、自分がこれまでさんざん、興奮と感動を体験してきて、
もう飽きたからだけかもしれない。歳をとっただけかもしれない。

しかし、さまざまな仏像で確認できるブッダのあの遠い目は、
あきらかに私たちが想像もできないクールな世界を楽しんでいるとしか思えない。

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