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高千穂郷椎葉山地域の山腹用水路

高千穂町や日之影町、五ヶ瀬町の大きな道路の近くにはたくさんの水田が広がっている。椎葉村や諸塚村でも谷筋や、ちょっと開けた尾根の上にいくと棚田が広がっているのを見たことがあるだろう。高千穂郷・椎葉山地域の水田面積を合計すると約1,800haにもなる。しかし、今から150年以上前(江戸時代後半)、全国的にはたくさんの水田が開発されて米作りが盛んだったのに、この地域には水田がほとんどなく、米を食べることができなかった。米作りのために必要な水を確保することができなかったからだ。

五ヶ瀬川や耳川は、私たちが住んでいる場所よりもとても低いところを流れているため、水を確保するためには、遠い山の向こうの川から水を引いてくる必要があった。そのためには高い技術力が必要で、西欧の様々な技術を取り入れて、日本が近代化するのを待たなければならなかった。明治維新のあと、ようやく水を引けるだけの技術力を持つようになって、100以上の水路が造られた。そのおかげでたくさんの水田ができ、米を食べることができるようになった。どの水路も水源から水田までの長い距離を山の斜面にそって水を流しているので特別に「山腹用水路」と呼ぶ。

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