坂元棚田への道-耕地整理コンセプト-

 忠犬ハチ公の主人でもある上野英三郎がまとめ上げ、出版された「耕地整理講義」。その序文には、この本を世に送り出そうと思い立った動機が記されている。

 「我が国における耕地整理事業は、今や奨励の時期は終わり、実行の時期にきている。つまり、耕地整理の方法について精査すべき時期に来ている。
 いま、世に出まわっているものの多くは、漠然と耕地整理の利点を説いているだけで、やり方によっては、耕地整理によって得られる利益も大小様々であることがわかっていない。
 そのために、非効率で無意味な事業すらある。今日の耕地整理は、画一的で整形された美を飾ることを急ぎ、実利を得ることが目的ではないようにすら思える。そのような事業は、労力の割に得られる利益が少なくなるばかりか、いずれもう一度事業を行わざるを得なくなるであろう。これを私は識者と共に深く憂いている。
 農業土木の専門家としての私は、さらに一歩進めて、この誤りを正すことこそが私の責任であると思い、私はこの本を世に出そうと決意したのである。」(注・現代語訳著者)

 この意気込みのとおりこの著書には、耕地整理のコンセプト、この時代の近代化農業の考え方が節々と綴られている。上野の理念は、この著書と耕地整理講習を通じて、多くの実務者・技術官吏の中に根付いていくことになる。
 耕地整理講義は次に示す目次のように七編からなっている。

 第一編 緒論
      耕地整理の目的/耕地整理の利益/耕地整理の沿革/耕地の成立
 第二編 水路論
      水路概説/用水路/悪水路
 第三編 道路論
      道路/畦畔
 第四編 耕地区画論
      耕地の形状/区画の面積/区画の方位
 第五編 耕地整理方式論
      総説/静岡式/石川式/近似の整理法式/外国の整理法式
 第六編 設計論
      総説/企業上の注意/調査の事項/測量及製図/水路の設計/道路の設計/区画の設計/土工/耕地整理費
 第七編 耕地整理余論
      附帯事業/貯水池/器械揚水/暗渠排水

 耕地は、単に耕作の対象となる土地だけで成り立っているわけではない。耕地には道路がいる。水田には水路や畦畔も必要。だから、耕地の形を考えていくためには、区画、道路、水路、畦畔のすべてを総合的に考えていかなければならない。そして農業経営上の利益を最大にするための最適な道路や水路、畦畔の組み合わせを考えていかなければならない。このことは目次の順序によく現れている。つまり、第一編の緒論に続いて、第二編で水路(用排水路)、第三編で道路、第四編で区画の機能や構造を理論的に検討している。その後、第五編でそれらの要素の組み合わせを耕地整理法式として詳しく説明しているのである。

 原則として、労力を少しでも軽減できるように耕地を整える必要がある。そのためには、動力として牛馬(将来的には機械)を使って効率的に農作業が行えるよう区画を整理・拡大することを必要とした。

 区画の整理を行うときには、水路と各区画が接続するように配置すること。そのために、浸透量と蒸発量をもとに、必要な農業用水量を算定すること。水路は可能な限り用水路と排水路を別々にすること(用排分離)が求められた。
 しかし、この用排分離の水路の実現は、まだこの時代では困難で、これを実現できるようになるのは戦後までまたなければならなかった。この時代に多く採用された用水路の形式は、用水と排水を一つの水路で流す用排兼用水路であった。それでも、従来の古い水田で行われている田越し灌漑と比べると格段に水の管理をしやすくした。

 道路も各区画と接続させることを特に重視した。これは牛馬を動力として使う耕作を前提とするためである。それまでは農地と農地の境界にあたる「あぜ」つまり畦畔が道の役目も果たしていたが、牛馬がここを行き来するには狭すぎた。それに、他人の区画を通ることなく、直接牛馬を自分の区画に入れるためには、道路と各区画をつなげた方がよい。

 区画の形については、長方形にすることを推奨している。このときの長辺の長さは、短辺の二~五倍を目安としている。これは牛馬による耕耘などの作業を効率的に行なうためであり、とくに長辺の長さについては、計算によって理論的に検討して算出している。たとえば、牛馬は回転するのに時間がかかるため、長辺を40 m 以上確保するとより効率的であるため、理想的な区画面積は20~40 a で、地形的に許されれば50 a の区画を最良とした。また、その長方形区画の短辺に、道路や水路を接続させることで理想的な農地区画になるとした。

 耕地整理講義には計算の数表や、様々な基準となる数値が多く掲載されている。これは誰でも自分で計算して確認できるように配慮されているためである。加えて、なぜそう考えるのか、どう計算するのかについても、根拠を詳しく解説していることに驚く。これには、頭を使わずに、良いとされるものを機械的に取り入れて耕地整理してしまうことを痛烈に批判していた上野の姿勢が現れている。よい設計のためには、調査の経費と労力を惜しんではならない。現場をよく調べたうえで、論理的に考えること。そして道路や水路、区画は、現場の状況に合わせて総合的に考えたうえでに、利益を最大にできるならば標準的なものにとらわれずに、臨機応変に設計していくことが大切であることを強調したのだった。

 上野が大切にしたこの考え方は、明治後期・大正・昭和初期に活躍した全国各地の技術者の中にしっかりと浸透していくのである。

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