棚田のコメ

いま、日本の農業を取り巻く環境は厳しい。とくにコメだけでは、生活するだけの所得を得ることができない農家がほとんどである。

食糧難だった戦後から一転してコメ余りの状況を生み出してしまった日本の農業政策は、いくつかの重要な局面でその進路を見誤ったと言われている。その一つが2017年まで続いてきた減反政策に代表される過剰な農業保護政策だ。農家を守ろうとする意識が強すぎたがために、コメ価格を安く据え置く代わりに、補助金でその埋め合わせをしてきた。それがかえって農家の補助金依存を強くしてしまった。結果として、普通に農産物を作っても儲からない農業経営を生み出し、それが農村を捨てて都市へと移る若者を多く生み出した。今や農村の人口の多くは高齢者となり、耕作放棄地が広がる農村風景を生み出してしまった。棚田の多い中山間地では、とくにそういった農村風景をよく目にするようになった。

さらに、あらゆる物品・サービスが世界中を行き来する時代を迎えて、より自由に貿易ができるように、二国間で、多国間でと、様々な貿易上の枠組みが世界で作られようとしている。こうなると、海外の農産物が安く大量に輸入されるようになり、競争力のない農産物ほど、苦しい立場に立たされる。とくに、日本は海外に比べて農地が狭く、人件費をはじめとする生産コストが高いため、農産物価格も比較的高い傾向にある。

こうした時流の中で、かつてないほどに農業経営の難しさに直面している。生産量を上げるかコストを抑えるかして、低価格な農産物を提供する方向か、少量ながらも付加価値を付けて高価な農産物でも買ってもらえる環境を整えるか。こういった選択を迫られている地域や農家が多くいる。

中山間農地の代表である棚田で、生産量を上げるのは、物理的制約が大きいため難しい。コストを抑えるのももっと難しい。それで、付加価値を付けて農産物を選んでもらう戦略を選ぶしかなく、実際ほとんどの地域再生・地方創生の取り組みで、農産物の高付加価値化、ブランディングが試行されている。

農産物につけられる付加価値には、大きく二つあると思われる。一つは味の優位性で、もう一つは何かしら限定的な要素を付加することである。これらはそれぞれが独立していることは少なく、多くは共存関係にある。つまり、味がよくても食べられる時期が限られる、もしくは味がよくても食べられる地域が限られるものは多少高い値段がついても、多くの人はそれを買う。

棚田という環境でコメをつくることは、限られた地域でつくられるという意味での限定的な要素とみなされる。しかし、限定的な要素を持っていても味が悪ければ価値は付加されない。付加されるだけの価値のある味をもつことは、農産物の最も大事な要素といえる。その味の向上には、十分な生産環境と、技術の両方をそろえておく必要があるが、十分な生産環境の面で棚田は若干不利といわざるをえない。では、棚田のコメは、平場のコメより味は劣るだろうか。


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