水路写真

坂元棚田の特徴-用水路-

原野を開墾して水田耕作が可能な区画を百枚もつくりあげる一大事業。その成功の要は、水源の確保とその水を農地まで導く用水路にあった。そのため、水源計画と水路の詳細は、設計書で最もページを割いた箇所であった。

水路とは、用水路や排水路、承水路などあらゆるタイプの水の路(みち)を表す。設計書であつかう水路は、用水路、つまり灌漑用の水路であるため、以後基本的には用水路と表記する。

坂元棚田の用水路には二つのタイプがある。一つ目は、水源で取水されて水量をほぼそのまま棚田地区まで送水する用水路つまり幹線用水路である。二つ目は地区まで導かれた水をいくつかの農地のまとまりに送水するための支線用水路である。

幹線用水路は、溝口谷川を取水点として棚田地区の最頂部まで送水する1,675 mの山腹用水路である。山腹用水路とは、文字通り山腹斜面を横切るように開削された用水路のことである。坂元棚田のように、棚田地区の流域とは異なる流域から水を得ようとすると、流域の境界となっている尾根を迂回するか、トンネルでくぐるかしかない。地山の地質や技術水準などによって用いられる方法は変わる。しかし多くの場合、労力はかかるものの技術的には容易なため等高線に沿って迂回しながら水路を開削することが多い。比較的地山のもろい坂元棚田では、尾根を迂回させて開削する方法がとられた。

棚田まで流れてきた水は、いよいよそれぞれの水田へ取り入れられる。棚田に限らず、昔から日本に存在する多くの水田では、「田越し灌漑」という方法で一つ一つの水田に灌漑水が配られてきた。河川や水路など水源近くの水田にまず取水される。その水はその水田を満たした後、排水されるが、その水は隣接する水田へ注がれる。つまり前の水田の排水は、後の水田の灌漑水となる。後の水田で灌漑された水もやがて排水され、次の水田の灌漑水となる。このように、水源に近く標高の高い水田から、順次水を取り入れ、使い、そして送りながら下流の水田まで、田を越しながら地区の隅々まで水を行き渡らせる灌漑方式が、田越し灌漑と呼ばれる方式なのである。

この田越しによる灌漑を行っている地区には、水路がほとんど存在しない。あるのは水源から地区まで水を引いてくる幹線用水路と、最下流部の排水路を確認できるくらいである。あとは、隣接する田と田を分ける畦畔にところどころ溝があるのみである。この田越し灌漑は、少ない水をうまく分け合いながら地区全体でコメづくりを行うために、試行錯誤の結果として形作られる。だから、水田地区のそれぞれに固有の水の流れ方があって、一つとして同じものはない。とくに、日本の棚田は、中世以降、山あいの湧水や伏流水のわずかな水を巧みに利用してコメづくりを行ってきた地域であるため、ほとんどすべてがこの田越し灌漑方式であった。しかもその配水経路は複雑であった。田越しによる灌漑は、それぞれの農家が自分の意思で水の出し入れをすることができない欠点を持つ。取水とは、隣接する上流側水田の排水でもあるため、自分の水田の排水を自分の意思で勝手に止める訳にはいかない。そのため地域独自の水に関する取り決めを持っていることが多く、同じ水を分かち合う共同体としての一体感をはぐくむ重要な仕組みでもある。

坂元では、棚田の中に水路が存在する。つまり掛け流し灌漑方式ではない。水田区画の中に、北から南までまっすぐ長方形区画の短辺に沿うよう水路が配置されている。これは幹線用水路から分岐した支線用水路である。設計書には、この水路を「用排兼用」と記載されている。それぞれの水田は、この支線用水路から水を取り入れ、余った水をまたこの支線用水路へ排水するよう設計されているのだ。つまり灌漑用水を配るための用水路と、水田からの余分な水を排水する排水路の両方の機能を兼ね備えているのである。坂元棚田では、この用排兼用水路を採用することによって、それぞれの農家は、自分が望むタイミングで水の出し入れができるのである。これは設計当時(大正末期)としては先進的な水管理の方法である。ほぼ真っ新な土地に、新しく水田を作り出す坂元棚田だったからこそ実現できた灌漑方法であったと考えられる。しかし、田越し灌漑方式に比べ、この用排兼用方式は多くの水を必要とする。しっかりとした水源を確保し、水量の目途がたったからこそ、この灌漑方式を採用することができたといえよう。

現在の灌漑排水学の中では、用排兼用水路による灌漑方式は、すでに時代遅れの方式である。水路を共有しているため、田越し灌漑方式ほどではないものの、上流と下流の水田では水利用の優劣が存在する。つまり上流の水田ほど豊富に水を使うことができて、上流の水田排水に肥料や農薬の残留物が溶け込んでいるため、下流水田にとって水質的な影響もゼロではない。しかし、地区の水資源や水路を共有し、農家相互の関係性を大切にしつつも、水田の水管理はある程度自分の思うようにできるこの灌漑方式は、地域の共同性を保っていくものとして見直す動きもある。用水路と排水路が完全に分離して、まるで水道の蛇口のように水管理ができるようになると、隣接する水田同士とはいえ、関係性はある程度希釈になる傾向にある。水路を共有しなければいけないという、縛りがあるゆえに保たれる共同関係。坂元棚田が造成されてから今日まで、途切れることなくコメづくりが続けられてきた一つの要因が、この用排兼用水路にあったのかもしれない。

棚田を訪れると、滝のように一段一段水田を流れ落ちる水の姿を見ることができる。この様式は開田当時から採用されているものらしい。一見すると非効率なこの水路の様式は、平成12年から16年に実施された県営里地棚田保全整備事業による棚田の再整備のなかで、改修される予定だった。しかし、地元農家の強い要望で滝のように流れる特徴的な水路様式はそのまま残し、水路を補強する程度の改修にとどめられた。この一件からも棚田を流れる水に対する農家の思いを知ることができる。

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