耕作放棄の危機を超えて

農業の近代化は、日本の農村風景を大きく変えた。さらに、高度経済成長によってもたらされた農村から都市への人口流出は、農村の人口を急激に減少させ、同時に高齢化をもたらした。人口流出の主体は若者であったため、農村には高齢者だけが取り残されたのだ。これに農産物価格の下落も重なったことから、経済的な理由で農業をあきらめる農家や若い労働力を失って農業を続けられなくなった農家が続出した。その結果、耕作されずに荒廃していく耕作放棄地が中山間地を中心に急速に広がった。とくに労働条件が悪く、収量も低い棚田は、まず最初に耕作を放棄される候補地にあげられた。江戸時代に開田し耕作されてきた棚田は、労働生産性が低く水の便も悪い。そこで土地を改良して生産性をあげようとする試みるには、条件が悪く、経済的にも見通しが立たないため、農地の近代化へ踏み切れない。そういう古い棚田の多くは次々と耕作されることを放棄されていった。

酒谷村では、坂元棚田の開田事業が成功したことから、周辺地域でも多くの耕地整理組合が設立され、事業が実施され、農地が生まれた。しかし、奥まった谷などに開田された小規模な農地(棚田)もまた、アクセスが悪くて区画形状や水利条件が不利な農地から順に耕作が放棄されていった。

棚田地域の耕作放棄の要因を分析した有田・木村(1997)の報告がある。南部木曽山脈の南端部に位置する山村で調査されたものだ。その報告によると、棚田地域では農地へのアクセスのしやすさ、労働生産性にかかわる通作や機械利用の利便性が耕作放棄される農地とそうでない農地を分ける重要な要件であるとしている。通作とは、自宅から農地へ通いながら耕作をおこなうことで、道路整備や自宅から農地までの距離などが関わってくる。機械利用についてもやはり、道路が重要で、機械の運行・進入のしやすさ、区画の規模や形状による作業のしやすさが重要だとしている。驚くべきは、こういった農作業のしやすさが、土地の水条件や日照条件、土壌条件の優劣よりも重要な要因になっているということである。良質で多量のお米を耕作できるかどうかよりも、作業のしやすさが耕作を放棄されない上で何よりも大切なのだ。加えて、生産調整や災害に見舞われることによる意欲の減退、周囲の農地の荒廃・粗放化が進むとそれに影響されることなどがあげられている。

坂元棚田では、2014年時点で107筆で水田耕作されていた。耕地整理によって誕生した区画が119筆だったので、12筆が水田耕作をやめていることになる。かつて水田だった区画は畑や果樹園となっているため、耕作放棄された区画は少ない。しかし、地区の東側を流れる幹線水路の東側にはいくつかの耕作放棄水田があり、これらは徐々に山林へと戻りつつある。ここは地区の人々が「古田(ふった)」と呼ぶ水田で、昭和3年の耕地整理事業以前から細々と耕作されていた農地である。ちなみに耕地整理事業で新しく誕生した水田は「新田(しんでん)」と呼ばれている。これら古田は、すぐ横の山林から湧くわずかな渓流水を灌漑水として利用して稲作が続けられてきたところだ。もちろん耕地整理事業によって誕生した幹線水路の水を利用している水田もあるが、ほとんどの水田が上の田の水を下の田へ流し、田を越しながら灌漑していく「田越し灌漑」をしている。一般的な棚田に見られる灌漑方式が、ここ坂元棚田の古田でも見ることが出来る。それだけではなく、古田の畦畔は石積みではなく、土を持った土破畦畔が多い。区画も新田のような長方形ではなく、等高線に沿った形をしていて、大きさもまちまちで、道路に面していない水田もある。古田のなかでも奥まった区画から順に耕作が放棄されるようになり、いまでは幹線水路東側の古田はほぼ耕作されなくなってしまった。

一方で、耕地整理事業によって誕生した新田には、耕作放棄水田はない。水管理のしやすさ、農作業のしやすさ、道路からのアクセスのしやすさが確保されていることの意義は、耕作を放棄させないという面でも計り知れないのである。それはひとえに松井梅次が実現させた上野博士の耕地整理コンセプトを十分活かした設計の賜である。開田当初から昭和40年ごろまでは、馬を使った水田耕作が続けられてきたが、その後徐々に耕耘機などの農業機械を使った耕作に切り替わっていった。馬を使う耕作のためにと考えられた坂元棚田の区画であったが、馬を耕耘機に変えても、その機能が活きたのだ。農業の機械化は、ここ坂元棚田では従来の農地にほとんど手を加えることなく、比較的スムーズに移行できたのだ。その後、平成12年に県営里地棚田保全整備事業が実施されて、馬から機械へ移行したことによる傷んだ道路や石積みの補修、一部アスファルト化を実施した。また水路の補修・増強を行ったことによって、いわゆる近代化農業を無理なく実行できたのだ。

現在、坂元棚田で水田耕作されている農家は11戸(地区内9戸、地区外3戸)(2011年時点)。その多くは60歳以上の方々。客観的に見ると高齢化が著しく、坂元棚田での水田耕作が今後も続いていくかどうかは、予断を許さない状況になっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?