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プロフィール

こんにちは。
中国・広州に住んでいる2児の母「ぼのぼ」です。
移住して丸4年が経ちました。旅行や英語教育にまつわるあれこれをnoteにまとめようと思います。

1、ざっくりとした経歴

幼少期
→岩手県生まれ。 お手伝いは牛の世話、学校まで片道2kmを歩いて通うという、ハイジのような子ども時代を過ごす。

10代後半〜20代前半
→アナウンスと日本語学を学ぶ。

20代前半〜後半
→上京し、自分探しのふらふら期

20代後半〜30代前半
→某広告会社や地方スポーツ紙のメディアカメラマンで取材ざんまいの日々。

30代前半〜後半
→結婚・出産後、ケータイコンテンツ制作の会社で働く。

30代後半
→育児がひと段落した頃にネイルに目覚め、資格を取得。

40代前半
→夫の転勤に帯同し、中国へ。今(アラフィー)に至る。

自分探しのふらふら期には、赤坂の料亭の仲居から某テーマパークのアラビアンエリアのペイントなど、気の向くままいろいろなアルバイトをする生活も経験しました。失敗や迷惑をかけたことも含めて、今までやってきたことで役に立たないことはないんだな〜と実感しています。

2、大失恋してモンゴルに初日の出を見に女ひとり旅をした話

20代の半ばに自分探しのため少々エキセントリックだった私は、一人の芸術家を好きになりまして。「私はこの人と一緒にヨーロッパのとある国に行って、彼をサポートして結婚するんだ〜」るん✩.*♪(o´∇ `o)♪.*✩るんと、夢見ていたわけです。でも、私の精神はまだまだお子ちゃまだったんですね…。自分のやりたいことを彼に投影させて、サポートしている気になっていたんですよね。知らず知らずのうちに我慢しているストレスが溜まっていって、自分でも気がつかないうちに、彼を束縛するようになってしまったんです。
(●・̆⍛・̆●)マズイよ。

結果。

彼は他の人(しかも私も知っている人)を好きになり、当然のごとくフラれました。
ウワアーー。゚(゚´Д`゚)゚。ーーン!

半年経っても、昼間仕事中のパソコンの画面が涙で滲む日々…。夢破れてこのままじゃ立ち直れないと考えた結果、自分の限界を試すために、

「1999年〜2000年の年末年始をモンゴルのゲルで過ごし、初日の出を見る」

という目標を立てました。実現できたら、自分一人で生きていけると証明できるんじゃないかと信じて。

モンゴル専門の旅行会社に手配を頼んで、行きは北京から国際鉄道でウランバートル入りし、帰りはモンゴル航空で北京に戻るというルートにしました。中国に住んでいる今からさかのぼること約20年前、実は北京に行ったことがあったんですよね。しかも、全く言葉もバスの乗り方もわからないのに、飛行機が隣だった東南アジアの人と一緒に天安門広場に行って、記念写真撮ったという若さゆえの暴走っぷり。

年末年始の数日をゲルステイ、ウランバートル市内で1泊、北京で行きと帰りの2泊して、亀岩や朝市、デパートや文房具店にも連れて行ってもらい通訳さんもついて、26万円ぐらいだったと思います。今考えたらかなりリーズナブルだよね。
コスパ良し!!(゚Д゚ノ)ノ

北京到着の飛行機が遅れてしまい、前日の夜に列車のチケットがホテルで受け取れず、自力でタクシーで北京駅まで行ってもらったり、このままモンゴルに行けずに日本に帰らなくちゃならないのかと失意に沈んでいたら、旅行会社が急遽モンゴル航空を手配してくれたり、パプニングの旅でした。

3、でも、この旅で得たものは大きかった。

マイナス20度の国で過ごす大晦日、近所の若者たちとシャンパンで乾杯して迎える新年。近くのゲルに行ったら、なんと私と同じように女一人旅の日本人がいて、親近感を覚えたり。

若い女の子の通訳さんが、ゲルの薄暗い明かりの中で英語の他にロシア語も一生懸命勉強している姿。どんな過酷な所でも生活をする人々がいること。

遊牧民族のカラフルな住居。
馬のまつげにかかる氷の粒。
満天の星空の下でする野糞。

何よりも、モンゴルの初日の出を見ることを実現したのが自分に力を与えてくれました。

「やればできるんだ、私。」

そして、マニュアルの35mm一眼レフカメラを持って行ったことが、この後の自分に影響するのだけれど、それはまた別の機会に。

こんな私が綴っていく広州生活&旅行ブログを、これからもどうぞご贔屓に〜。
♡(人>ω<*)

風の噂で聞いたところによると、その時の彼はヨーロッパのとある国でちゃんと芸術家になっているそうです。よかったなぁ。

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中国は色々とネット規制があるので、サポートは帰国後に次のステップに進むときに活かそうと思っています。今は広州の色々な城(問屋)を攻めてます(w)