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The Atrix【U2の「11 O'Clock Tick Tock」の元ネタ?】

  • 活動期間:1978年~1983年、1985年~1986年

  • 出身地:ダブリン

  • メンバー(結成時):John Borrowman (Vo & G)、Chris Green( Key & Vo)、Alan Finney later(B)、Hughie Fred( Dr)

ほとんど情報ありません。バンドのバックグラウンドも分かりません。が、デビュー前のU2と時を同じくしてダブリンで音楽活動をしていたバンドです。写真はThe Sound Of Irelandという1980年3月にロンドンで行われた、ロリー・ギャラガーをメインアクトとするアイルランドの若手バンド紹介コンサートに参加した時の一コマ。U2のボノ、VPのグッギと並んで、ボーカルのジョンの顔が見えます。1979年に発売されたアイルランド若手バンド紹介コンピ『Just For Kicks』にもU2などともに「Treasure On The Wasteland」を提供しています。

1979年にアイルランドの某インディースレーベルから発売された1stシングル。ホットプレス誌が選ぶ年間ベストシングル28位(U2は「Stories For Boys」で2位)、アイリッシュ部門5位(U2は「U23」で1位)。プロデューサーは、The Radiators From Space及びThe Poguesのフィリップ ・シェブロンです。当時のダブリンでピアノを大々的にフィーチャーしたバンドはここくらいしかなかったそうです。

1980年にリリースしたシングル。ホットプレス誌が選ぶ年間ベストシングル11位(U2は「11 O'Clock Tick Tock」で2位)、アイリッシュ部門5位(U2は「11 O'Clock Tick Tock」で1位)。プロデューサーはなんとあのミッジ・ユーロで、Ultravoxの半公認日本語ファンサイトでも紹介されていました――そしてこの動画のUp主によるとリフがU2の「11 O'Clock Tick Tock」そっくりとか。たしかに聴いてみると……似てる!

「11 O'Clock Tick Tock」の発売日は1980年5月23日(@U2によると少なくとも5月11日には演奏されている模様)。「Treasure On The Wasteland」は1979年には演奏されていたようなので、これはパクリを疑わせるに十分……かな?(笑)。またUp主によると「11 O'Clock Tick Tock」の原型はVPの「In The Greylight」という曲ではないかというのです(ようつべには動画なし)。言わずもがなVPのギタリストは元U2にしてエッジの兄デイブ・エバンス。「In The Greylight」は1981年に「Moments And Mine(Despite Straight Lines)」のB面として発売されていますが、恐らくその前からライブでは演奏していたと思われます。そして「11 O'Clock Tick Tock」はU2の初期曲の中でもかなり異色で、そのタイトルを付けたのはギャヴィン・フライデーということからもして、もしや……ということも考えられますが、結局、真相は闇の中です。

1981年にリリースされたバンド唯一のアルバム「Procession」。ホットプレス誌が選ぶ年間ベストアルバム・アイリッシュ部門で5位(U2は「October」で1位)、シングルカットされた「Procession」が年間ベストシングル20位。プロデューサーはThe Stone Rosesの1stをプロデュースしたことで知られ、今やUK随一の売れっ子プロデューサーであるジョン・レッキーです。ちなみにこの動画のUp主はJohnの親戚の方で、RTEテレビ局から映像を買い取って、Youtubeにアップしたようです。

この映像は1983年2月14日Top Hat in Dun Laoghaireという場所で行われたライブの様子。が、結局、商業的成功を収められなかったバンドはこの年に解散します。この後、ジョンはミュージカルなどを手がけたり、詩集を2冊自費出版したりしていたようです。1985年~1986年頃、ジョンはバンドを再結成してシングルを数枚インディーズからリリースしています。ちなみにこの間バンド名は、Very Much in Love→The Atrix→Afghan Trucksと目まぐるしく変遷しています。

1990年頃にジョンはソロアルバムをリリース。ここで音源が聴けます。
1998年、Johnはコペンハーゲンで亡くなりました。生年月日は分かりませんが、恐らく50年は生きてないのではないでしょうか? 亡くなった時は、ホットプレス誌に追悼文が載りました。芸術を愛し、プロの芸術家にはなれなかったけれど、間違いなく芸術家だったナイスガイの短い生涯。
こちらは娘さんのFB。血は受け継がれています。
R.I.P.John Borrowman

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