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R.E.M.の歴史③


R.E.M.の歴史②

そして静かに終焉へ

Up

1998年10月27日発売
US3位 UK2位
前年にU2が『Pop』を発表していたので、「R.E.M.もそう来たかー」と思った覚えがあります。
ドラマー不在という危機に真正面から取り組んだエロクトロニックな作品で、素晴らしい仕上がりになっています。当時、ピーター・ゲイブリエルも『Up』というタイトルのアルバムを制作中でお互いにエールを送りあったという逸話があります。ちなみにライナーノーツに初めて歌詞が載り、その日本盤には田中宗一郎氏の長文が載っており、必読です。

今は、このアルバムの重みを、僕はしっかりと感じていたい。そう、この重みは、彼らR.E.M.だけが背負っている重みではない。われわれひとりひとりがしっかりと受け取るべき重みなのだ。こんなにも「克服すべき受難に満ちた祝福」をありがとう、ピーター、マイク、マイケル。俺達はやるよ。

US56位 UK6位
アルバムのリードシングル。PVは当時女子高生ブームに湧いていた渋谷で、退屈でつまらない人生を送っている人々に送る賛歌になっています。

UK26位
冗談みたいな「Airportman」の次に「ヘイ、ヘイ」と力強く始まるアルバムの2曲目。 U2の「Mysterious Ways」「Discotheque」のPVを監督したステファン・セドゥナウィのPVが非常にカッコイイ。

UK10位
R.E.M. 版ビーチボーイズとも言うべき曲。初めて聴いた時は、年甲斐もなく、うっとりした覚えがあります。

アルバム発表後、R.E.M.は北米とヨーロッパをツアーで回りました。が、アルバムのセールスはかなり苦戦し、実数はよく分からないのですが、発売当時、アメリカでは50万枚、UK、ヨーロッパで150万枚と、ワーナー移籍後の「西低東高(アメリカよりもUK、ヨーロッパで売れる)」の傾向がより顕著になりました。またウィキにも前作のセールスがUS99万枚、UK35万枚となっているのに対し、本作のセールスはUS66万枚、UK30万枚となっています。批評家受けもよく、メンバーもアルバムの内容に自信を持っていただけに、この結果には落胆したようです。また再契約の際の巨額の契約金を支払ったワーナー関係者も真っ青になったことでしょう。

1998年6月13日・14日。ワシントンで行われたチベタン・フリーダム・コンサートで、3人になったR.E.M.としては初めてステージに上がり、トム・ヨークと共演しました。『Kid A』制作時、トムはマイケルから様々なアドバイスを受けたそうで、それがあのエレクトロニカ路線に繋がったのかもしれません。
ちなみにトムのお気入りR.E.M.の曲はこのようになっています。

1. Electrolite 
2. Begin the begin 
3. Flowers of guatemala 
4. Talk about the passion 
5. So.central rain 
6. E-bow the letter 
7. Fall on me 
8. Nightswimming 
9. Second guessing 
10. Perfect circle

Man on the Moon


1999年11月23日発売。
初めてR.E.M.がサントラ全編を担当しました。この後、マイケルは『ベルベット・ゴールドマイン』や『マルコビッチの穴」のプロデュースを手がけたりと映画方面に進出します。ちなみに映画『セブン』でケヴィン・スペイシーが演じたサイコキラー役は、最初、マイケルのところにオファーが来たのですが、ツアー中だったので断ったのだそうです。

US57位 UK3位
R.E.M.史上屈指の名曲だと思うのにアメリカでの売れなさ加減に吃驚ですね。

Reveal

2001年3月14日発売
US6位 UK1位
大統領選挙の年に間に合わなかった本作は、引き続きパット・マッカーシーのプロデュースで、前作のエレクトロニカ路線をさらに推し進めた感じです。好意的に受け止める人が多く、私も好きなのですが、若干前作に比べて曲の弱さが気になりました。セールスの低下傾向も止まらず、UKでは前作並だったものの、アメリカでは40万枚ほどのセールスに留まったようです。同年、『All That You Can't Leave Behind』を発表して復活を遂げたU2とは実に対照的。このあたりからU2とR.E.M.の差が広がったように思います。ちなみにプロモで来日しラジオ番組で「I've Been High」を演奏しました。

US83位 UK6位
日本でもスマッシュヒットしたこの曲も、アメリカではトップ100がやっという有様。それはともかくこのPVはユニークで話題になりました。撮影時間は僅か15秒で、巻き戻しと再生を何度も繰り返し、その度、歌詞を歌っている人をズームインするという手法が採られているそうです。
この曲は村上春樹さんのR.E.M.で一番好きな曲で、『村上ソングス』という本の中で触れているとのことです。

UK24位
PVの監督はあのマイケル・ムーアです。

UK8位
2003年に発売されたベスト盤のリードシングル。I.R.S.時代のアウトテイクです。

UK33位
これもベスト盤に収録された新曲。新機軸で、また元気が出てきたなと思った覚えがあります。バンドのメンバーも曲の出来に満足していたようですね。

が、「Bad Day」がアメリカでチャートインすらしなかったことで、「R.E.M.は落ち目じゃないか?」と尋ねたインタビュアーにマイケルが反論するという一幕がありました。

(そう言われるのは)頭にくる。アメリカのカルチャーは、ティーン志向だ」「ジョージ・クルーニーやブラッド・ピット、トム・クルーズを見てみろ。彼らは僕とそんなに年が違わない。彼らのやってることで年齢を問題にする奴はいないだろ

マイケル・スタイプ、R.E.M.の時代は終わったという意見に反論

2004年10月、大統領選挙直前、民主党候補のジョン・ケリーに投票を呼びかけるコンサートにR.E.M. も参加しました(結果はブッシュ・ジュニア再選)。出演者は他にブルース・スプリングスティーン、Dixie Chicks、Pearl Jam、ジャクソン・ブラウン、ボニー・レイットなどなど。
このステージでR.E.M. はブルース・スプリングスティーンと共演しました。

楽屋でメンバーがアコギで“Born to Run”を弾きはじめると、 「おっ、“Born to Run”じゃないか。これは最高のスプリングスティーン・ソングだよなぁ」と、早速マイケルも輪に加わり歌い出す。歌詞も完璧に覚えてる。途中で歌うのをやめると、 ピーターがつなげて歌うので曲はつづいていく。明らかに盛り上がってた。その後、なにやら自分達の限定CDボックスをいじりながら、「これを彼にプレゼントするんだよ」とちょっと委縮気味。廊下でいよいよスプリングスティーンとご対面。「よぉ、元気かい?」と声をかけられたとき、 まるで新兵のようにメンバー全員が廊下の壁に並んでいるのが初々しかった。マイケルが「あ、あの、これなんですけど、さ、差し上げまっす!」とCDをおずおずと差し出すと、 スプリングスティーンは快く受け取った。さらに「R.E.M.の曲は俺も知ってるぞ」と返事をもらう。ステージに一緒に立って歌うスプリングスティーンの横で少年の笑顔で見とれるマイケル。 相変わらず緊張して歌い出せないマイケルをうながすと弾かれたように歌いだした。

R.E.M.解散!!

なかなか凄い組み合わせですね。願わくばボノ&マイケル・スタイプの組み合わせを一度でいいから見たかった・・・・・・と思ったら一度だけ共演したことがあるようで、Youtubeに音質は悪いですが音声のみ挙がっていました。

Around the Sun

2004年10月5日発売
US13位 UK1位
「Leaving New York」を初めて聴いた時、その凡庸さ加減に吃驚した覚えがあります。残りの曲も……もちろん一定水準以上なんですけれど、退屈なソフトロックというか。ラッパーのQティップと共演した「The Outsiders」もミクスチャーロックを通過したこの時点では、ダサいの一言。批評家には酷評され、セールスも激しく落ち込み、ここにR.E.M.の没落は決定的になりました。メンバーもアルバムの出来には不満だったようです。

UK5位
スタジオアルバムのリードシングルが、遂にアメリカではチャート外。

これはアルバムの中でも佳曲の部類。どうせならこれくらい電子音バチバチにしてしまえばよかったのにと思います。

これも佳曲……あれ、ひょっとしてこのアルバム好きなのか😅ただミドルテンポの曲ばかりで、アルバム全体としては退屈な印象は拭えないんですよね。

このアルバムを発表後、久々にワールドツアーを敢行し、2005年3月16日 日本武道館、17日 愛知県芸術劇場大ホール、18日 グランキューブ大阪メインホールと10年ぶりの来日公演も果たしました。アルバムの出来はいまいちでしたがこのライヴはよかったですね。凡庸に思えた「Leaving New York」も、マイケルがシャウトするところでは、目頭が熱くなりました。

演奏が終わると、場内からは大きな拍手が沸き起こり、これがまるで洪水のような勢いで耳を襲った。客のテンションは、基本的に尋常ならぬ高さなのだ。そういえば外でグッズを求めたとき、テント前は押し合いへし合いですごい状態だった。あれR.E.M.のファンってこんなに血の気多いの?意外だな~なんて感じていたのだが、恐らくは10年待たされたという飢餓感がそうさせているのだろう。あるいは、今回が初めてという喜びに満ちたファンが、多く集まったのだと思われる。

R.E.M. 2005.3.16:日本武道館

2005年に開かれたライヴ8にも参加しましたが、R.E.M.のステージが話題になることは少なかったように思います

2007年3月12日、R.E.M.は遂にロックの殿堂入りを果たしました。プレゼンターはエディ・ヴェーダー。大先輩のパティ・スミスと同時、先輩のU2より先というのが意外でしたね。が、段々と過去のバンドになって行くような気がしたのも事実。

Accelerate


2008年4月1日発売。
US2位 UK1位
アメリカで初めて黒人系大統領が誕生したこの年に発表された、マイケルが「死ぬ気で作った」と言う本作は、ワールドツアーやI.R.S.時代のアルバムのリマスター再発の経験を踏まえ、荒々しいギターサウンドに回帰しました。プロデューサーは、エッジから紹介された、U2の『How to Dismantle an Atomic Bomb』のプロデューサーにも名を連ねているジャックナイフ・リー。このプロデューサーの選択だけでも原点回帰は明らかですね。またライヴ感を大事にするためにほとんどの曲が3~4テイクでレコーディングされたそうです。

US85位 UK54位
元のタイトルは「Disguise」(変装)だったのですが、Coldplayのクリス・マーチンのアドバイスで、このタイトルに変更したそうです。青年期の悩みを抱えた若者へのメッセージソングらしく、R.E.M. のいいところがすべて詰まった佳曲だと思います。

アルバムの1曲目なのですが、曲の勢いにバンドがついていっていないような印象を受けました。たしかに力強いギターサウンドは帰ってきました。アルバムは批評家にもファンにも好意的に受け容れられ、アメリカのチャートポジションも復活・・・・・・が、まるで樽から漏れる水を手で塞ぐかのように、どこか無理している感じがしたのは私だけでしょうか? 前作、前々作に引き続き曲自体の弱さも気になりました。またウィキによると、UKでのセールスは、CDが売れなくなった時代になったとはいえ、前作の約半分の10万枚程度に留まったようで(USについては記述なし)、セールスの低落傾向に歯止めがかかったわけでもなかったようです。

2009年1月18日に開催されたオバマ大統領就任記念コンサート。ブルース・スプリングスティーンもU2もいるのに、『Green』あたりからあからさまに民主党を応援し続け、ビル・クリントンの時はU2と「One」を歌い、ケリーの時はケリーTシャツを着て応援コンサートまで行ったR.E.M.の姿がないことに一抹の寂しさを感じたのは私だけでしょうか? まあ、黒人があまりいないオルタナは避けられたのかもしれませんが(でもそれって人種差別じゃん)。

Collapse Into Now


2011年3月8日発売
US5位 UK5位
プロデューサーは二度ジャックナイフ・リー。レコーディングの大部分はU2の『Achtung Baby』がレコーディングされたベルリンのハンザ・スタジオで行われました。アコースティックとエレクトロニックがバランスよく融合した、これまでの集大成的な作品です。『Around The Sun』でやりたかったことが、ようやく実現した形。小躍りするような大傑作と言って差し支えないでしょう。

タイトルといい力強い歌声と演奏といい、「いよ、新時代のR.E.M.の幕開け!」と初めて聴いた時は拳を振り上げたものです。

バックコーラスにエディ・ヴェーダーが参加しています。が、よく耳を凝らさないと聴こえない・・・・・・。

Peachesというカナダ出身ベルリン在住のパフォーマンスアーチストとの共演。「Shiny Happy People」での輩The B 52'sのケイト・ピアーソンとの共演を思い起こさせますね。

アルバム最後の収録曲。パティ・スミスとの共演で、曲が終わると、アルバム最初の曲「Discoverer」に戻るという仕掛けになっています。前へも上にも進まずに循環・・・・・・もちろん、そんなことから解散を連想するほど私は勘はよくなく、単に「面白いな」と思っただけでした。

『Collapse Into Now』を発売した時点で、ワーナーとの契約は切れ、その後の活動予定について マイク・ミルズはこう語っています。

いまのところまだワーナーとの再契約は交わしてないよ。今後の活動についてはまだ僕らにも分からないんだ。いまの僕らは目の前にすべての選択肢を並べているんだ。どこかのレーベルと契約するという選択肢もあれば、活動を辞めてしまうという選択肢もある。未来は色んな可能性を孕んでいて、僕ら自身にもどうなるのか分からない。だからこそ先のことを心配するよりも今を充実させたいと思うんだ。

そして2011年9月21日、HPに「ファンと友人の皆様: R.E.M,一生涯の友達、そして共謀者として存在した僕らだけど、今日をもってバンドとして終止符を打つことを決定した。僕らが成し遂げた全ての事に対し多大な感謝、終局、驚愕の意を持って身を引きます。僕らの音楽に一度でも心を動かされた皆さん、聴いてくれて深く深く感謝してる」で始まる、メンバーのメッセージが掲載されました。

「”パーティに参加する時の秘訣は、引き際を見極めるということだ”と、かつて賢人は語ったものだ。僕らは一緒に並外れたものを築いてきた。僕らはやったんだ。そして今、そこから歩き出そうとしている」「これが早すぎる決断ではないということに、ファンのみんなが気づいてくれることを願っている。全てのものには必ず終わりが来るわけで、僕らは正しく、自分たちのやり方で終わりたかった」「過去31年間にわたって、R.E.M.として活動する僕らを支えてくれた全ての人にありがとうと言わせてほしい。僕らの活動に参加してくれた人々に、心からの感謝を。素晴らしい日々だったよ」
(マイケル・スタイプ)

「R.E.M.として活動する上でいつもすごく嬉しかったのは、僕らの書いた曲や歌が、自分たちと同じくらいファンのみんなに大切にされてきたという事実だ。これまでも、そして今だって、みんなを尊重することは僕らにとって重要なことだ。みんなの人生の一部になれたことは信じられないほどの贈り物だよ。ありがとう」「マイク、マイケル、ビル、バーティス、そして僕は、素晴らしい友人としてここから歩き去って行く。僕は今後も彼らに会うことになるだろう。長年にわたって僕らを追いかけ、応援してくれたみんなとだって、いつか会えるのだと僕はわかっている。それは君の地元のレコード屋のアナログ盤コーナーでのことかもしれないし、クラブの後ろの方に立って、19歳のグループが世界を変えようとする姿を見守っている時かもしれない」
(ピーター・バック)

「前回のツアー中も、『Collapse Into Now』を制作中も、そして今回のベスト盤をまとめている間も、僕たちは『次はどうする?』と自問し始めていた。30年以上の間に生まれた音楽や思い出を振り返る作業は、実にとんでもない旅となった。これらの楽曲が過去31年間の活動に自然と区切りをつけているのだと、僕らは気づいたのだ」「僕らはずっと、バンドという言葉の持つ本当の意味を身をもって実現してきた。それは真に愛し合い、尊敬し合う兄弟だ。このことにおいては自分たちがパイオニアだと感じている。ここには不協和音や仲たがい、にらみあう弁護士などは存在しない。これは僕らが一緒に、友好的に、心から互いのことを思って下した決断だ。とにかく今が正しい時だと感じている」
(マイク・ミルズ)

ネットで拾ったR.E.M.解散に対する街の声を聞いてみましょう。

3人になったR.E.M.・・・。この後の彼らは・・・アルバムを出す毎に「昔はよかった・・・」と言われるバンドへとなっていく。事実、全盛時のクオリティもオリジナリティもほとんど失ったように思っていた。サウンドは打ち込みへと変わり、スローな楽曲が増えていった。そんな彼らがたどり着いた(と私が勝手に解釈している)のが、「アラウンド・ザ・サン」である。いぶし銀のように枯れて味のあるボーカルとメロウでスローな名曲が詰まったアルバム・・・。まさに大御所ロック・バンドの出した年老いたロック作品であった。もしも・・・「アラウンド・ザ・サン」時期に解散を発表していれば、「ああ、R.E.M.は力尽きたのか」って思っただろうが、まさに第4期黄金時代に突入した途端の解散発表。何となく・・・そっか、バンドで演りたいこと、演れることを全部やり尽くしちゃったんだろうな・・・、お疲れ様。って、そんなこと考えたのである。

R.E.M. 解散っ!!!

I Find The Way To Make You Smileという歌詞に号泣し、It's The End Of The World As We know It And I Feel Fineという歌詞に衝撃を受けた自分の10代を認めてあげたい、そんな気分です。ニルヴァーナもレディオヘッドもかっこいいよ、でもカート・コバーンやトム・ヨークが影響を受けた、R.E.Mの存在が少しでも世間に知れればと思い書いてます。こんな過小評価はありえないっすよ、ほんま。

R.E.M解散について

R.E.M.の音楽は人としての優しさに満ちあふれていて、かといっておしつけがましくもなく、聴く者の心にちょうどいい距離で寄り添ってくれるように感じます。僕が帯状疱疹で家で寝ていた頃たまたま彼らのリイシュー盤が出たばかりで痛い思いで眠れない中彼らの音楽をずっと聴いていてそのことを実感しました。それ以来、ほんとうに僕の心の一部になったと。

自然と音楽を愛する者

「REMは世界を変えたバンドだったんだな」と。本当に変えたかどうかはわからない。でも、きっと本人達は変えてしまったという自覚があったのではないだろうか。その世界を変えたと言う自覚はきっと重たかっただろうと思う。そして、同時に(同じように好きなバンド)U2を比較対象として考えてしまう。U2はきっと「音楽では世界を変えることができない」と分かってしまったんだろうと。音楽をやるやつってのは大概自意識過剰だ。両バンドともすごく音楽に対して真摯でそして音楽が世界を変えると信じていたに違いない。REMはそれをかなえてしまった。U2はそれをかなえることはできないと悟った。それがREMが解散した理由で、U2がまだ最前線にいる理由なのだと僕は思う。

音楽は世界を変える(た)

そして最後の新曲3曲についてだが、「A Month Of Saturdays」は荒削りな未完成デモ音源といった感じの趣きで、『Collapse Into Now』に続くアルバム制作が本当に初期も初期の段階で頓挫して解散を決意したことが窺い知れる。ラスト・シングルになった「We All Go Back To Where We Belong」と「Hallelujah」にしてもオーケストラ・アレンジを担当したオーウェン・パレットに丸投げして完成形まで持っていた可能性が濃厚で、いずれにせよビル・ベリー脱退後の作品のクオリティ低下も踏まえた上で、「有終の美を飾れるうちに幕を引いてしまおう」という考えに至ったであろうことは容易に想像がつくのだった。

マフスのはてな

メンバーによると解散ツアーも再結成もなしとのことです。

R.E.M. らしく綺麗な結末。集大成→原点回帰と来たU2は『No Line On The Horizon』を生み出せましたが、原点回帰→集大成と来たR.E.M.にはもう余力が残っていなかったということなのでしょう。

1996年の『New Adventures in Hi Fi』以来、15年間一貫してアルバムのセールスが下がり続け、『Accelerate』『Collapse Into Now』といったそれなりの快心作でも――U2と違って――止まらず、モチベイションが上がらなくなったことも一因かもしれません。

『Out of Time』『Automatic For The People』『Monster』のメガヒットがなければ、ハードスケジュールなモンスター・ツアーを決行し、ビル・ベリーの脱退を招かなければ、スコット・リットとの関係を解消しなければ、それ以前にスコット・リットと組まなければ・・・・・・あるいは現在でもいぶし銀のバンドとして続いていたかもしれません。

が、人生はままならない、それでも生きていかなければならない、いや、生きていけると我々の背中を押してくれたのが、R.E.M.の音楽なわけですから、やはり、ここでは、たらればを禁句にして、彼らの最期を見届けるべきでしょう。

2011年11月15日発売。
「We All Go Back To Where We Belong」「Hallelujah」「A Month Of Saturdays」と新曲も3曲収録されています。

『スパイダーマン』のヒロイン役で有名な女優キルスティン・ダンストをフィーチャーしたPV。

パフォーマンス・アーティストのジョン・ジョルノをフィーチャーしたPV。2人とも最後に「Thank you」と言っています。

が、どこぞの一ファンがPVを切り貼りして作成したこのモノクロのPVが個人的には好みですね。いやあ、終わってしまったんだなあ、という感慨が湧いてきます。ルー・リードの死も寂しかったですが、バンドの終焉を見届けるのも、確実に自分の人生の一部が終わってしまう気がして、寂しいものがあります。

一流シェフのファミリーレストラン』という人気ドラマでR.E.M.の曲が大々的にフィーチャーされ、再評価の声が高まっているようですが、これを機にR.E.M.を知らない人にも一度聴いていただきたいです。


それでは最後に4人のメンバーにお礼を言って終わりとしましょう。

マイケル・スタイプ、ピーター・バック、マイク・ミルズ、ビル・ベリー、本当にありがとうございました。

参考

GOMES THE HITMANというバンドの山田稔明さんがR.E.M.について書かれたブログのエントリーです。R.E.M.をこよなく愛するだけあって、その作品にもどこかその匂いが。

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