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鉄も石油もまだありますか

 ずいぶん前、私が現役時代に乗っていた日産のバネット・ラルゴというワンボックスカーは、7年間で21万6000キロ走った。この車は排気量2000ccのディーゼル車で、エンジンはタフなはずだったが、事務所の駐車場で大往生した。エンジンがかからなくなってしまったのだ。
 レッカー車でディーラーに運び込んで調べてもらったら、エンジンを載せ替えるかオーバーホールするしかないと言われた。つまり、実質的には一巻の終わりであった。

 日本の車は優秀だから、丁寧に乗っていればもっと長持ちしたはずだ。運転にはそこそこ自信があり、点検や整備もきちんとしていたのに。
 私は一台の車を18万キロから20万キロくらい乗る。それでもなんの問題もないが、ラルゴだけは違った。俗に言う〝ハズレ〟だったとも思えることがいくつかあったような気がする。

 エンジンを載せ替えるとすると、当時で60万円くらいかかると言われて仰天し、あきらめて別のメーカーの車に買い替えた。長く使われてはメーカーが困るだろうが、深刻化する資源や廃棄物の問題を考えれば、車に限らず、物は大切に長く使うほうがいいに決まっている。

 よく知られている故事がある。昔の中国、杞という国に、天地が崩壊しないかと心配するあまり、夜もろくに眠れず、食も進まず、というほど不安におそわれていた心配性の男がいた。
 この男は、それは無用の心配だと教えられて安心する。これが「列子」という古典に登場する、いらぬ心配や取り越し苦労を意味する「杞憂」だが、資源の問題は杞憂にあらず。きわめて現実的だ。

 その「杞憂」の男ではないが、資源について日頃から気になったり不思議に思ったりしていることがある。資源は底を突くことがないのだろうか、ということだ。
 鉄もそのひとつ。鉄鋼のもとである鉄鉱石は無尽蔵ではない。が、鉄は地球の地殻中に含まれる金属元素の中ではアルミニウムに次いで多く、地球には大量に存在するのだという。
 そうか、それなら安心だ。それに、「鉄がなくなりそうです」などというニュースは見聞きしたことがないし、製鉄会社が慌てているようすもない。

 しかし、リサイクルで再生されているものもあるとはいえ、人類がこれまでに作ってきた鉄鋼の量は膨大だ。電車やレール、船、ビル、橋などの大きなものから、ネジや針などの小さなものにいたるまで、簡単に思いつくものだけでもさまざまな形で大量に使われている。大往生した私の車一台にだって、かなりの量の鉄が使われていたはずだ。
 こんなペースで鉄を消費しても、まだ何万年分もあるから心配ないよ、とでもいうのだろうか。だとすれば、私は杞憂の男ということになるが、仮にそうだとしても、やはり資源は大切にするに越したことはない。

 現実的に危ういと思うのは石油だ。もう何十年も前から、石油はあと40年しかもたないと言われていた。ところがあるとき、雑誌か何かで、また「あと40年」と出ているのを目にした。
 確かめようと思い、この記事を書くに際して簡単に調べてみたら、なんと50年ほどに増えているではないか。おいおい、どうなっているんだ。
 いつまでたってもあと40年も50年もあるというなら心配ないが、ちょっと心許ない。

 カップラーメンを食っては、「この容器は使い捨てでもったいない」と思い、温泉にはいっては、「こんなにごぼごぼ出ていて涸れないだろうか」と案じ、油井の炎の映像を目にしては、「あんなに燃やしちゃ無駄だろうに」と気をもむ。
 鉄以外の鉱石、天然ガス、その他諸々も同じ。これが杞憂ならいいが、と杞憂の思いでいるのだ。


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