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〔ナンセンス劇場〕凡才バカ凡と年越しそば

「こんちはこんちはこんちは、誰かいませんかこんちはこんちはこんちは」

「はいはい、いま行きますよ、ちょっとお待ちを……あれ、なんだ凡ちゃんじゃないか」

「どうしたんだいご隠居。そんなに急いで階段おりてきて」

「何を言ってるんだい。誰かが急用みたいにこんちはなんて言ってるから、いったい誰が何の用だろうって、慌てて出てきたんじゃないか」

「別に急いでないよ。おれ暇だから」

「凡ちゃんってわかってれば慌てなかったけどさ。で、どうしたんだい」

「ちょっと教えてもらいたいことがあるんだけど」

「凡ちゃんの疑問くらいならだいたい答えられるよ。凡ちゃんはまだ小学六年生だよな」

「そうだよ。六年生の疑問なんてどうってことないよね。六年生なんか子供同然だもんね」

「同然じゃなくて子供そのものだよ」

「それにさあ、ご隠居は近所でも有名な物知りでさ、歩く百均事典って言われてるくらいだもんね」

「百均事典じゃなくて百科事典じゃないのかい」

「そうとも言うね」

「なんだいそりゃ。で、何を知りたいんだい」

「あのさ、年越しそばのことを教えてもらいたんだ。どうして大晦日に年越しそばを食べるのか。母ちゃんに訊いたらさ、知ってるから教えてあげてもいいんだけど、社会勉強のためにご隠居に訊いといでって言われたんだ。母ちゃんたらそんなこと言ってるけどさ、きっと知らないんだよ、ふふ」

「凡ちゃんの母ちゃんが知ってるかどうかはともかく、教えてあげるよ」

「いくらで?」

「カネなんかいらないよ」

「言ってみただけだよ。おれ、カネ持ってないもん」

「おとなをからかっちゃだめだよ」

「どうぞおかまいなく」

「なんだいそりゃ。会話の脈絡が合ってないよ」

「ご隠居には脈がないのかい。ゾンビみたいだね」

「脈はあるよ。脈絡が合ってないって言ったんだ。わしに脈がなかったら、こんなふうに凡ちゃんと話なんかしてられないよ」

「冗談だよ。ご隠居が横道へそれるから話が進まないじゃないか」

「横道へそれてるのは凡ちゃんのほうじゃないか。相変わらず変調だな」

「変調はおれの数少ない才能だよ」

「なんだいまったく。どうも調子狂っちゃうね。まあいいや。とにかくそのへんに腰掛けて、火鉢で手でもあぶりなさいよ。甘酒くらいは出してあげるからさ」

「ご隠居も人間ができてきたね」

「何言ってるんだい。人間だってできるさ。先週米寿を迎えたんだ」

「便所に誰を迎えに行ったって?」

「なんで便所が出てくるんだい。米寿だよ、べいじゅ」

「ベージュ? それって色じゃないの? アタマは白くなったのに、ハートは色気づいたのかい。若いね」

「おい凡ちゃん。わしも自分じゃ若いつもりでいるけどさ、いまごろ色気づくって? ひっひっ、聞き間違いもはなはだしいぜ、ひーっひっひっ」

「ご隠居の顔色なんてさ、ベージュほど明るくないよ。黒ずんでるもの。どっちかっていうと土気色だよ。だいじょうぶかい」

「土気色なんて言ったらそれこそゾンビじゃないか。だからさ、色じゃないんだよ。八十八歳なんだよ」

「八十八歳? なんだ、それを早く言ってくれればよかったのに。それを、顔色が土気色だなんて言うから混乱したんだ」

「わしは顔色が土気色だなんて言っとらんぞ。凡ちゃんが言ったんじゃないか。やっぱり変調だな」

「言った言わないなんて、そういう不毛な議論はやめてさ、もっと建設的な意見をかわそうじゃないか」

「あれ? 突然不似合いな言葉を発しちゃって、どうしたんだい。気はたしかかい」

「そんなことはいいから、早く年越しそばのことを教えとくれよ」

「ああそうだった。年越しそばの話だったんだ」

「そうだよ。しっかりしとくれよ。米寿なんだから」

「あれれ、わかってるんじゃないか。年寄りをからかっちゃだめだぜ」

「いいじゃないか。ご隠居は人間が練れてるんだから」

「まあいいや。凡ちゃん相手に腹立ててもしょうがないからな。それでだ、年越しそばってのはさ、いくつも説があるんだけど、一般的には江戸時代に始まったって言われてる説が有力なんだ」

「江戸時代っていうと、家康一味がいた時代だな」

「一味って、盗賊みたいじゃないか。まあいいや。それで、その江戸時代の中ごろに〝三十日(みそか)そば〟ってのがあったんだ」

「どうして」

「どうしてって言われても困るけど、ひとつの慣習だよ。商人の家ではさ、奉公人をねぎらうために、毎月の月末にソバを食べてたんだ」

「奉公人がねぎとそばを食べたんだね」

「ねぎを食べたんじゃないよ。ねぎらったんだ。いたわったんだよ。それが〝三十日(みそか)そば〟でな、まあ、一種の縁起ものさ。これがだんだん年の暮れだけになっていったってわけだ」

「どうして」

「どうしてって、まあ、何ごとも時代の流れとともに変化していくってわけだよ」

「それ以上知らないんだな」

「今日はばかに突っ込むなあ。そばってのはさ、うどんなんかと較べると切れやすいだろ」

「ブチ切れかい」

「そうじゃないよ。そばがブチ切れるって、どんなそばなんだい」

「言ってみただけだよ。この甘酒おいしいね」

「ありがとうよ。それでだ、そばが切れやすいってことに掛けて、大晦日に厄災や苦労が切れて、そういったものを新年に持ち越さないようにという縁起をかついだってわけさ」

「甘酒、飲み終わった」

「その鍋にあるから好きなだけ飲んでいいよ」

「ご隠居、人間がさらに練れてきたね」

「要するにな、年越しそばってのは厄払いを目的として江戸時代にできたのが起源ってことだよ」

「なるほどね。ところでこの甘酒、ご隠居が作ったのかい」

「女房だよ」

「そうだと思った。ご隠居じゃこんなにうまくはいかないだろうな。ほかにはどんな説があるのさ」

「金運が上昇するっていう縁起のいい説があるぞ」

「どうしてそばで金運が良くなるんだい」

「金や銀を細工する職人はだな、金や銀が散らばったときにそば粉を使って集めてたんだよ。それで〝金銀を集める〟とか〝金運が上がる〟とかと言ってそばが縁起物になったってわけさ」

「さすが百均事典だけあるね。ほかにもあるのかい」

「運気上昇説ってのもあるな」

「うんちが上昇するのかい」

「言うと思ったよ」

「人間が練れてきたね」

「江戸時代よりずっと古い鎌倉時代の話だけどな、九州に承天寺というお寺があったんだ」

「九州のどこ?」

「今の地名でいえば福岡県だな」

「福岡県のどこ?」

「博多だよ」

「博多のどのへん?」

「なんだい、やたら掘り下げるなあ、変調小学生。博多駅のそばだよ」

「あ、駅のそばって、そばに掛けたしゃれだね」

「そりゃ考えすぎだよ」

「今もあるのかい」

「あるよ。あるから駅のそばなんて言ってるんじゃないか。鎌倉時代に博多駅なんてのはないんだからさ。いまのことだよ」

「間違いないだろうね」

「なんだか職務質問みたいだな」

「ご隠居、なんか後ろめたいことがあるんじゃないだろうね」

「そんなものはないよ。それでな、この寺を開山した謝国明という偉大な人物が、カネがなくて人並みな年越しができない人たちにそば餅をふるまったんだ」

「そばじゃなくてそば餅かい」

「そうだよ」

「いくらで」

「カネがない人たちにふるまったんだからただだよ。無料さ」

「人間が練れてるね」

「で、そのそば餅を〝世直しそば〟と呼んでたんだ」

「餅なのに世直しそばかい。そのまま〝世直しそば餅〟っていえばよかったのにね」

「とにかく、その世直しそばを食べた人たちにだな、なんと、次の年から運が向いてきたというんだ。で、この噂が広がっていって、いつの間にか年越しそばの起源になったという説だ」

「やっとここまで来たね」

「凡ちゃんが口をはさまなければもっと早く終わってたよ」

「甘酒、ほんとにうまいよ旦那」

「旦那ってなんだい。まあ、あながち間違ってもいないけどさ」

「ご隠居が丁寧に教えてくれたんで助かったよ」

「もうひとつあるんだよ」

「ええっ、まだあるのかい。どうして隠してたのさ」

「隠してたんじゃないよ。順番で言ってるだけじゃないか。で、その説は健康長寿願望というやつだ。そばはヘルシーな食品だから、そばを食べれば健康で長く生きられる。だから、年を越すときにはその願いを込めてそばを食べて、新年になっても健康でいようというわけだ」

「なるほどね。この説なんてご隠居向きだね」

「なんで?」

「大晦日と言わず、毎日食べればますます健康になって、顔色が土気色からベージュになるじゃないか」



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