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地獄で仏に会いたいよ

〔解説〕

 そこそこ知られたことわざに「地獄で仏に会ったよう」がある。困った事態に陥ったり窮地に立たされたとき、思いもよらない助けがはいって救われることがある。そんなときの嬉しさや安堵の気持ちを表したものだ。
 単に「地獄で仏」ともいう。

 本題の「地獄で仏に会いたいよ」は、まだ助けがはいらず、なんとか窮地を脱したいと願っている状態。つまり、困った状態が進行中であり、助けを求め続けている状況である。

 前者の「地獄で仏に会ったよう」の類語には、「地獄で地蔵に会う」や「闇夜に灯火(ともしび)」がある。(※パロディーではなく事実)

〔さらに解説〕

 窮地に陥ったとき、助けがはいるかどうかには運や人柄が関係する。言うまでもなく、正直者、誠実な人、親切な人などには助けがはいりやすく、嘘つき、強欲、冷酷、粗暴、狡猾、淫乱や酒乱などの要素をもつ人は、「ざまあ見ろ」などと言われながら見捨てられる率が高くなる。

 仕事や学業の成績は助けられる条件とは無関係だが、社会的な地位や権力、資力(財産等)などは影響をおよぼす。そういう人物を助ければ見返りが期待できるなどという下心を持つ人がいるからだ。

 また、地位も権力も資力もないという場合でも、顔が美しかったり体型が魅力的だったりすると、助けてあげたいなどという人があっちこっちから現れることがある。これもやはり下心がある人たちである。

 不道徳や非人道的な手段によって窮地から脱した人は、その人が死んでから本物の地獄に落ちることになる。
 そして、地獄には仏などいないという事実を思い知らされる。地獄にいるのは、無愛想で怖い閻魔大王と鬼だけなのだ。
 その段階にいたってから、ほんとうの意味で「地獄で仏に会いたいよ」となる。めでたしめでたし。

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