見出し画像

ごくらく 【極楽】(しりとり小説第3話)

① 「極楽浄土」の略。
② 安楽で何の心配もない場所や境遇。天国。 ⇔ 地獄
(三省堂 大辞林 第三版)


「極楽の掟」

気がつくと、大きな字でそう書かれた巨大な看板の前に僕は立っていた。
巨大ってどのくらいかというと、とにかく大きいとしか言いようがない。
うーん、周りに、その看板とサイズを比べるものがないからなんとも言えないけれど、
感覚的には、越谷レイクタウンまるまる一つ分、、、という感じ?
とても人生の中で見ることなどないだろう、というくらい、とにかく巨大。

そりゃあそうだ、ここは「極楽」という通り、すでに「人生」じゃない。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
極楽の掟

壱、極楽世界は、地獄と対をなす世界。
ゆえに、地獄の住人たる振る舞いを禁ず。

以上。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

「いやいや、それだけかよ」と、真っ先にツッコミを入れたくなった。

「掟」という割にたった一つしか書かれていないし、そもそも言ってる意味がわからんし。
地獄って、よく絵本とか小説に出てくるような、ああいう地獄のことを指すんだろうか?
逆に、そもそも今僕がいる「極楽」も、よく温泉旅館の名前とかになっているような「超ハッピー」みたいなことを指すんだろうか?
まぁいいや。考えたって無駄だ。まずはこの看板の先に進んでみよう。

僕は、比較的若いうちに死んだ。
いわゆる事故死だった。お台場に新しくできるマンションの建設現場の施工管理をしていた僕は、ベルトが外れてクレーンから落下した鉄骨に潰された。
幸い(と言っても、すでに一名死者が出ている時点で幸いではないけれど)、周りに僕以外はいなかったので、死傷者は僕一人、ということになる。ただ、「安全第一」が何よりもモットーになっていたあの国において、建設中の事故死というのはかなり珍しかった。
逆に言えば、そんな失敗があってもおかしくないくらい、この工事は無理があったし、現場は異常なまでに疲弊していた。

2キロくらいは歩いただろうか。
ようやっと看板の裏側にたどり着くと、そこはまさに、僕のイメージしていたような「極楽」が広がっていた。
死ぬまでにずっと行きたかった、モロッコのシャウエンみたいな街。空には美しすぎるオーロラが広がり、ちょうど4月中旬くらいの心地よい暖かさだ。行き交う人々はみんな性格が良さそうで、世代の近い若い女性は僕好みの清楚系の巨乳ばかりだ。遠くから、かすかにラッドウィンプスがライブしているのが聞こえた。

なるほど、どうやら「極楽」というのは死者が集まる共有スペースではなく、死者それぞれが描く幸福を形にした世界みたいだ。
生きているうちによく「もし自分が天国に行っても、きっと喧嘩や失恋はあるだろうな」と思っていたけど、あまりに都合の良すぎるこの世界で、僕が負の感情を抱くことなんてあるはずがない。だってこれは、僕だけの極楽なんだから。

「ソウタくん、クサカ先生に会ってきなよ!この街の町長だよ。」10歳で初恋をしたアイちゃんは、まさに僕好みのルックスに成長し、涼しそうな水色のレースワンピースを着ていた。
「日下先生に会えるの!まだ死んでないだろうに!」

日下先生は、僕が高校生の頃、一番お世話になった、部活の顧問の先生だった。
練習中の指導は厳しかったが、試合中は絶対に怒鳴ることはなかった。
親以上に僕の生活の面倒を見てくれたし、いじめに悩んでいた時や進路を決めかねていた時にも、いつも親身に相談に乗ってくれた。
僕が誰よりも幸せになってほしいと思う、そんな先生だった。

「日下先生!お久しぶりです!」クサカと書かれた標識はすぐに見つかった。
「ソウタ、待ってたぞ。」
「先生、まだご存命だとは思いますが、お会いできてよかったです。」
「それよりも、先生はソウタの望む極楽に住めて嬉しいよ。しかも、こんなに立派な家に。」
「当たり前ですよ。」

クサカ先生はおおよそ極楽の事情を知っているらしく、いろいろと親切に教えてくれた。
もっとも、それらの情報のほとんどは、僕が今まで無意識のうちに望んだことだったので、ただ嬉しく頷くばかりだった。
せっかくなので、ここに来る途中で見た看板についても聞いてみた。

「先生、そもそも、『地獄』ってどんな世界なんですか?」
「それは先生もよくわからないんだ。ただ、極楽の対をなす世界、だから、きっとソウタにとって望まないことが凝縮された世界なんじゃないだろうか?」

なるほど、、それは絶対に嫌だと思った。
爬虫類、パクチー、水泳の授業、板東英二、苦手な上司、いじめられた過去、すぐ暴力を振るう父、家に帰ると自殺していた母、そしてお台場の工事現場…

「ただ、一つ聞いたことがあるのは、『地獄』とは、どうやら死後の世界、ではないらしい。むしろ、新しい生命として生まれ変わる過程で通過するトンネルのようなもので、一度死んだ人間は、何かしらの基準で極楽と地獄に振り分けられる。極楽に行けばその魂はゴールイン。地獄は逆に『振り出しに戻る』という感じなんだろうか。」
「つまり、現世というのは、地獄と極楽の中間にあるすごろくのような世界で、極楽の1つ手前のマスで僕らは最後のジャッジを下される、ということなんですね。」

どっちにしろ、地獄には絶対に行きたくないと思った。
僕はクサカ先生に「今度飲みましょう」と挨拶をし、家を後にした。

かれこれ、一ヶ月はたっただろうか。
極楽はその名の通り、心からの極楽だった。
どれだけ強い酒を飲んでも気持ち悪くならないし、太らない。
実らない恋はなく、逆に、誰といつセックスしても「浮気」「不倫」と言われることもなかった。

ただ、時折そんな生活に、無性に居心地の悪いような、ムズムズした感覚を覚えるようになっていた。
「少しくらい都合の悪いことが起こってくれないと気持ちが悪い。」そんな感情を抱いてしまうのは、僕がまだ現世の感覚に縛り付けられているのだろうか。

そうこうしているうちに、困ったことが起こった。
どれだけ魅力的な女性とのセックスでも、全く勃たなくなってしまったのである。
精力は尽きていないはずだ。身体からみなぎるエネルギーのようなものは、確かにある。

だけど、僕の「それ」はどうしてもスイッチオンにならなかった。
大学の先輩に似たミキさんは魅惑的な微笑みで「大丈夫よ」と言ってくれる。
だが、とうとう裸の僕は惨めにも泣き出し、「こんなところ嫌だ。」と叫んでしまった。

その瞬間、ふかふかのマットレスが真っ二つに割れ、僕は自分が重力に沿って落下していることに気がついた。
割れたのはマットレスだけじゃない。この世界が、崩れているのだ。
みっともない姿勢のまま裸で、どこまでも落下していく。
落ちていく先にはパクチーでできた森や塩素の匂いがする湖があり、そこには毒蛇や首を吊って死んだ母親の死体がゴロゴロと転がっていた。


「ああ残念、掟破りです。またダメでしたね。」
周りに比べるものがないからわからないけれど、はるか上空、きっと、極楽があった世界よりももっと空高くから、誰かが話をしている声が聞こえた。

「どれだけ幸福な生活を与えたところで、人間ってやつは一向に進歩してくれない。どうして際限なく欲張ってしまうんだろう。仕方ない。振り出しに戻ってもらいます。また適度に幸福と絶望のマスを用意しておくから、次にゴールまで来る時にはしっかり、頼んだよ。」

インスタ宣伝


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?