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ピロー‐トーク【pillow talk】(しりとり小説第7話)

夫婦・愛人どうしが寝室で交わす会話。睦言 (むつごと) 。


その日は朝9時から16時までの出勤だった。
昼過ぎまでに3人を相手したが、大抵14時を過ぎると暇になるので、今日はもう指名はないだろうと更衣室の着替えに手をかけた矢先、
「美沙ちゃん、指名入っちゃってさ、もう一人相手できる?」と声がかかった。

グロスを塗りなおし、待合室へ行くと、そこには30代前半らしき小柄な男が立っていた。
よれたユニクロの白シャツにサンローランのジーンズ。
ファッションの格差が気になったが、収入は安定しているのだろう。
目が泳いでいるから、夜の店は初めてのようだ。

「美沙です。初めましてですね。今日は楽しんでいってください。」と声をかけると、
「あ、、うん、、ええ。。」と、ぎこちない返事が返ってきた。

個室に入り、ベッドに隣り合わせで腰掛ける。
この仕事を始めて、もうすぐ一年が経つが、最近は事に至る前の会話でその客の内面、つまり求める行為の特徴がわかるようになってきた。
(それは、例えば態度が大きい割に優しかったり、紳士そうなのにエゴイスティックだったり、会話の様子とは相反する場合も含めて、なんとなく予測できるようになるのだ)

「こういうところは初めてですか?」
「あ、、はい。なんか、すごいですね。」
「慣れないですよね。歳はおいくつ?」
「26です。」
私よりも歳下だった。
「そうなんだ。お若いですね。」
「老け顔ってよく言われます。」
「素敵なお顔ですよ。私、お店のプロフィールでは23だけど、本当は27なの。1歳違いだね。」
「ああ、、やっぱり、そういうものなんですね。。」

本来、あまり本当の年齢を言うべきではないんだろう。
だが、初めての客は大抵不安を感じているものだ。そんな時、私からオープンマインドに振る舞う事で安心してくれることも多い。だから、あとで面倒な事にならなさそうな客であれば、私は敢えて素の自分を少し曝け出し、相手の心に寄り添うことを心がけていた。

「じゃあ、お身体流しましょうか」
私が男のユニクロシャツのボタンに手をかけると、男は「あっ」と言って、それを制止した。

「あの、でも、すみません。今日は、しにきたわけじゃないんです。」
「えっ?」
「えっと、、失礼なのは分かってるんですが、初体験は、ちゃんとしたくて…」

「ちゃんとする」というのは、つまりお互いをパートナーだと認めた相手と、お金じゃない行為がしたい、ということだろう。

「服着たまんまでいいです。ベッドに横になって、ただ僕の話を聞いてくれませんか?」

私は頷き、男と一緒にセミダブルサイズのベッドへ横になった。

今から、僕の恋バナをします。
彼女ができたことはありませんし、誰ともエッチをしたこともない僕ですが、そんな僕だって、恋について思うことはあるのです。

僕は、北海道の片田舎で生まれました。
父親はサラリーマンで、もともとは栃木出身です。父が中学生の頃付き合っていた彼女が、僕の母です。社会人になってから一度別れたこともあったみたいなんですが、それでもやっぱり母のことが忘れられなくて、北海道への転勤が決まった時に思い切って「一緒に付いてきて欲しい」とプロポーズしたみたいです。

僕の父は5年に一度は必ず転勤がありました。だから僕も、父が転勤するたびに学校が変わっていました。
北は北海道、南は熊本。小学校低学年の頃は3年ほど、オクラホマで暮らしたこともあります。
何が言いたいかというと、僕に、幼馴染と言われるような人はいなかったんですよね。知り合っては、別れ、出会っては、離れ…そうやって、大学に入るまでの19年を過ごしました。

…あ、、別にそれを今まで彼女がいなかった言い訳にしたいわけではないんです。どこにいたって、モテる奴はモテます。僕に相手がいなかったのは純粋に、僕の内面と外見がイケてなかったからだと思います。
でも、まるで映画のようなー若かりし時の衝動が絡めた糸がいつまでも解けずにいるようなーそんな恋愛をした父と母が羨ましかったのは事実です。僕はそんな両親のせいで諦めたものがたくさんあるのに…って。

でも、都内の商社に就職した23歳のある日、父と母から「今日は都内のホテルでご飯を食べよう」と言われたんです。名の知れた高級ホテルです。結婚記念日でも誕生日でもないのになんだろう。もしや僕の就職祝いだろうか、などと考えていたのですが、父から告げられたのは「俺たち、離婚することになったから」という一言でした。親権は父に。母は、実家に帰って祖父の家業を継ぐようです。

しばらくは事態を受け入れられませんでしたが、1週間くらい経った夜、家に帰ると涙が止まらなくなりました。
「運命の糸」という言葉がよく似合う恋愛をした父母にも、お互いに言い合えず溜め込んだフラストレーションや不都合があったこと。
それが「もう関係を終わりにしたい」と感じるほどに肥大していたこと。そしてそんな状況下でも、僕が独り立ちするまでは、僕にそんな気配を一切見せず、僕にとっての父母であり続けてくれたこと。その全てが痛みや苦しみ、温かみで研磨されたナイフになって、僕の肝を抉るようでした。

それから半年くらい経って、僕の同僚の女性が結婚しました。こっそり、僕がいいなと思っていた女性です。同じ部署に配属され、研修も一緒に受けてきました。
控えめな性格の女性でしたが、気配りができて優しく、会話下手な僕の話も笑顔で聞いてくれました。研修の課題を終えるために一緒に夜中までファミレスで仕事をしたこともあります。プライベートで映画を観に行ったこともありました。

だから、その女性から「実は、来月結婚するんだけど…」と相談を受けた時にはびっくりしました。びっくりして、がっかりしたんです。
どうやら相手はマッチングアプリで知り合った男性だというんです。出逢って3ヶ月で結婚ですよ。急すぎません?
しかも、出会いのきっかけは、お互いに『アタック・ナンバーハーフ』っていうタイ映画が好きだったって、、、なんですかそれ。ニッチすぎるだろ。そんなんどうやって知り合うんだよ。まぁ、マッチングアプリで、なんですけど。とにかく、その日の夜はまた、一人で夜、枕を濡らしましたね。


恋愛とは程遠く離れた、渇いた、下品な声しか響かないこの店で、一人の男が恋バナを語っている。「周りの部屋に聞こえないだろうか」と少し心配になった。

だけど、その時になって、ようやくハッとしたんです。「ああ、これがつまり、いまを生きる僕たちの恋愛なのか」と。

かつて世界は、「地縁」や「血縁」に強く縛られていた。
子供は生まれた時から親の仕事を手伝い、やがて家業を継ぐのが当然だった。
婚約相手は同じ地域に住む階級が等しい男女が本人の意思とは関係なく、結ばれた。
そこに「自由」なんてものはなかった。
だけど、そんな時代にとって、それらの事象は「当たり前」だったし、仮に自分がその仕事や、婚約相手をベストだと思っていなくても、「そんなものなのだ」と受け入れていたのでしょう。

しかし、時代は変わり、人は住む場所や生業、パートナーに縛られなくなった。
ほんの最近まで、「仕事を辞める」ことは、実にネガティブなニュアンスを含んでいましたが、今は仕事を変えることは、むしろ社会的ステータスだとも考えられている。恋愛観の変化だって凄まじい。マッチングアプリは既存の人脈に縛られず、本当に自分にとってドンピシャなパートナーを探し当てることができる。同僚がそうです。きっかけは「アタック・ナンバーハーフ」でしたが、容姿、思想、好きな音楽、産みたい子供の数…もちろん、多少の価値観の違いはあるものの、それは彼女曰く「許容範囲におさまるレベル」で、ほぼ「運命」と言ってもおかしくない、完璧な相手を見つけたわけです。だからこそ、出逢って3ヶ月での結婚を決意できたんだと思います。

そして、時間が経過すると、いつかそれがベストである確証がもてなくなる時がある。
同僚は結局2年の結婚生活を謳歌したのち、離婚して他の男と再婚しました。またマッチングアプリですよ。
旦那の金遣いの荒さが「許容範囲を越えた」のも理由の一つですが、彼女もこっそり、不倫をしていました。前の旦那はジャニーズ系の塩顔でしたが、今度の相手はエグザイル系。きっと、彼女にとっての「ベスト」の定義が変わったのでしょうね。

この出来事は、私の考えをより一層強固にしました。
つまり、人々はあらゆる「束縛」から解放され、全ての意思決定において、自由な価値観で、無数の選択肢から進みたい人生を選び取ることができるようになりました。
そしてそれは絶えず「変化」していき、自分にとってそれがベストだと思えなくなったら、いつでも選択を変えて、新たなベストを追求していく。
だけど、逆に考えると、それは常に、自分が「選ばれなくなるリスク」があるということだとも思うのです。
会社の柱となるエース社員、この人となら生きていけると信じていた恋人、「年に一回は会おうね!」というメッセージに既読がつかないままの「ズッ友」。その全ては、周りの人が「今より良い環境」を求めた結果であり、彼ら彼女らを責めることはできないでしょう。

それは、自分の力ではどうしようもない因果の連続なのかもしれないし、あるいは、その元凶は自分の怠慢が生み出したものかも知れない。いずれにせよ、人は自分の自由を選択することはできても、誰かの自由を奪うことはできないし、誰かの選んだ自由が自分の求める自由と合致しなくなる時が、多々あるのです。


男はそこまで語ると、大きく息をつき、「すみません…沙羅さん、お水をもらえますか。」と私に頼んだ。私は言われるがまま、冷蔵庫から350mlのミネラルウォーターを取り出し、男に差し出した。男は、ぐびぐびと喉を鳴らして失われた水分を取り戻した。それは、渇いた交遊を終えた男が取る行動とよく似ていた。
そして、何かを思い出したかのように「一人親とかネグレクトとか、育児のシェアとか、そういうのがもっと当たり前になるんだろうな」と呟いた。

さて、ここまで僕の過去の話をしましたが、最後に、僕の考える、理想の恋愛像についてお話しします。
もちろんこれは、女心のわからない、青くて不味い男の妄想に過ぎません。だからこそ、本当に大切な人ができる前に、あなたにお金を払って、1人の女性として話を聞いてもらっているのです。

さっきも話した通り、これからの時代、永遠とか安定とか、そんなものは存在しなくなると思います。僕らは、いつでもどこでも、より利益と幸福が得られる環境や関係を選ぶことができる。でも、同時にそれは、自分が選ばれなくなるリスクと常に隣り合わせだということ。僕らはいつでも、不確実な人間関係のもとに生きているんです。

じゃあ、そんな時代に、誰か特定の相手と「恋人」あるいは「夫婦」を続ける理由って、なんなんでしょう?
答えは明確で、「日常の人間関係が流動的で不安定だからこそ、そこでは構築できない高次元の相互理解、強い精神的な安定の基盤を得ることができる」ということなんだと思います。

時間を積み重ねるほどに相手の情報が蓄積され、それをお互いが保有し尊重することで心の安定を得る。これは、人が健康に暮らす上でもとても大切なことです。とりわけ、結婚、あるいは生計を一にすることは、「どれだけ周囲の環境が変化しても、そのパートナー関係だけは不変である」ということの決意表明です。固い言い方をしたけど、つまりは「ずっと一緒にいる、ってこと自体が大きな価値なんだ」っていうことですよね。

だけど、それでも、「パートナー関係が生み出す精神的安定」より「新たな出会いが期待させる、より大きな幸福の可能性」を選びたくなることは、往々にしてあり得ると思います。

だから、もし僕に彼女や妻と呼べる人ができたとしても、その人には「僕と一緒にいるよりも、もっと素敵な人生を歩めそうな選択肢が現れた時には、迷わずにそれを選んでいいからね」と伝えたいんです。そもそも、他人の自由を奪う権限など誰にもないわけですから、当たり前ですね。

そうは言っても、なかなかその選択をするのは、きっと相手にとっても難しいことでしょう。だから、あえて僕は一年に一度、パートナーに「告白」をします。会社でいう、契約更新の手続きのようなものです。それまでの一年を振り返り、再び僕と過ごすことに納得してもらえるならば、また契約書に署名してください。でももし、僕の存在が、あなたの次の一年を投資するには価値が見合わないと考えた時には、その時点で契約解消です。

それは一見窮屈にも見えるかもしれませんが、あえてそうすることで、お互いが「恋人」や「夫婦」という関係に甘んじることなく、適度な緊張感を持って相手と接することができるんじゃないかと思ったんです。

もちろん、僕にもプライドがあります。
まだ、ろくに彼女ができたことすらありませんが、男として生まれたからには、誰か特定の相手にとってのベストであり続けたいと願う、そんな気持ちはあるわけです。
彼女ができたその日から一年に一度、彼女に告白し、契約書を差し出す。その度に、ちゃんと直筆で、相手に契約更新の署名をしてもらう。もし僕が30歳の時に彼女ができて、50年契約を更新し続け、80歳まで生きたとしたら、そこには合計50枚の契約書が残る。それは、僕が1人の女性を一番愛し、そして1人の女性に一番愛され続けた証として、人生の何にも代え難い、大きな誇りになるでしょう。やがて僕が死に絶えたとき、50枚の契約書を一冊の本にして棺に供えてくれたら、僕はきっと、それだけで満足です。きっとそれは、僕が善人として天国へ行くための証明書にもなるし、天国の先でも、それを周りに自慢してやろうと思います。


男はそこまで語り終えると、私のほうを向いて、「…どうでした…?やっぱ変ですか…?」と聞いてきた。
私は、「うーん」とゆっくり考えたのち、「それを受け入れてくれる女性は、きっといると思いますよ。でも、50年もあれば、20年は嫌われたり恨まれたりもするでしょうから、覚悟しておいてくださいね。」と返答した。

こうして男は夜の街で、60分のピロートークを終えた。

部屋を出る時、「そういえば、僕が熊本の中学校に通っていた時、憧れの女性がいたんです。下校中に初めて見た瞬間から、もう一目惚れでした。今思うと、あれが僕にとっての初恋だったのかもしれません。あの人、元気にしてるかなぁ」と独り言を言っていた。

「もしよかったら、また遊びに来てくださいね。さようなら。」
「沙羅さん、話を聞いてくれてありがとう。ご機嫌よう。」

男を見送ったあと、私は更衣室に直行した。
着替えの最中、そういえばあの人に名刺を渡していなかったなと思い出し、おもむろに「美沙」と源氏名の書かれた私の名刺を取り出した。

「そういえば、なんであの人、私の名前を知ってたんだろう」

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