不良社員だった自分が転職するまでの話

いつの間にか30歳を超えてしまっていた。20代はあっという間に過ぎたなとしみじみ感じている今日この頃、時折転職前の自分を思い出す。
今思えばあのタイミングで思い切って転職して良かったと思う。

今回はもう少し遡ったところから思い出して、現在までの話を書いてみます。

大学時代

情報工学科という学部にいた自分は「システムエンジニア」になりたいなと朧げに思っていた。
特にすごく強い思い入れがあったわけじゃない。ゲームが好きだったからなんとなく情報工に入り、オンラインゲーム(当時はFEZガチ勢)が好きになって、なんとなくITに触れていく仕事にしたいと思っていただけだった。

そして私が就職活動をしていたのは2009年の1月から。
そう、悪夢のようだったリーマンショックの影響を受けてちょうど採用が大幅縮小されているタイミングでの就職活動のスタートとなる。

先輩から前年の楽勝な就職活動の情報を聞いていた当時三回生の私は、2008年9月までは「ま、ちょろいやろ~~~wwww」などと余裕をかましていたがそんな状況ではなくなってしまい、田舎の地方駅弁出身としては割と早めに就職活動を開始した。
そのおかげもあってか、はたまた単に運が良かっただけか、割と大き目の商社系SIerに就職することができ、一安心した記憶がある。
なんとなくこのタイミングで「インフラ系をしてみたいな」と思っていた。

入社~新入社員研修

どこも採用人数を減らしている中、自分が入社したところでは同期が100人も居た。

持ち前の陰キャコミュ障と後述する理由から、社内にいても継続的に交流があったのは10人程度だった。そして現在まで交流があるのは正直一人しかいない。

この100人でビジネスマナー研修を受けた後、「開発」「インフラ」に分かれて勉強をしていた。研修期間は長く、4月~9月という約5か月間は研修していたと思う。この期間で、応用情報・ITILv3・CCNA・LPIC level 1・日商簿記3級などの資格を取得した。ほぼ学校の延長のような形で学生気分がなかなか抜けず、講義中に居眠りをしてしまっていたことを覚えている。
そして研修も終わりに近づいた8月頃に配属希望調査があり、そのヒアリングシートには「大阪支社勤務OK/NG」という欄があった。私の実家は愛媛だったので大阪なら実家に帰りやすいこともあり、特に深い意味もなくOKに丸を付けた。思えばそれはあまりよくない選択だった。
その後に人事部長からの直接面談もあり、私の配属先は大阪支社で決定した。

大阪支社配属~

会社としては比較的大きな会社であったが、大阪支社はそれほど事業規模も人数も多くない。東京本社には2000人ほどメンバーがいるが、大阪支社は100~150人程度だったと思う。
100人の新人の中から4人が選ばれ「営業/開発/開発/インフラ」の分け方で私たちは大阪に配属された。もちろん私はインフラ部隊の新人としてである。

この支社が曲者で、長い間新人が配属されていなかった環境らしく私の配属されたチームで一番近い歳の先輩は34歳だった。
当時22歳で配属された私とは干支が一回り違うレベルでの差である。
これがどういう事を生み出すかというと「新卒を育てる環境も人材もノウハウもない」状況が出来上がっていた。
定期的に新卒を入れているチームであれば、2年上、4年上などの段階を踏んだ先輩方が居て、「自分が教わったこと」「自分が躓いたところ」「新卒に覚えさせる技術の順番」というノウハウが溜まっていき、新卒への教育の流れが固まっていく。というものだと思うのだが、私の環境では残念ながらそういうものが無かった。

それでもなんとかOJTの内容を考えていただけたようで、配属から3か月ほどは「社内のラボ環境にオレオレ検証環境を作る」という課題を与えられた。
 ・メールサーバーを構築してメールの送受信を行う
 ・Proxyでアクセス制御
 ・検証用Firewallアプライアンスを使った通信制御
 ・ActiveDirectoryのドメイン構築
 ・DNSサーバー(ADのやつ)の運用
 ・LDAPサーバーとADの連携
 ・etc...
各課題について随時進捗報告し、分からないところは聞いて解決という形だ。この時期は割と楽しかったと思う。仕事というよりも自分の知的好奇心を満たすために会社に行き、あまりもの用ラックの前でウンウン唸りながら設定していた。今思えばこれは次にやるOJTの内容が無かったので、考える時間を確保するための期間だったように思う。

プロジェクトへの参加とOJT?

検証環境構築もほぼ終わった頃、プロジェクトに参加して先輩を手伝う形でOJTをしていこうという話になった。
前述のとおり大阪支社の規模は大きくない。諸先輩方は各々が自分の顧客を複数持ち、金額的にはそれほど大きくない(200~500万とか)案件を平行で回していくことで売上をあげていた。

突然だが、電撃文庫から「なれる!SE」というライトノベルが刊行されているのはご存じだろうか。
ブラックなIT企業に就職した主人公がなんだかんだで無茶振りをこなしていき、エンジニアとして成長していく話だ。
話の中で出てくる案件の種類はおおよそ似通ったものが多く、この「なれる!SE」で出てくる案件量を1/3くらいに減らしたのが当時のチームの状況に近かった。(もちろん可愛い上司は居ない)

「なれる!SE」のようにガンガン案件をってくるスーパー営業マンは居なかったので、支社全体としての案件数はそこまで多くない。必然的に先輩たちは自分たちの成績を確保するのに必死になる。自分の給与にダイレクトに反映されるのでそれは当然だ。
その状態で「先輩、何かプロジェクトでお手伝いできることありませんか」「その設計・設定とかやっておきましょうか」と言っても良い反応は返ってこない。自分の仕事が減り成果が減るし、なにより私が設計したことの設計書レビュー・手順書レビューをする羽目になり余計に時間が掛かるからだ。
自分に割り振られたタスクは大体「議事録作成」「経費処理」「発注・注文書処理」「社内事務処理」など、エンジニアとしての仕事ではない雑務ばかりが割り当てられていくこととなった。

あらかたの事務作業をサクサク処理できるようになるくらいの月日が経過した辺りから、少しだけエンジニアとしてのタスクが振られた。それは購入したIAサーバーの組み立て作業だった。当時のIBM SystemX や、HP ProLiant の場合、サーバーがパーツ毎に送られてきていて、毎回サーバーの組み立て作業が必要だったため、それを組み上げる人としてアサインされた。さすがにそれだけでは味気なかったので、OSのインストールと初期設定・パラメーターシートの作成までやりますと宣言し、嫌そうな顔をした先輩から無理やりタスクをもぎ取った記憶がある。

しばらくしてそれも味気なくなり、流石に設計構築もやってみたいと思うようになった。先輩方にそれを伝えても自分の顧客案件は渡してくれそうにない。
既存がダメなら新規だ!と思い、営業の方と相談し新しい案件提案の時の同行SEとして連れて行ってもらう予定を立てた。1回目の御用聞きレベルのヒアリングだったのでそこまでキッチリした提案書などは作っていなかったものの、持っていく予定の製品知識などは割と準備していたように思う。
いざその客先に行く数日前になって上司からこう声を掛けられた。
「今度行く例の件、○○(私)はまだ経験が少ないからAさんに行ってもらうことにするね」
この件を気に心が折れて、仕事のモチベーションは無くなっていった。

今思えば、社内既存がダメ→社内新規もダメ、というのであれば、自己学習の延長として社外コミュニティに脚を伸ばすべきだった。会社に頼らない環境で自己学習を行い、エンジニアとしての知識を溜めて自分の価値を上げるような活動を積極的にするべきだったと今更ながらに思うのだが、その時はそこまでのモチベーションを持てなかった。その分、当時ハマっていたオンラインゲームに時間をかけるようになってしまったのは、自分の中での甘えだったと思うし大きな反省点だったと思う。

2年目~3年目辺りまで

ココまで書いてきたように、この時点で私という新卒が居なくてもチームとしては回る状態だったし、教える工数なんて取れないよという感じだった。単発でNW設定などは幾つか振られたこともあったが、設定値ありきのオペレーターにしか過ぎず味気なく感じていた。ただしそういう時は数少ない実機が触れるチャンスだったので自分に振られた納期めいっぱいまでハードウェアを占有し、出来る限りいじくりまわしていた覚えがある。

それでも時間は余ったので、プロジェクト資料を読んでこの構成はなぜこうなったのかというのを想像したり、完成済パラメーターシートを見て設定理由などをWEBで調べていたりもした。「ゲーム実況プレイを視聴して、あたかも自分がやったような気分になる」のと近かった。最後まで自分で設計することは無かったが、いろんなプロジェクトで使われるプロダクトの知識だけは溜まっていった。

また、事務関連を一手に引き受けていたがそれは本来各々がやるべきなものであったし、私にタスクを降ろしてくれるようなことも無く、私が自分で案件を取りに行ったとしてもそれは無くなったこととなり、私のみが抱えている情報も大して無かったので、もし当時辞めることになっていたとしても大した引継ぎもせずサクっとしたものになったと思う。
この時はいろいろと折られた後だったので、仕事のモチベーションもまるでなく、仕事の間に「小説家になろう」を読み漁り、クソテンプレ小説を見つけるという遊びをしていた時期でもある。なので、2012~2014年あたりから開始されたなろう小説は大体読み切ってしまっている。

ぶっちゃけると居ても居なくても良い存在だった。


本社の同期から
「○○の大きなプロジェクトにアサインされて、残業が多くなって困るが給料増えるからいいや」
「今はあの案件が忙しくて、終わったら次は別のが・・・」
「人が足りないのに仕事だけは増えていく」
というような話を聞くたびに、居た堪れない気持ちになっていた。
手が空いている自分がここにいるのに、なぜ本社に異動させてくれないのかと人事を呪った。

とある案件へのアサイン

一つ良い転機となったのは、親会社の総務(ITチーム)への常駐案件が振られたことだった。元々はウチから業務委託さんを契約しその方に作業をお願いしていたのだが、その委託さんが会社を辞めることとなり、急遽人を入れないといけないが誰も確保できない、という状態となってしまったために私に白羽の矢が立ったのだ。
上司的には「他の人の確保も無理だし、アサイン予定も無いからこのまま出しちゃえ」的なノリだったんだと思う。

作業の内容は、「中小企業のITサポート何でも屋」を想像してくれるとドンピシャなものだ。某商社の大阪支社に常駐し、PCからOfficeからモバイル端末から「なんかITっぽいもの」に対してユーザーからの問い合わせを解決をするような仕事だった。また、いわゆる"支社"だったので基本的には本社のIT部門の方針があり、それに従う形で支社にも適用される。本社主導のPCのリプレース・キッティング・修理・基幹システムのサーバーリプレース後のユーザーサポート、オフィス内無線LAN展開、SharePointサイトの作成、リストライブラリのカスタマイズ、本当に何でもやった。

社内に居る人は大半がITリテラシーの高くない人が多く、本当にちょっとしたことでも聞いてきた。
 Q:PCが起動しない → A:バッテリー切れ
 Q:Excelが開けない → A:自分でショートカット消した
正直ちょっとうんざりするようなこともあったが、いろんな人から頼ってもらい「ありがとう」と言われると嬉しかった。
今まで自分の社内に居る時は、少なからず引け目を感じながら仕事?をしていたので、自分の役割が与えられたと感じ、割と張り切っていたと思う。

中には「今の自分たちの帳票管理・在庫管理が煩雑だから効率化したい」というような要望も受け付けた。その部門の業務ヒアリングをして不要プロセスを無くしたり、エクセルファイルで手動転記しているようなものをVBAでマクロ組んで改善したり、SharePointのリストライブラリとWebパーツを使って自動化したりもした。
こういうのは本気で取り組んだので楽しかったと思うし、自動化するためにいろんな製品を組み合わせたりしたので、そのあたりの知識を広く吸収できたんじゃないかと思う。
この頃は仕事に対してのモチベーションが戻ってきていた。

会社の吸収合併

常駐を初めて1年?ほどたった頃、突然海外の会社と合併すると発表された。資本関係は海外が51%、元々の親会社が49%となり、実質外資のIT会社となった。そして当然のことながら会社の就業環境が大きく変わった。
まず会社のポータルサイトは親会社のグローバルなサイトに吸収され、すべての情報は英語ベースとなった。部長クラスの大半の人が海外の会社の人に切り替わりレポートラインが変更され、英語での稟議作成などが必要となってしまったことも痛かったと思う。
私自身は常駐案件を続けており会社に戻るのは月1~2回であったため、社内が急速に変わっていくことになかなか実感が湧かない状態が続いたが、じわじわ実感する英語必須な環境に少しずつ焦りを感じていた。

転職検討期間

常駐して1年半~2年ほどたった辺りから、転職を考えるようになった。
ITサポートとしての仕事はそれなりにやりがいもあったが、サーバーサイドからめっきり外れてしまっていたのでそちらもやりたくなったのだ。それに加えて合併して外資の会社になってしまい、将来の不安も感じていた。
今のままサポートのような業務は続けられてもあと1年程度。終わった後にあの支社に戻ってもたぶん自分の居場所が無いのはおそらく間違いない。今まで本社へ異動希望を継続的に出していたがそれも通る見込みもない。
2015年夏あたりに転職を考え、実際にエージェントへ連絡を入れる2016年1月までの半年は悩みに悩んだ。

私は環境を変えることで自分も変えることを選んだ。

転職活動~内定まで

一度腹を決めたら後の行動は割とスムーズに進んだ。
会社名のネームバリューがそれなりにあったこともあり、書類で弾かれることは少なくそれなりの数の会社さんと面接することができた。
面接で問われるプロジェクトについての説明も、前述していた、色々なプロジェクト資料を読んで構成把握するという「ゲーム実況プレイを視聴して、あたかも自分がやったような気分になる」ようなことをやっていたおかげか、そこまで苦では無かったが、転職活動をしていた時点では正直に言うとそこまでエンジニアとしてのスキルは大して高くなかった。
今の会社に採用してもらえたのは、以下の採用条件に奇跡的にマッチしたからだと思う。
 ・年齢層(当時27歳)がマッチした
 ・スーパープレイヤーを求めておらず、最低限の知識があれば良かった
 ・コミュニケーションスキルを重視していた

2016年1月から始めた転職活動は、4月に内定を貰い早々に終了することができた。
あとは上司に転職を伝え、形式的にでも出てくる引き留めを断り、非常にお世話になった常駐先の方への挨拶と後任への引継ぎをすませ、無事円満退職となった。

後で分かったことだが、当時の私の給与テーブルは同期中でも最低だったそうだ。そりゃまぁそうだろうなとは思った。だって大きく売り上げがあげられるようなプロジェクトにメインで参加していないんだもの。これを聞いた時は「お前らのせいだろ」と心の中で悪態を付いた。

転職後~

Windows系社内SEとして配属され、今も元気に仕事をしている。
今やっているのはこんな感じ
 ・Windows Server 運用設計・管理・構築
 ・オンプレミス Active Directory のセキュリティ強化
 ・Zabbix監視設計
 ・Azure Active Directory 運用設計・管理・構築
 ・IdPの選定と社内ID統合推進
 ・Microsoft製品を守るためのセキュリティ施策の実行
 ・Slack導入推進
 ・Nutanix/ESXi 仮想環境構築・運用設計(やり始めたところ)
この中でもセキュリティとAzureの比率が非常に高くなってきている。
Microsoftに寄ったスキルセットになってしまっているが、おおよそやりたいことをやらせて貰っているので非常に満足している。気になる研修やセミナーもガンガン参加していいと言われているのが超ハッピー。(もちろん予算内で)

社内に残る課題は山積みで正直全部を解決するにはとてもじゃないが時間も人も足りないが、手持ち無沙汰になって転職前のような思いをするよりはずっと良い。課題は優先度をつけて、ヤバい奴から順番に消化していけばいいだけの話だ。
今の会社でやりたいことはまだまだたくさんある。少なくともあと2年はこの会社で仕事をするだろう。もし転職するとなったとしても、それは「単純に別のことがやりたくなった」という前向きな理由であり、前職のような理由からの転職にはならないと思う。

おわりに

なんとなく思いつきで転職エントリを書こうと思ったのだが、なんだか自分の社会人生活の振り返りのような形になった。実際に文章として書くことで自分の反省点を直視して振り返ることができたので良かったと思う。もし何か質問があればいつでも声を掛けてほしい。

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