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グローバルカンパニー目指し、海外事業へ本腰 鳥貴族HD・大倉忠司社長

 今や国内で600店舗を超える大チェーンへと成長した大阪発の外食企業「鳥貴族ホールディングス」。同社の大倉忠司社長が見据える次なる展開は海外事業だ。

食肉需要はチキンにシフト。 日本の食に世界が注目している

 ─コロナ禍で外食産業は大打撃を受けた。数百店規模になる鳥貴族では相当厳しかったのではないか。

  コロナ禍でも2020年と21年で状況が異なる。20年はこのままでは倒産するのではないかと心配だったが、21年は飲食店への協力金が拡充され、正直ホッとした。
 一方で、従業員には「給料を100%補償するから心配するな」と宣言し、休業中にも元気な姿を見せようとSNSに料理を発信した。「なんか社長、楽しんでるなあ」と思わせたかった。トップが沈んでいては悪影響だからだ。
 さらに、アフターコロナでいかに再成長していくかを考えることもモチベーションに繋がった。

 ─コロナ禍でも、社員の独立を想定した小規模店「大倉家」のテスト店舗を開店したり、「鳥貴族」の新業態でチキンバーガー専門店を企画するなど矢継ぎ早に打って出られた。この「トリキバーガー」のきっかけは。

 今、米国NO.1のファストフードは「チックフィレ」というチキン専門店。すでにマクドナルドの1店舗当たりの売上の約1・6倍だ。米国を視察した際に、その繁盛ぶりを見て、日本一の焼き鳥チェーン「鳥貴族」がチキンバーガーをやれば面白いのでは、とアイデアを温めていた。
 その後、コロナ禍で飲食店が大打撃を受けることになるが、マクドナルドやモスバーガーなどのファストフードは逆に業績が良かった。コロナのような感染病が10年に一度は訪れるリスクも考えると、もはや居酒屋業態だけでは経営基盤が貧弱。もう一つの柱としてトリキバーガーを展開することにした。

 ─昨夏には九州上陸、11月には北陸地方への初出店など勢いが止まらない。出店のタイミングはどう決めたのか。

 実は以前から計画しており、コロナ禍で中断していただけ。直営とカムレード(鳥貴族のフランチャイズ制度)の16社で今後、展開するエリアを決めていた。物流も含め、時期が来たのでゴーサインを出した。

 ─コロナ前に温めていたものが一気に動き出したと言うことか。今年の1月からは「やきとり大吉」もグループインし、密度の濃いコロナ禍を送られたように思う。足下の大阪では、万博やIRが控えている。

 大阪発祥で大阪本社の企業だから、万博に出展するだけでなく、大阪・関西の店舗網を生かし、共存共栄で関西を盛り上げて行きたい。
 国内では東京一極集中が進み、地方は衰退ムードだが、大阪はインバウンド(訪日外国人客)で心斎橋などが復活した。政府も30年に6000万人の目標を掲げている。もう一度、大阪・関西を一緒に盛り上げたい気持ちは強い。

 ─今では600店舗を超える大チェーンだ。起業時の社長はどのような人物だったのか。

 起業するとき、普通ならリスクや怖さを感じるものだと思うが、私の場合、何の抵抗もなかった。幼少期から商売が身近だったことが大きい。祖父は玩具製造で大倉商店を経営しており、実家にはブリキ玩具の型を作る工場が併設されていた。商売人家系で、機械の音と油のにおいがする中で育った。
 起業することを親に報告すると、うれしそうな顔でこう言われた。
 「資金が必要だったら家を抵当に入れればいい」
 自己資金と国金で借りる段取りをしていたが、「それでは運転資金が足りないだろう」と結局、家を抵当に入れさせてもらうことになった。
 親もよく24歳の息子を信用したなと思う。

 ─社長の幼少期の性格は。

 親戚の前と、同級生の前では違う姿を見せていた。親戚や父の友人といるときは、いつも隅でじっとしている恥ずかしがりの子どもだったから、商売をはじめるときに「あのたーちゃんが、信じられへん」と思われたようだ(笑)。
 一方で、同級生の中ではリーダー的な存在だった。野球少年で運動神経も良かったので、いつもポジションはピッチャーやサード。それが「なぜ焼き鳥屋に?」と思われるかもしれないが(笑)

 ─確かに。なぜ焼き鳥だったのか。

 初めてのアルバイトは飲食店だったが、仕事が楽しくて仕方がなかった。それで飲食の道に進もうと決め、調理師学校で学び、ホテルのイタリアレストランに就職。当時は和食より洋食に可能性を感じていた。
 いつも最終電車で仕事から帰宅する生活だった。家の近くに「やきとり大吉」の10号店があり、遅くまで開いていたので通い詰めているうちに、店主とも仲良くなった。
 この店主が独立して焼き鳥店を始め、しばらくすると「大倉君、手伝ってよ」と声がかかり、休みの日だけ手伝うようになった。その働きが認められたのか、「うちで働かないか」と声を掛けられた。

 ─それで「はい」と。

 いや、「すみません、いやです」と(笑)。なぜなら洋食の道に行きたかったからだ。しかし、その後も誘われ続け、ある日こう言われた。「大倉君、俺と大チェーンをつくらないか。お前とならやれそうだ」。この言葉には心が動いた。
 自分の中で何か社会的インパクトのあることがしたいという思いもあり、店主の話と繋がった。だから、焼き鳥が好きで転職したわけではない。あくまで焼き鳥は手段で、目的は大チェーン。22歳で転職し、3年で7店舗ほどに拡大した。

 ─その店主と袂を分かつようになった理由は。

 私自身、商売や経営についての勉強もはじめていた。流通業界や外食産業の本を読みあさり、セミナーにも通った。もちろん定番の松下幸之助さん(パナソニック創業者)や稲森和夫さん(京セラ創業者)の本も読んだ。
 すると次第に「私ならこうする」と自我が出てくる。アイデアを提案すると、取り入れられることもあれば、取り入れられないこともある。こうなると、自分で起業したくなる。
 私の場合、最初から大チェーンを目指した起業だった。退職のとき、店主に「力のあるものはいつか巣立っていく。大倉君、商売したら保証人が必要になる。困った時はいつでも言うて来い」と言われた。結局、頼まなかったが、その言葉はうれしかった。

 ─最初から大チェーンを目指し起業したのがスゴい。

 1店舗目の初日を終え、すでに「次の店をどう出すか」が頭にあった。普通は「ようやく自分の城が持てた」と悦に入るものかも知れないが。

 ─将来のビジョンをどう描かれているのか。

 やはりグローバルカンパニーになることだ。「海外を成功させなければ将来はない」という覚悟で、今あるリソースをできるだけ海外に振り向けたいと思っている。

 ─海外を視野に入れはじめたのはいつ頃か。

 もう10年以上も前だ。日本で数百店舗になると、海外展開が視野に入ってくる。
 それで最初はアジアを視察した。中国は別だが、当時の東アジアは人口は多いが中間所得層が少なく、一国の面展開がイメージできなかった。それで、米国に的を変え、東海岸と西海岸を視察した。
 そこで分かったのはニューヨークは特別であること。街が凝縮されているというか。本来の米国は車社会で、ロードサイドの店舗が主流。そう考えると、西海岸の方が米国らしい市場だと感じた。日本人を含め、アジア人のコミュニティーも多く、焼き鳥も浸透している。

 ─世界では日本食の寿司、ラーメンの次に、焼き鳥が間違いなく来ていると聞く。

 現在、世界では鶏肉が一番消費されている。少し前まで豚肉と同じレベルだったが、今はどんどん開く勢いだ。宗教上の制約が少なく、生産段階の環境負荷も少ない。先進国が求めるヘルシーさもある。鶏肉はますます需要が高まると感じている。
 アジアでは以前、アンテナショップ的な役割を果たす意味でシンガポールへの出店が重要だった。しかし、今は逆にアジア各国が日本に注目しており、非常にやりやすくなった。香港や台湾、韓国などの大企業とも交渉しているが、いずれも鳥貴族のことをよく知っており、こちらがオファーすれば飛びついて来る状況だ。
 この前、阪急百貨店にポップアップで1週間だけテイクアウトの店を出した。その小さな情報ですら知っていることに驚いた。それだけ、日本の有力なレストランや店を自国で展開したがっている。

 ─グローバル企業でライバル視しているところはあるか。

 海外展開に成功する一風堂やトリドールなどの企業からは、ライバルというよりも刺激を受けている。過去に日本の家電や工業製品は世界を席巻した。しかし、今は昔のような勢いが見られない。
 こうした中で、日本の食は今、世界一と言われており、外食産業は間違いなく有望だ。オールジャパンの気持ちで取り組んでいきたい。

鳥貴族ホールディングス 企業情報
 1985年に焼き鳥屋「鳥貴族」を創業し、メニュー全品を同一価格で提供する低価格路線で人気となり、全国へ展開。11月20日現在で621店舗。2021年には居酒屋以外の新業態としてチキンバーガー専門店「TORIKI BURGER」を展開。今年1月には、全国で500店超の「やきとり大吉」をフランチャイズ展開するダイキチシステムの全株式を取得し子会社化した。現在は「焼き鳥」から「チキンフード」へ事業領域を拡大し、「グローバルチキンフードカンパニー」を目指して積極的な海外展開に着手している。

東証プライム上場/【本社】大阪市浪速区立葉1-2-12/【グループ会社】鳥貴族、TORIKI BURGER、ダイキチシステム/【従業員数】9902人(2022年7月末現在)

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