見出し画像

詩人からの原稿いろいろ。

捜し物があったので久しぶりに服部良一さんの資料をいろいろ眺めていました。
私は小さい頃から、一人で楽譜庫に入って写真やスクラップを見るのがとても好きで。悪い事をするとお蔵に入れちゃいますよ!って言われていた「お蔵」こと、楽譜庫。率先して入ってました。幼い私。三畳ぐらいのスペースの3方はすべて天井まで棚になっていて、そこに譜面やスクラップブック、古いアルバムが入っていて、そこに入るとなんとも表現しがたい古い紙の匂いがして。これは後々、そして今でも各方面から問い合わせでこういうものはありますか?と聞かれるとだいたい即答できるのに役立っています。今の家には比較的依頼がある曲の楽譜や貴重な資料だけがあり、残りの「捨てるに捨てられない」資料たちは倉庫に。祖父の存命中、無造作に楽譜だの資料だのを普通にゴミとして出していたら、近所の人にこれは簡単に捨てない方が良いのでは・・・とアドバイスいただいた事もあったなぁ。今だったらメルカリ案件ですよね。完全に。
今日は依頼があったものを出しながら、もしかしたら関連したものがあるかもと良一さんがとっていた、昔の作詞家のみなさんとの手紙や原稿のファイルを久しぶりに丁寧に見る事に。
少しだけこちらで画像にして見ていただこうと思います。
まずはこちら。

サトウハチローさんからの原稿「どーもいけません」
サトウハチローさんからの手紙

歌詞がいくつか書いてあり、どうやら霧島昇さんの曲らしいのですが、書いてもいいのが浮かんでこない。ただ怠けていると思われるのはいやなので、捨ててもいいB という歌詞も一緒に入れておきます。とありました。母によるとハチローさんは筆まめだったそうで、これ以外に「万里子さん快気祝いに子どもたちが歌う歌」という詩の原稿もありました。母はそれに曲がついて歌った記憶は全く無いそうです。

西条八十さんの原稿

こちらは私も大好きな曲、丘は花ざかりの最初の原稿。これはてにをはをはじめとして、いろいろ手直しが入っていいました。貴重なので、これは出し惜しみしておきます。

深山のさくら

服部良一のほぼ処女作「深山のさくら」ってご存知の方いらっしゃるでしょうか。
作曲されたのは大正15年ですから服部青年若干20歳。まだ出会っていない西条八十さんの詩に当時の良一青年が曲をつけました。お嫁に行ってしまうお姉さんへの気持ちがこの詩とリンクしたそうです。私は音大時代に歌った事があるのですが、純粋な日本歌曲で西洋の音楽の香りはまったくありません。恐らくですが、その思い出の歌詞を後に西条先生に書いていただいたのではないかなと思われます。

変てこな歌詞。

最後はこちら。菊田一夫さんの原稿。走り書きで「題名が変てこだから変てこな歌詞ができました」と。アナログの時代に原稿の中にこういう一言が書いてあったり、「先日テレビで久々にお姿を拝見しました。」とハガキがきたり。この時代だから1行のメッセージがとても温かいです。

こういう貴重な原稿をどこでどう出していけばいいんだろうというのは私のテーマでもあるのですが。またおいおい考えていかないとなぁ。
ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?