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「俺みたいになるなよ」が誕生する話

いなかのばあちゃんはとにかく厳しい人でした。
親戚一同は、何かあればばあちゃんを気にし、何もなくてもばあちゃんを気にしていました。
サマーウォーズを見たことがある人は、あんな感じのばあちゃんだと思ってくれればいいです。武田家の家臣の家系ではありません。石川なので前田家の家臣です。嘘です。


同居ではなかったのと唯一の男孫でかわいがられ、被害(?)を免れた私からみてもなかなかに厳しかったので、ほかの親戚の苦労はいかばかりかと今ならちょっとわかる気がします。

そんなつよつよなばあちゃんですが、20年以上前のことだけど、髪を茶色くして耳に穴を開けていくいとこたちを横目に「日本人なら黒髪がいちばん。身体に穴を開けるなんて」と悲しそうにつぶやいているのを見てしまいました。私はやさしいお馬鹿さんなので「ばあちゃんを悲しませないよう私だけでも黒髪を守ろう」と誓いました。無論耳に穴も開けてません。とりあえずとにかくばあちゃんが悲しまないように、少なくともばあちゃんの目の黒いうちはいい子でいようとそっと心に誓ったのでした。

また、同じようなころ年長組のいとこのひとりが授かり婚をしました。当時ではできちゃった結婚と言われてて(今でも言うかな?)、言葉の示す通り当時の世間的にも「どうしよう、できちゃった……!じゃあ結婚するしかない(腹をくくる)」みたいな、ハプニングめいた、あまり前向きでもない仕方なさ漂う結婚といった印象だったけど、いなかのばあちゃんにとってのそれは守るべき順序を守らない絶対に許せないものだったらしく、結婚報告の際には二度とうちの敷居を跨ぐなという言葉も飛んだんだとか。
そんな話を聞いて、ばあちゃんにとっていい子で通そうと誓った私は「子どもができる前に絶対結婚……」と誓いをまたひとつ増やしました。想像に難くないですよね。なし崩し的に他のいとこもでき婚する中、私はもちろん守りました。

そんな感じで、かわいがられるから言いつけを守る、いい子だからかわいがる、という循環はうまく作用していた一方で、実は自分自身に小さな不満をため続けていたと気づいたのは割と最近のことです。校則の厳しい学校に自主的に入学した上、いつ卒業になるかも分からないような留年生活を送り続けていたようなものなんですよね。なんか、ちょっとはみ出したいことがあっても「いやいや、ばあちゃんがそれを聞いたら」ってブレーキをかけて生きてきた気がします。もしかしたらばあちゃんのせいにして、実ははみ出るのが怖かっただけというのもあるかもしれませんが。まぁたぶん両方です。

絶対に不謹慎だけど幸いにしてもうばあちゃんはこの世にいません。数年前、前の年に亡くなったじいちゃんを追うようにばあちゃんも亡くなりました。私がブレーキをかける必要もなくなりました。

貴重な人生の若い時間をポンピングブレーキしながら歩んできて今思うのは、別にそこまでいい子になんてならなくてもよかったなということ。2人目3人目のいとこができ婚したときに気づいていればよかったんだけどその頃にはばあちゃんももうそんなに気にしてなかったみたいだし(ばあちゃんの世代なりの価値観のアプデとあきらめがあった模様。1人目のいとこは災難だったと言わざるを得ません)。なーんだ、それならもう少しやりたいことをやりたいときにやればよかったな。

センターラインを守って無難に生きられた安心感もさることながら、追い越し車線に行くことも寄り道もなく無難にしか生きられなかった不満。これらってトレードオフの関係なのかもしれないけど。あまりに冒険しなかった半生だったかななんて振り返って思うのです。

今となっては時計の針も覆水も戻らないので、これからはやりたいことをやりつつ、貴重な‘‘元いい子’’のサンプルとして「俺みたいになるなよ」ポジションの人になろうと思います。とりあえず年内には耳に穴を開けることにします。おしまい。

※写真は最近の冒険、海を見に行ったときのもの

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