あの夏の忘れ物を探して #あの夏に乾杯

夏の県大会2回戦,負ければ引退という一戦。

ベスト8進出を賭けた試合は前後半を終了して1-1のまま,PK戦までもつれていた。


両チームとも一歩も譲らず,ともに2人目まで成功。

迎えた3人目。
先攻の相手チーム。
勢いよく蹴られたボールがゴール右隅に吸い込まれる。

あまり知られていないと思うが,PK戦では先攻が有利と言われている。(一説によると,先攻が勝つ確率は約60%である)後攻は,先攻の結果が心理的に影響するからだ。

自分のチームの3人目。
キッカーはゆっくりと歩きながら,ボールに向かう。
ボールをペナルティマークにセットし,5,6m後ろに下がった。

周囲が一気に静まり返る。

次の瞬間,キッカーはボールに向かって一直線に走り出した。
みんなの想いを乗せるかのように丁寧に蹴られたボールは・・・

**********

高校に入学した日,サッカー部に入るかどうか悩んでいた。

サッカーは小さいころに友達に誘われてなんとなく始めた。
当時の日本はJリーグが誕生した時期で,世の中はサッカーブーム。
子どもの遊びと言えば当然サッカーで,放課後や休みの日に集まっては,日が暮れるまでボールを蹴る日々が続いた。そのような背景の中で,小学校と中学校では自然とサッカー部に所属していた。

しかし,サッカー自体は好きだったが,お世辞にも上手いとは言えない。レベル的には中の下といったところだろうか。技術が高いわけでも,体力があるわけでもなく,普通の中学校でスタメンと補欠を繰り返していた。いまでは考えられないだろうが,真夏でも「練習では水が飲めない」なんて風習がギリギリ残っていたような時代で,なかなか水分を補給できずにうなだれながらトレーニングしていたようなこともあり,次第にサッカーから熱が離れていった。

そんな中で高校進学を迎えるのだが,偶然にも自分が進学した学校には,同じ中学校のチームメイトは一人もいなかったのだ。入部しようかどうしようか悩んでいると,

「一緒にやろうや!」

と誘ってくれた友だちがいた。彼とは同じ中学校出身であり,また同じ塾に通っていたのだが,一つだけ違ったのは,彼は中学校時代に地元のクラブチームに所属していたということである。そのため中学校では一緒にプレーする機会はなかったが,かなり上手いらしいという噂は聞いていた。そんな彼が熱心に誘ってくれたこともあり,とりあえず仮入部してみることにした。


仮入部当日。
4月は大切な大会の前なので,入部したての1年生は当然練習らしい練習はやらせてもらえず,途中からは玉拾いになった。しかし,よく見てみると,上級生に紛れて堂々とプレーしている1年生がいるのだ。それが彼だったのである。数日前から練習に参加していた彼は,その実力が早々に認められ,即戦力として扱われていた。余りにも実力の違いを見せつけられた自分は,その瞬間に,

「こいつにはどうやっても追いつけないな・・・」

と絶望感を感じ,その日以来グランドに向かうことはなかったのである。いま考えると,やりたくない口実にしたかっただけだと思うのだが,サッカーをやめようと決めたのである。その後も彼は練習の後や時間のある放課後に家にまで訪ねてきてくれ,一緒にやろうと誘ってくれた。なぜそこまで誘ってくれたのかはわからないが,その誘いを頑なに断り続けた。

サッカーから解放された私は,高校生活を満喫できるだろうと考えていた。しかし,はじめのころこそ放課後に友だちと遊んだり,出かけたりすることが楽しかったのだが,次第に虚しさを感じるようになった。その間,髪の毛を染めては先生に怒られたり,ピアスを開けてはオヤジにしばかれたり,確実に悪いほうに流れていった。

「一体何やってるんだろ・・・」

夢見ていた華の高校生活はそこにはなかった。何の目的もなく,ただ流されるように繰り返される毎日。何の意味も見いだせないまま,気付けば,入学して半年が経っていた。

**********

その頃,サッカー日本代表は1998年ワールドカップ・フランス大会に向けてアジア最終予選を戦っていた。いまでこそW杯に出て当たり前みたいになっているが,当時の日本代表はW杯に出場することが一つの大きな夢であり目標であった。ドーハの悲劇でその夢を打ち砕かれていた日本代表は,その悔しさをバネに次のW杯への出場に向けて戦っている真っ最中だった。日本代表はアジア最終予選で,苦戦しながらも3勝1敗4分でBグループ2位。イランとのプレーオフに回っていた。

忘れもしない11月16日。勝てばワールドカップ初出場が決まる大事な試合が運命のキックオフとなった。テレビに張り付いて見ていた自分は,その白熱した試合展開に一喜一憂しながら感情を爆発させていた。

試合は日本代表が前半39分に中山のゴールで先制。

しかし,後半開始直後と後半14分に立て続けに失点し,スコアは1-2。

後のない日本の岡田監督は2トップの三浦と中山に代えて城と呂比須を投入。この采配がズバリ的中し,後半31分に城のヘディングシュートで同点に追いつく。両チーム決勝点を奪えないまま後半終了。

延長戦に突入する。ここで日本代表は切り札岡野を投入するのである。日本は岡野の俊足を活かし,度々決定機を迎えるが決めきれず,お互い譲らない展開が続いた。PK戦突入かと思われた延長後半13分。ついに運命の瞬間が訪れる。中盤からドリブルで駆け上がった中田英はそのままミドルシュートを放つ。シュートは惜しくもGKに止められたのだが,そのこぼれ球に走り込んだのがチャンスを外し続けてきた岡野だったのだ。岡野はスライディングしながら右足でゴールに流し込んだ。

GOOOOOOOOOOOOOOOAL!!!

日本代表W杯初出場決定!!!

のちにジョホールバルの歓喜と呼ばれる出来事である。

「うぉっしゃーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

心が震えた。喜びのあまりテレビの前で叫びまくった。

そしてあることに気づいた。

「サッカーやりたい・・・」

もはや悩むことはなかった。

誰に相談するでもなく,後日一人で監督の先生の元へ向かった。

「入部したいんですけど・・・」

「いまさら入って大丈夫?」

冷たく一言,言われた。そう言われるのも当然だ。身体が大きく成長する時期なので中学と高校では全くレベルが違う。しかも季節はもうすぐ冬を迎えようとしていた。当然入学当初からがんばっている生徒とは技術も体力も全然ちがう。

「がんばります!」

自分に言い聞かすように力強く言った。

上手とか下手とかどうでもよかった。

とにかくやるしかなかったのだ。

**********

入部初日。
熱心に誘ってくれていた彼は,さすがに驚いた様子だったが,ずっと待っていたと言わんばかりの笑顔で迎えてくれた。彼がいたことは大きな支えだった。彼は相変わらず半端なく上手だったが,今度は少しでも追いつけるようにとにかくがむしゃらに取り組んだ。やってない時期が長かったので当然体力はなかったが,トレーニングに全力で取り組み,練習後にも走り込んだり,自主練も行ったりするなど今までの遅れを取り戻すかのようにできる限りのことをこなしていった。彼とも何度も残ってボールを蹴りあった。次第にチームメイトにも受け入れてもらい,少しだが試合にも出れるようになった。そんなある日,友達から衝撃の一言を言われた。

「あいつ,転校するらしいよ。」

「え?まじで?」

耳を疑った。

そう,あいつとは熱心に誘ってくれた彼である。

一緒にボールを蹴りながら,

「転校すんの?」

ストレートに尋ねてみた。

「あ,ばれた?」

彼は笑いながら言った。

受け入れられない現実を,聞いたところでどうしようもない質問でぶつけてみた。

「なんでなん?」

どうやら親の転勤のために引っ越しをするらしかった。世の中には仕方のないことでも受け入れがたいことは山ほどある。でも,受け入れることしか選択肢はなかった。

その後,彼は進級とともに大阪に転校。

心に大きな穴が開いたような気がしたが,その後もサッカーに打ち込んだ。仲間とともに笑って,泣いて,悩んで・・・少しずつチームとともに成長した。全国大会が狙えるような強豪ではないが,そこそこ戦えるようになっていた。個人としても猛練習の成果もあり,なんとかレギュラーを獲得し,スタメンとして試合に出るようになっていた。

いくつかの大会を終えて,ついに迎えた夏の最後の大会。

県大会2回戦,負ければ引退という一戦。

試合は前半2分,相手ゴール前でパスを受けた私は,目の前の敵に対して果敢にドリブルを仕掛けた。巧みにフェイントをかけ,相手を抜き去ったと思った瞬間,

「痛っ!」

相手に後ろからチャージされ,その場に倒れこんだ。

ピィーーーーーーーーーーー!!

主審の笛が鳴り響いた。ペナルティキックである。

「ウォーーーー!!」

思わず叫んだ。

これをキャプテンが落ち着いて決めて先制!

イケる!!

そう思った。

他のメンバーもそう思ったに違いない。

なぜなら我々のチームの勝ちパターンはウノゼロ(1-0)だったからだ。

狙い通り先制した後は膠着した状態が続いた。まもなく前半終了を意識し始めた前半32分。再び試合が動いた。相手チームに難しい角度からゴールを決められ同点に追いつかれた。試合はそのままハーフタイムに突入。ウノゼロは崩れたもののまだ後半が残っている。

後半はお互いに譲らない展開が続いた。ともに負けたくないという気持ちから激しい試合になったが,両チームにゴールは生まれなかった。

ベスト8進出を賭けたこの試合は前後半を終了して1-1のまま,PK戦までもつれていた。

PK戦では蹴るメンバー5人が固定されていた。しかし,この試合ではいつも3番目に蹴る選手が後半途中で交代していたのだ。そして監督が自分に近寄ってきて,こう言った。

「蹴るか?」

***

PK戦スタート。
両チームとも一歩も譲らず,ともに2人目まで成功。

迎えた3人目。
先攻の相手チーム。
勢いよく蹴られたボールがゴール右隅に吸い込まれる。

自分のチームの3人目。
キッカーはゆっくりと歩きながら,ボールに向かう。
ボールをペナルティマークにセットし,5,6m後ろに下がった。

周囲が一気に静まり返る。

次の瞬間,キッカーはボールに向かって一直線に走り出した。


みんなの想いを乗せるかのように丁寧に蹴られたボールは,ゴール右隅に一直線に向かっていった。

しかし,相手のGKも同じ方向に飛んでいた。

ボールは無常にも懸命に伸ばしたGKの指先にはじかれ,ゴールから外れた・・・。

3人目失敗。

私は・・・

その様子をセンターラインから眺めていた。

そう,私は蹴らなかったのだ。

自信がなかった私は監督の誘いを断っていた。

結局残り2人にもゴールを決められ,敗北・・・。

自分が蹴っていれば・・・。

勝負に「たられば」なんかないし,自分が蹴ったところで決めれていたかどうかなんてわからないが,蹴らなかったことに対して自分を責めた。

いまさらどうしようもないのだが,蹴らなかったことを強烈に後悔した。

試合後,その結果よりも,失敗を恐れ,挑戦しなかった自分の不甲斐なさにとにかく泣いた・・・。

やる後悔よりやらない後悔のほうが大きいことを学んだ。

**********

その後,高校を卒業し,大学へ進学。

紆余曲折ありながらも就職した勤務先は大阪だった。

仕事にも徐々に慣れ始めたころ,大阪に引っ越した彼の存在を思い出した。引っ越した後は不思議と連絡を取ることはなかった。ひょっとしたらまだ大阪にいるかもと思い,連絡を取ってみると,彼はいまでも大阪にいるらしく二人で会うこととなった。

あの日の試合と同じような夏の暑い日。

数年ぶりに居酒屋で彼と会った。一目で彼とわかった。

まずは再会できたことに乾杯!

彼の笑顔は当時のままだった。

時間を忘れて色々語り合った。

引っ越してからのこと。サッカーのこと。大学のこと。彼女のこと。これからのこと。

あの頃の気持ちのままに,これまであったことをたくさん話した。

あっという間に時間は過ぎ,そろそろ帰ろうかということになった。

私は彼に一つだけ言いたいことがあった。

それは「ありがとう」ということ。

すぐには気持ちに応えれなかったけど,あのとき熱心に誘ってくれたこと。

入部の初日に笑顔で迎えてくれたこと。

一緒にボールを蹴ったこと。

高校時代,支えになっていたのは彼の存在だったのだ。

帰り際,

「ほな,また」

話し方が関西弁に変わっていた彼に,

「じゃーまたね。」

一言だけ言って別れた。

なんか照れくさくて言えなかったのだ。

どうやら大事なところで決めきれないのは,プレーと同じらしい(笑)

別れた後の帰り道,

大人になったけど,少しは成長できたのだろうか。

そんなことを考えながら帰った。

むずかしいことはわからなかったが,

彼に再会できたことに感謝し,

次こそはきちんとお礼を言おうと心に誓った。

それから10年近くたつが,私が大阪から転勤したこともあり,彼とは一回も会っていない。なんとなく結婚したとか子どもができたみたいな噂は聞いたことはあるが直接聞いていないのでどこまで本当なのかわからない。会って確かめることもできなくはないが,いまそれはなんとなく違うような気がしている。

**********

すでに今年の夏も過ぎ去ろうとしているが,

夏が来るたびにふと思い出すことがある。

「PKを蹴らなかったこと」 と 「彼の存在」。

でも今の自分なら自信を持って言える。

「蹴ります!!」 と 「ありがとう」 を。

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たけーし☆

教員・ライター・ブロガー。 働き方や教育,お金,健康など生活や習慣をアップグレードする方法を発信しています。 相談や連絡はこちらにお願いします⇒1210takeshi@gmail.com
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