阪神・淡路大震災から22年

1995. 2.19 オランダ大会  『FREE-FIGHT GALA 1995 ~クリス・ドールマン 引退試合~』の約1ヶ月前、1995年(平成7年)1月17日 に起こった阪神・淡路大震災、信じられない光景がTV・新聞で報道され大変な事態になっていた。

当時はまだ田中先生がRINGSの審議委員として在籍されていて会社へ行くと無事との連絡、しかし目の前のビルが倒壊して居るとその災害の凄さが伝わって来たものでした。

個人的にはUWF後に仕事をしていた旅行事業でリング屋さんの手伝いをされていた東京理美容学校の理事をされていた志賀先生にご紹介して頂いてた帝産観光バスのバスが高速道路上で前輪が落ちてる映像を見た映像や写真が目に焼き付いた。

当時は次は東京・関東に来ると誰もが噂にしていた。そんな時に日本を一週間近く空けてオランダに行かなくてはならない状況だった。初めてのオランダ大会でマッチメークや選手たちのアテンド、ファンクラブツアーも組まれていた。

私の長男坊が5歳で次男坊が2歳と数ヶ月、家族を残したままオランダへ一人では行けないと思い仕事に家族は持ち込まない心情でしたが、この時ばかりは気持ちがそうはいかなかった。

しかしここで問題。家族分の渡航費・宿泊費の大出費。今の様に格安航空券などまだない時代。しかもファンクラブツアーも兼ねていたので、オランダ〜フランスを回って帰るというスケジュール。

毎週木曜日に行っていた役員会議で経理担当役員だった相羽先生が助け舟にと私が家族を連れてオランダへ行くことを話してくれて援助を呼びかけて下さった。

結果的には相羽先生が10万円分を支援して頂いたのですが、本当に嬉しかった。

また、初のRINGSオランダ大会では現地にはキック用のリングしかなくトータルファイト用のリングがなかったので、日本から船便で送ったのでした。これがかなり大変でした。送るの1ヶ月、戻って来るのに1ヶ月。試合で使っているものを送ると日本大会で使えないので道場のリングを送ったのでした。

なので約2ヶ月間選手たちの練習で使うリングが不在。本当に手間がかかりました。リングの輸送・設営をして下さっていた酒匂社長はめちゃくちゃ人柄がよく、こんな面倒なことを全部やってくださいました。往復で部品一個づつ税関に申告して送って受けてまた送って受けてなのです。

どれだけリングが貴重だったことか!!

ジャニーズや松田聖子さんのコンサートなどの機材の輸送をされている輸送(業界ではトランポと言います)をされている会社の社長さんでした。そして酒匂社長こそが新生U.W.Fの時に前田さんが会社の経理に疑惑を抱かれた時に経理をチェック出来る人を前田さんに頼まれて紹介された方で有り、相羽先生がその方だったのです。

続く・・・

1995. 2.19 オランダ大会  『FREE-FIGHT GALA 1995 ~クリス・ドールマン 引退試合~』

対戦カード!!

○ハンス・ナイマン vs アンドレィ・コピィロフ

○ウィリー・ピータース vs 成瀬 昌由

○ルディ・イウォルド vs 山本 宜久

○ディック・フライ vs 長井 満也

○クリス・ドールマン vs 前田 日明 



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