1995. 2.19 オランダ大会 『FREE-FIGHT GALA 1995 ~クリス・ドールマン 引退試合~』
RINGS初のオランダ大会
対戦カードは
○ハンス・ナイマン vs アンドレィ・コピィロフ
○ウィリー・ピータース vs 成瀬 昌由
○ルディ・イウォルド vs 山本 宜久
○ディック・フライ vs 長井 満也
○クリス・ドールマン vs 前田 日明
ウィリー・ピータースはRINGS JAPANの選手にとって非常に人気者でした。どう言う点で人気だったかと言うと、実力勝負に置いて人気でした。
所謂、選手達のガチ勝負候補のN0.1選手でした。何故ならアマレスでの実績がありバウンサーとしての実力もありナイマンの相棒も勤めるほどの真の実力者。
彼の強さには定評があり、皆んな実力試しをしたいと思ったらピータースとやらせてくださいって感じだった。
ピータースが後にVALE TUDOで実力を見せたのは誰も頷けるものでした。
ディック・フライはスーパースターでしたが、肉体とその打撃技は凄かったですが、寝技の攻防になるとこれ見よがしのエスケープ。当時は最大限にルールを活かした戦い方をしていたと思います。
この大会で一番記憶に残った選手はルディ・イウォルドでした。ヤマヨシとバッチバッチのシバき合い。ヤマヨシも倒して寝技に持ち込めばいいものを、シバき合いが楽しくてしょうがなくて最後までバチバチの掌底合戦。試合が終わると二人とも病院へ直行。瞼の上下が内出血で腫れてメスで切って血を出して縫って、それでもイウォルドは試合後のパーティーに来てビールをガンガン飲んでました。
良い子は真似をしてはいけません。
そして、大会前後始終忙しかったのですが、RINGS女子社員達は試合観戦でツアーで一緒に来ていたファンの方々よりも楽しんだ感じで、『成瀬さ〜ん!!』試合中に何度連呼。
おいおい・・・俺たちは社員旅行も兼ねてるけど、今は仕事だろう〜ってなことを鮮明に覚えています。
あと、試合翌日 ドールマンからコピィロフの試合が不甲斐なかったと不満を告げられたのだったが、打撃技であれだけやられては仕方ないと思ったのでした。
そして・・・連れて行った私の家族と言えば、ただホテルの部屋にずっといただけのオランダでした。
もちろん翌日はアンネの隠れ家等を観光しました。記憶として残っているのは、前田さんがダイヤモンド店で時間オーバーしてしまい、一人ツアーバスから遅れてしまったことです。(笑)
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