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麻雀プロとして生きていくのか??

先に言います。
絵も写真もありません!
あるのは、ただ拙い文章だけです。
オチもありません。
面白さは微塵も感じません。
ただ真面目に書きました。

はじめまして??
noteにチャレンジします。
日本プロ麻雀連盟38期後期入会(四国支部1期生)の本田翔大と申します。(固い…)
麻雀プロになり1年半、全力で駆け抜けた日々でしたが、本日行われた第3期四国プロリーグを休場することにしました。
理由等については、少しずつnoteで触れていけたらと感じています。
今年は麻雀のプロ活動をする機会が圧倒的に減ることになると思います。
1年後の本格復帰を目指すために、また復帰後どのように麻雀プロとして過ごしていくのかを考えるためにも言語化する機会を設けて、noteに書けたらいいなと思っています。

普段は、自分で立ち上げた学習塾を本業に据え、朝の仕事、本業の塾以外でも業務委託を受けての学習指導を行っております。今まではそこに加えて、M-SPACEのスタッフやイベントのお手伝い、四国支部の各種大会の運営を行っておりました。

さて、今回はなぜ本田が麻雀プロになったのかを拙い文章ですが書いていこうと思います。せっかくなので長文にチャレンジです(ただ、まとめるのがヘタクソなだけ!!)

大学時代

出身は愛媛ですが、県外で一人暮らししたいという思いで、県外(四国)のとある島にある大学へ進学しました。硬式テニス部で部活動、バイトも全力、勉学も真面目に取り組み、その中で遊ぶといえば…麻雀でした。
友達同士で手積みで麻雀を嗜む生活。レベルと言えば、筋がわかる程度。
恥ずかしながら、「3900と5200って何が違うの??」・「リャンカンって初めて聞いた」というレベル。今の真面目に麻雀に取り組んでいる学生とは比べ物にならないほど何もわかっていませんでした💦
あえて、よかったところを言うと、麻雀を教えてくれる人がいなかったから自分で考えて打つことができていたことくらい。一度だけ大会に出た時にボロボロに負けました…

社会人前半

社会人となり、大学時代を過ごした県で教員をした後、地元愛媛に戻り、いろいろ経験していました。(それについてはまた今度)
基本的には働くこと自体はそんなに嫌じゃなく、麻雀はたまに上司に誘われて打ったり、アプリで打つ程度。完全に麻雀とはかけ離れた日々を送っていました。

社会人後半

2度目の教員生活の時、ソフトテニス部の顧問をしていて、自分もプレイヤーとしてソフトテニスをしたいと思うようになり、ソフトテニスをシングルスでできる場所がないか探しまくりました。(ダブルスは、仕事以外のことで気を使うのが嫌でしたw)それがなかなか見つからず、あるのはすごくレベルが高そうな所だけ…探すだけ探してダラダラしていたある時、今から始められることで自分も競技をする側でやりたい!せっかくやるなら目標を持ってやりたいと思っちゃったんです…テニスじゃなくても…
テニスは大きな壁を感じていたし、将棋も同様。今から頑張っても市町村レベルでもアマで入賞なんてできない。何かないかなーと思って探してたら、麻雀の大会があるではないですか!!
まずは麻雀牌に触れようと調べたら、「KIT JAO」と「M-SPACE」があり、たまたま予定があった「M-SPACE」の門を叩きました。

M-SPACEとの出会い

M-SPACEに初めて訪れたとき、M-SPACEもできて日が浅く、店主の松本京也プロともう一人。本田を合わせて3人だけでした。(人見知りの本田にとっては助かりました)久しぶりにリアルで麻雀を打つ楽しさを味わい、月2、3回くらいのペースで通うようになりました。店内の大会に顔を出すと運良く成績が残り、よりハマりました。

四国チームリーグ

ちょっとずつM-SPACEへ通う頻度が多くなりつつも人見知りは発揮したままで、楽しいけど、今ほどヤンチャでは無かったですwww
大きく麻雀に対する姿勢が変わったのが、四国チームリーグ(今は西日本チームリーグ)でした。愛媛に麻雀仲間はいなかったので、M-SPACEの常連さんでチームを組むことになりました。チーム名は「アシュラ」
本田の成績は振るわなかったですが、チームメイトのおかげでなんと愛媛エリア1位!!ファイナルへ進出を決めました。
そこで、四国の他のエリアの1位チームと、「滝沢プロ・日向プロ・堀プロ」のMリーグチームと戦い、ファイナルMVPを頂きました‼️
今も当時も麻雀ヘタクソですが、結果が残ると嬉しいもので、より麻雀頑張ろうってなりました(^^)

「一番緊張するのは??」と聞かれると今でもチームリーグと言ってしまうほど、大切にしているし、責任を感じている戦いです。それほどチームのために仲間のために戦うということは重い。(もちろん、どの対局も真剣に必死にやってます!)

でも、そのチームリーグを通じて麻雀仲間ができて、切磋琢磨して競技麻雀にのめり込んだと言っても過言ではありません。

四国支部設立決定

麻雀にのめり込んでいる最中、日本プロ麻雀連盟の四国支部ができると知る機会がありました。(どうやって知ったか覚えてない💦)
悩みはしたものの、どちらかというとプロにならないよりで、受けないつもりでいました。
でも、自分の性格の悪いところで、もし自分が麻雀プロになったら、どんなことをしてみたいか。どんな障害があるのか。そんなことを考えてる内にチャレンジしたくなってしまったのです…

※ここからは超個人的目標のことなので、嫌な思いをする方がいるかもしれません。自己責任でお願いします。

麻雀プロになるとして、自分自身に条件を設定しました。
大前提として、ただリーグ戦等に参加して麻雀を打つだけにはならない。
具体的な条件
・3年以内に放送対局に出る
・大会やイベントの運営に関わる
・麻雀での活動資金は麻雀の活動で賄う
(今回のプロリーグの休場はこれらとは違った状況での休場でした😢)

具体的に期間と目標を設定しないと、ただプロと名乗っているだけになってしまう。「3年」この3年で自分の活動を振り返ってプロとしてふさわしい活動ができたか考えて、その後どうするか考えよう。
と決め、プロになることを決意しました。
(教員については、そのこととは別にやめることを決心していました。これについては自分の性格的な部分のことなので…また書くかも…)

という経緯で麻雀プロになりました。
(そういえば、その前にM-SPACEから二人プロが輩出されたり、他にもいろいろあります)
振り返ると、プロになるタイミングはベストタイミングだったかもしれません。
一期生として本当に多くのことに関わらせて頂きました。マジで麻雀の内容と成績が……………………(ピー)

結び

四国支部に限らず多くの麻雀プロがそうかもしれませんが、
私の居住地の愛媛のプロの多くは麻雀に関係ない仕事を普段しつつプロ活動に励んでいます。
私のプロ活動の裏のテーマが、「好きなことに対して全力で取り組める人が、
好きな麻雀で生きていくために何をするべきか」を考えることです。
せっかく、麻雀プロになったのに、麻雀の仕事ができないなんて辛いじゃないですか!
プロになってから1年半。自分にできることもできないことも頼まれたことは全部やってきました。自分が関われることはできる限り関わってきました。これは自信をもって言えます。自分がやっていることを見て他の人がやりたくなった時にその人が安心してその仕事ができるように。まずは自分でやってみることを大事にやってきました。まだまだやりたいこと、やった方が良いと思っているのに時間的な問題でできなかったことがいっぱいあります。

でもこれから(この1年)は、今まで一緒に愛媛で運営してきた「セピア渡邊」、「久保プロ」や新規加入の「永田プロ」をはじめ愛媛のプロの活躍の場がより広がり目立った活躍ができるように本田も応援を頑張ろうと思います!!

四国支部の応援、愛媛県勢の応援をこれからもよろしくお願いいたします。

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