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【読書会】宮本輝『流転の海』全巻読書会(10)~第2部『地の星』第4章

こんにちは。

今回も作成が押してしまって、とうとう開催当日になってしまいました。本日21時からのTwitterスペースで開催する読書会でも使う「レジュメ」として、『地の星』第4章の概要を以下にお届けいたします。

1)概要

①辻堂からの手紙を受け、かつての番頭役・井草と、旧知の周栄文から託された娘・麻衣子に会うために、金沢へ赴く。

②死の淵にあった井草から、房江への憧れを聞く。熊吾は、結核の特効薬を井草のために手配する。

③周栄文の娘・麻衣子の、妻のある男との仲を聞く。その井手と会う。

④大阪に赴き、丸尾千代磨呂に麻衣子の仕事を世話するように頼む。

⑤千代磨呂から、妻ではない女性との間に子ができたことを聞かされる。その喜代に会い、大阪を去るよう言い含める。

2)私的「ポイント」

・わては、女を殴る男が嫌いでんねや(略)そんなところだけが、どうにもこうにも嫌いでたまらんかったんだす(p.160)

・木は傾くほうに倒れる(p.161)

・しかし、人の命ほどに不可知なものもない(p.165)

・確かに俺は理不尽な男だ(略)本当はお茶目な、活発な女なのかもしれない。だが、生まれた日から一度も肉親の愛情を受けられなかったことが、房江の心をいつも不安で満たすという病癖で染めあげたのだ(p.166)

・そして、房江に手を突いて謝ろう。自分は二度と妻に暴力をふるわないと約束しよう(p.167)

・病や老いや死から免れ得ない人間たちに宗教を与えない共産主義などが、公平で差別のない楽土をこの世に作れると信じている連中は馬鹿者だ(p.178)

・わしには、周栄文という人以上の友だちは、もう出来んじゃろう。周栄文という人は、いつも〈許す〉ことが出来る人じゃった(略)わしは、そんな周栄文という中国人に、ねたみを持つほどじゃった。わしよりも歳はうんと下やのに、わしよりもはるかに器の大きい人間やった(p.179)

・宿命というものが、それぞれの人間にそれぞれの境遇をもたらすのであろうが、その境遇とは、言葉を換えれば環境ということになる。同じ環境下にあっても、美しく咲く花もあれば、咲く前に散ってしまう花もある。その違いは、個々の花が持ち性癖や生命力といった本源的な、姿を見せない核みたいなものによって左右されるのであろう(p.185)

・この三つは、恐ろしい敵だなと熊吾は思った。宿命、環境、自分の中の姿を見せない核(略)もつれ合って、すべての人間を幸福か不幸かのどっちかのレールに乗せる。どっちかの駅にしか着かないレールだ(p.185-186)

・男というもののずるさやいい加減さも、同性として充分すぎるほど読める気がした(p.194)

・これもまた〈血が騒ぐ〉という、どうしようもない俺の病気だ(p.222)

・父に叱られたのは、あとにもさきにも、あれ一回きりだったような気がする/どうしてあのような人が、南宇和のかたいなかで生涯を百姓としておくれたのであろう。あの度量の深さは、到底、俺が真似出来るものではない(p.229)

・父が死んだ年齢に、俺はあとたった二年で達する。だか、俺は人間として、とうとう父にかなわかなった。俺には、父のような穏やかさや温厚さはない(p.229)

・父の生まれた田園に立ち/父の血の騒ぎを聴く/茫然と星をあおぐ(p.229-230)

3)閉会後の追記

・昭和26年(1951年)9月7日、サンフランシスコ講和条約の締結。片面講話。沖縄にとっての屈辱の日。ミサイル基地が沖縄に建造されていたこと。ブロークン・アロー、等々。

・房江に対する暴力が、やっと止む気配になったことの安堵感。

・終戦直後という時代性とは言え、熊吾のDV気質はいただけない。ある意味では、当時の日本人男性の一類型、典型的な人間像として提出されたものとは言えないか。あるいは、「理念型」とも言っていいのではないか。

・熊吾=伸仁の関係だけではなく、亀造=熊吾の物語。つまり、亀造=熊吾=伸仁の、三代にわたる物語。サーガ。

・音声データが30日間保存されているので、ご興味がありましたらお聞きになってみてください → こちら

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今回のレジュメは、以上といたします。次回は9月26日(月)21時からです。どうぞお運びください。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!


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