見出し画像

ウィッシングウェルの売却と、エルペコランチの終焉 ~サンデーサイレンスの母を生産した男 ジョージ・A・ポープ・ジュニアとは・13

ここまで12回を重ね、約3万文字を費やして説明してきたわけだが、私はサンデーサイレンスと、その母ウィッシングウェルの血統を以下のように「読んで」いる。

これら一連の血統の|雑味《ざつみ》のない【集積】
いわばクレイボーンファームアガ・カーン3世殿下への憧憬(オマージュ)。


もはや常識だが、遺伝は父からによってのみ行われるものではない。

ウィッシングウェルの血統と、その生産者ジョージ・A・ポープ・ジュニアの輝かしい業績を並行して見ていくと、ウィッシングウェルにいたるまでの16年間に手抜きの配合が一回もなかったことが見えてくる。

ここを無視して「サンデーサイレンスは突然天から降ってきた偶然のような奇跡」…そう捉えるなんてとんでもないのである。

本シリーズの初回に示したが…

サンデーサイレンスの母親ウイッシングウェルは、最下層のCランクの地味な配合から生まれていた。もうこれ以上の雑草はないといった感じの極めつけの地味さ

代々配合されてきた種牡馬もこれまた全くの無名で、判で押したように「CランクにはCランクを」の配合で、地味に伝えられてきた雑草血統である。

競馬の血統学 サラブレッドの進化と限界/吉沢譲治(1997年)

このウィッシングウェルの評価がどれだけ正確性を持っていただろう?
ここまで読み進めてきてくれた方々には、改めて考えてもらいたい。

命尽きるとも

このウィッシングウェルの配合を試みた5年後、1979年1月27日にジョージ・A・ポープ・ジュニアは78歳で天に召される。
この当時、アメリカ競馬界は彼を気にも留めていなかったらしく、特にニュース記事にもなっていない。私は墓石の情報サイトで死亡日を把握したくらいだ。
まさに孤城落日である。

そして彼の所有する4歳牝馬ウィッシングウェルは、同1979年6月2日にハリウッドパーク競馬場のクレーミングレースに出走する。

レイ・ポーリックの著書「運命に噛みついた馬」によると、この場に居合わせたマイケル・リマ夫妻により「(馬主免許を再開するのに)おあつらえ向きの馬」だと判断され、同馬は3万2000ドル(*当時の為替レートで765万円)で転売が成立する。
このレース、ウィッシングウェルは初芝ながら9馬身差勝ちだったとある。

…このような形で唐突にジョージ・A・ポープ・ジュニアとウィッシングウェルの物語は終わりを迎えるのである。

なお彼の死亡日と、ウィッシングウェルの転売日に関して、時系列で関連付けた情報は世界に1件として存在しない。(私が書いたこの文章が史上初になると思う)

なにしろ「運命に噛みついた馬」のレイ・ポーリックも気付かなかったほどで、

大規模なブリーダーは時に所有馬を手元に残すか売却するかという厳しい選択を迫られる…ポープも同様でウィッシングウェルの場合は後者を選択し

運命に噛みついた馬/レイ・ポーリック

…と、さも1979年6月2日時点でジョージ・A・ポープ・ジュニアが生きていたかのように記述している。(母ウィッシングウェルの現役時から息子サンデーサイレンスの引退にいたる時まで、ジョージ・A・ポープ・ジュニアの知名度と影響力は大きく低下していたのだろう)

当時のウィッシングウェルは一介の2勝馬に過ぎず、気性がとても悪く、あまり期待されていなかったという話もある。
だが能力が見限られたというよりも転売の理由はジョージ・A・ポープ・ジュニアの死による遺産処分と取る方が自然だ。

その後、夫人が苦心して牧場の存続を図ったらしき生産履歴は見られるが、残念ながらミセス・ポープの生産馬に活躍馬はいない。(日本に輸入された夫人の生産馬にカミノスウィニーがいるが未勝利に終わった)

そして夫妻が築き上げた栄光のエルペコランチは衰退の道をたどり、夫人の死とともに牧場はついに跡形もなくなってしまった。
現在は太陽光パネルが敷き詰められた、ただの荒れ地になっているようだ。

グーグルマップで確認できた2011年時のエルペコランチ。既に馬の姿は確認できない。
そして現在、youytubeの不動産情報では下記のような無惨な映像が発見できる。↓


ミセス・ポープの死亡記事(2020年)には以下のように書かれている。

彼女は牧場経営と農業が大好きで、多くの時間をアロヨ セコ牧場とエル ペコ牧場で過ごしました。彼女はこれらの牧場を庭園の楽園と生産的な農場に変えました。
彼女の夫は、彼女を「牧場のバラ」と呼んでいたので、彼女は何百ものバラの茂みを植え、友人や家族に大きな花束を持ってきました。

Patricia Moffat “Patsy” Pope/www.findagrave.com

国破れて山河あり、川の流れは久しからず

世界の競馬ファンが知るように、ウィッシングウェルの話はここで終わりではない。

ジョージ・A・ポープ・ジュニアの死をきっかけに転売された後、ウィッシングウェルは遂に才能を開花させる。G2とG3を制し、このファミリーでおそらく初のブラックタイプウイナーとなった。

現在、同馬の名を冠した重賞レースもあるほどだ。

これまで見てきたようにウィッシングウェルの配合に隠されていたのは、ハイペリオン-カーレッド、ザテトラーク-ムムタズマハルの空を飛ぶようなスピード血統の集積であり、そしてスタイミーにあるクォーターホース並みの瞬発的なスピードである。

芝転向によってウィッシングウェルの才能が開花したのは偶然ではなくむしろ血統が示す通りだと私は見る。

そしてウィッシングウェルはヘイローと配合され、サンデーサイレンスの誕生へと物語は続く。

次回は、転売されたウィッシングウェルから、別人によって生産されることとなるサンデーサイレンスが、いかにジョージ・A・ポープ・ジュニアの示したコンセプトに準じた、奇跡的に正確な配合であったかを説明する。

今回の連載は最後まで無料で書きます。サンデーサイレンスへの正当な評価を広めるためです。長い間誰も触らなかった話題ですので、慌てず騒がず、後々まで残る情報が書ければと考えています。 (最後まで読めたら「読んだぜ」のメッセージ代わりに♡を押して貰えれば十分でございます。)